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「どんな風にしようか、和真君」
鏡の向こう、背中越しに薫が尋ねてくる。和真は自分の胸が何故だかドキドキいっているのが聞こえないか心配になりながらも「特に希望は無いんですけど」と平静を装って答えた。
「一応営業職だし、清潔感の有る普通の感じで……」
「なるほど、ちょっと髪に触るね?」
薫の手が優しく髪を撫でて、髪質や頭部の骨格を調べているような気がする。それだけで和真は心の中で「ウーーーッ」と唸っていた。
(なんやコイツの髪ハチャメチャに傷んどるやんけ、手入れしとらんのかな、とか。骨格最悪切りにくそ、とか思われてないかな……)
無闇に不安な気持ちになって、和真は落ち着かないけれど。薫のほうはマイペースに確認を終えると、和真のほうへ雑誌を持って帰ってきた。開かれているメンズのカットモデルの中のひとつを指差して、「こんなのはどうかな」と微笑む。
「和真君は髪質もいいし、頭の形もいいからなんでも似合うと思うんだ。今流行の髪型で、カジュアルすぎないから営業でも大丈夫だよ」
薫の指差した先には、どえらいイケメンのモデルがキメ顔で座っている。確かに爽やかで好印象だろうが、モデルがいいからではなかろうか。その下には髪型のことだと思われる呪文が書いてあったけれど、和真にはよくわからない。いつもネットで探した写真を見せるだけだったから。
不安になりながらも、薫がこれをオススメするなら、信じていい気もして。
「じゃ、それでお願いします!」
と頷いた。
美容室のことを、和真はそれほど嫌いではない。
様々な美容師と話をするのはなかなか楽しいし、それに同類は会話をしていれば「わかり」合うものだから、セックスする相手ができることもある。
ただ、こんな感じでお願いしますと頼んだ後、濡れた髪がザクザク切られている間は、「本当にこれがなんとかなるんだろうか」という若干の不安が胸の内に起こる。鏡の向こうの自分は、随分と不格好な姿をしているものだから。本当にここから人間に戻れるのか心配になる。
薫と和真はまるでいつもと同じように、なんということもない話をした。彼が就業中で、和真がなんとも言えない姿をしているということを除けば。
薫がハサミを動かすとシャキシャキという音と共に、パラパラ髪が落ちていく。その手さばきは慣れたもので、本当に美容師なんだと改めて思った。
「薫さん、本当に美容師だったんすね……」
「なんだい、信じてなかったの?」
「いや、お仕事大変じゃないですか? 大丈夫なのかなって……」
そもそも、このカット予約自体が先日倒れた薫を看病したことへのお礼なのだ。美容師といえば一日立ちっぱなしの働きづめで、結構な重労働のイメージがあるけれど。和真の心配をよそに、薫は微笑んで頷いた。
「そうなんだよね。だから今は非常勤、みたいな感じかな。週4日ぐらい働かせてもらってるんだ。深雪さんがとっても優しい人で、本当にありがたいよ」
「へええ……」
和真は鏡越しに店内を見たけれど、深雪の姿は無かった。奥で休んでいるのかもしれない。あるいは、気を遣ってのことかもしれないけれど。
「和真君こそ、営業だったんだね。優しいわけだなって感じたよ」
「いやいやいや、それはこっちのセリフですからね⁉ 何度も言ってますけど、優しいのは薫さんのほうなんで!」
「そうかなあ」
「そうですってば!」
「だとしても、和真君はとても優しい子だよ?」
いつも君から元気をもらってるんだ。そう言われるとむず痒く、嬉しいと恥ずかしいがぐちゃぐちゃに混ざり合って顔が熱くなる。それはこっちも同じだ。元気になるのが心だけでないのが問題だけれど。
「……でも、その。俺、ビックリしました。ここ、何回か見てたんで」
「あ、そうなの? この辺りはよく来る?」
「……そ、っすね。毎週ぐらい、来てましたね……」
和真は言葉を濁しながら答えた。というのも、この店が有る通りを進み続けた先には繁華街があり、曲がれば、「例の通り」があるからだ。夜、そこに集う男たちはそういう存在だと「わかり合う」ような場所。そして、そこにはマスターの待つバー『ジョー』がある。
毎週末通っていた道だ。この店だって、何度も見かけてはいた。和真のお目当ては男とその先に待つセックスであり、美容室なんかに興味が無かっただけで。
(ほんと、どうしてこうなってるんだろうな……)
