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和真は膝から崩れ落ちそうな心地で、リンを見ている。一方のリンはと言えば、和真ではなく天井のほうを見ていた。
「好きじゃなかったって……え!? 俺が謝った意味、無かった!?」
和真の心からの叫びに、リンは「意味は有るんだけど~」とのんびり答える。
「和真さあ、覚えてる? 恋人になろって提案したとき、ボクが言ったこと」
「……浮気はダメって……」
「それもあるけどー。あのね、ボク、寂しいの無理なの」
「あ」
そう言われて、和真も思い出す。リンとは初めて会った日に寝て、そのまま付き合うことになったけれど。確かにリンは言っていた。寂しいのが辛いのは、和真も同じ。だから、分かり合える気がする。和真もまた、そう思ってリンとの関係を始めたのだ。
「和真とは分かり合えると思ったのはホントだよ? 似た者同士だって思ってたから。ボクもいい年齢になって、いつまでも色んな人と寝るのはなーって思ってたし。それでね、シノと話してて思ったんだけど、ボクって和真と同じで誰かを好きになったり、恋したりしたことないんだよね。もちろん和真のことも」
「……そ、……そんなとこまで、似てなくても……」
和真が愕然とした顔で呟くと、くすりと笑う声が聞こえた。視線をやると、マスターがこちらに背中を向けて肩を震わせている。
笑い事ではない。のだけれど、あまりの馬鹿馬鹿しさに、和真も笑うしかないような気もしてきた。
「じゃあ、……俺のこと好きじゃなかったから、……つまり、怒ってないってこと……?」
「それとこれとは別」
「別なの!?」
思わず甲高い声が飛び出す。リンはムスッとした表情を浮かべ、和真の顔を指差した。
「だって考えてみて? 恋人になるのも結婚するのも一種の「契約」なんだよ? 最初にボクは浮気しちゃダメって言ったよね? そういう契約をしてるの。だから、好きだろうがそうじゃなかろうが、約束を破ったらダメでしょ!」
「あっ、はい、ゴメンナサイ……」
理不尽と正論が交互に来て、和真はしゅんと縮こまる。しかし、であれば謝罪した意味は有ったのかもしれない。恐る恐るリンの顔を見ても、彼が本気で怒っているような様子が見えなかった。
「だけどね。シノが、友達じゃいけなかったのかって言うから。ボクなりに考えてみたんだけど、セックスする友達で良かったんだろうなーって思って」
「へ……」
シノ様、ファインプレーすぎんか。和真は脳内で「後で和牛ステーキお願いしますね」と微笑むシノの幻覚が見えた気がした。
「セフレでよかった……ってこと?」
「そうなの。ホントは仲間同士、いい友達になりたかっただけなのかも、って。だって、確かにボクもさ、寂しくってたまんない夜に和真が捕まんなかったら……って考えたら、他の男と寝たくなるのわかるもん」
「じゃ、じゃあ、」
「でもボクは寝なかった。だから、寝た和真はダメ」
「ハイ……」
また小さくなっていると、リンがため息を吐いて、小さな鞄から腕時計を取り出す。それは、和真がリンへクリスマスプレゼントで贈ろうとしたものだった。
ピンクゴールドの時計はそれなりに考えて買ったものだった。そこそこの値段もしたし、ちゃんと化粧箱にだって入れて。あの夜、和真は本当に恋人同士のクリスマス・イヴを過ごす気でいたのだ。
今となっては、遠い昔のことのようであり――。
「あの時もさ、謝りもせずにコレ返せって。ホント、和真ってサイテー」
「ううっ、おっしゃる通りでございます……」
「……でも。……別にボク、和真のこと嫌いじゃないし」
ボソ、と小さく呟かれた言葉。その内容を理解するのにしばらく時間がかかった。ぱちぱちと瞬きを繰り返していると、リンが和真を見て言う。
「和真はサイテーだけど、嫌いじゃない」
「リンちゃん……」
「和真は? ボクとどーなりたいの?」
「……俺は……」
「なんで今更謝ってきたの? ボクにどーしてほしくて、ここにいるの?」
リンの問いに、和真は少しだけ考えて。
それから、大きく頷いて答えた。
「俺も、リンちゃんとできることなら、友達からやり直したい。全部間違えちゃったから、今更もう無理かもしれないけど、」
「いーよ」
「……エッ!?」
即答されて、和真は続く言葉を出せなくなってしまった。
「いいの!?」
「何、嫌なの?」
「いや、ああいや、違う、嬉しいけど、エッ、……いいの!?」
何かうまい言い回しを探したけれど、結局出た言葉は「いいの」だけだった。リンはそれまで見せなかった笑顔で、和真を見る。
「だって、和真はサイテーの浮気野郎だけど。ボクにクリスマスプレゼント、真面目に用意してくれたもん」
「……え、でもそれは……」
普通、恋人同士なのだから、そうするもんじゃないのか。和真が疑問に思っていると、リンは時計をじっと見ながら言う。
「ボクたち、恋人ごっこをしてたからさ。恋人らしいことなんてセックスぐらいしかしてなかったけど……。ちゃんとボクの好きなもの、わかってて、探してくれたんだなって。恋とか好きとかわかんなかったんだろうけど、浮気もしたけど。でも、ボクのことを考えてくれてたんだって。そう思ったから」
こんな形じゃなかったら、もっとうまくいってたんじゃないかって、思うんだ。
リンの言葉に、和真はあんぐりと口を開いていた。
リンがピンクゴールドが好きそうだということぐらい、彼の持ち物を見ていればわかる。アクセサリーだって、小物も髪もピンクにしているのだし。腕時計を「欲しいなあ」と一度言っていたのを覚えていただけだ。化粧箱に入れたのは、それがクリスマスプレゼントだから。
何も特別なことをしたような気はしないのに、リンにとっては和真とやり直すことを考えるほど、重要なだったのだろうか。
和真にはわからない。わからないけれど、リンがそう言うなら、和真もそれを否定する気にはならなかった。
「じゃあ、……じゃあ、なんだろ。これからも、よろしくお