全然知らなかった隣人に助けられて、全くその気の起こらないはずの人の夢でムラムラして、興味が無かった店で髪を切られて。
人生、何が起こるかわからない。和真は改めてそう思った。
「どこかいいお店でも有るの?」
(ウッ)
自然な流れで問われて、和真は一瞬言葉に窮した。しばらく考えて、ここは変に嘘をつくよりも、言うことと言わないことを選んだほうが安全なような気がする。
「そーなんすよ。馴染みのバーがあって。飯も酒も安くて旨いんです」
「へえ、なんていう名前?」
「なんて言ったかなあ。フルネームは忘れちゃったんすけど、俺たちは『ジョー』って呼んでますね」
「ジョー? ……そこ、知ってるかも」
「エッッッッ!」
ただのバーということで片付けようとしていたのに、薫が知っているなんて言い出すから、和真は馬鹿でかい声で叫びそうになった。そんな様子に、薫は「ああ行ったことはなくて」と付け足す。
「うちに来るお客さんがね、話してたような気がして」
「あ、ああ……」
だとしたら、「同類」の客なんだろう。和真は動揺を隠そうと深呼吸した。
薫がそこを、そういうバーだと知っていたら。和真がどういう人間なのか一瞬でバレるところだった。それに対して、彼はどんな反応をするのだろうか? 怖くてかなわない。
一方で、もしも薫がそこに通っているような人間だったなら。話はずっと簡単だった。彼も男を愛し、男と寝るような人だったなら。手探りで彼のことを知る必要も無い。セックスしようと提案して、すればいいだけの話なのに。
(うーーッ、人生ってこんなにままならねえモンだったのか……)
和真は頭を抱えたくなった。実際にはケープの下の手は、ぎゅっと握りしめられていただけだったけれど。
「はい、終わったよ、和真君」
「……ハッ⁉」
とんとん、と肩を叩かれて、和真は目を覚ました。慌てて見上げると、薫が微笑んでいる。
「シャンプー、気持ち良かった?」
「あっ、ハイ……あっいや、はい、気持ち良かった……寝ちゃった……」
髪を切り終わって、シャンプー台に移動して。シャンプーと一緒にマッサージを受けていたら、あまりにも気持ちが良くて。うっとりしていたら、いつのまにか寝落ちしていたらしい。恥ずかしくなって顔を染めていると、薫は「そんなに気持ち良くなってもらえて私も嬉しいな」と笑った。
なんかエッチな話してます? と一瞬感じたけれど、髪をタオルで拭かれ始めて我に返った。
鏡の前に戻ると、濡れそぼった髪がぺったんこになっている。ここから本当にイケメンになれるんだろうか、と不安になりながら、ドライヤーで乾かしてもらう。櫛で梳かして、ワックスで仕上げられる頃には、なんと鏡の向こうにはイケメンの髪型をした自分が座っていた。
「うわ、めっちゃいい……」
「気に入ってもらえた? 後ろはこうなってるよ」
「うわ、うわうわ、うわー……」
和真は頭を動かして、隅々まで確認しながらその度に感動した。
「すげえ、髪型だけでこんなに変わるんすね……」
まるで自分がイケメンになったような気がする。和真が感動していると、鏡の向こうで薫も大きく頷いていた。
「私も子供の頃ね、とっても感動したんだ。切る前と後とでは、魔法みたいに姿が変わるでしょ? 魔法使いみたいだって思って。だから私も、美容師になりたいって思ったんだよ」
その光景が目に浮かぶようだった。小さな子どもの薫が、ドキドキしながら美容室に入って。伸びた髪が切られる間、自分がどんどん変になっていくのが不安だったのに。終わってみたらフワフワの髪になっていて、かわいい(かっこいい、かもしれない)自分に変身しているのだ。目をキラキラさせて感動している、小さな薫を想像するだけで、胸が温かくなった。
きっと今、自分も同じような顔をしているんだろう。
「それじゃ、今の薫さんは魔法使いっすね! いや、ホントすごい。薫さんに切ってもらってよかったです……!」
「ふふ、そう言ってもらえて私も本当に嬉しいよ。お礼になるかわからなくて不安だったんだ」
「そんな! めっちゃ嬉しいです、むしろこっちがお礼言いたいっていうか、ありがとうございます!」
「でもそれじゃ、またお礼合戦になってしまうよ」
そう笑った薫は本当に美人で、和真はますます胸がドキドキ言うのを、どうしようもなくなっていた。
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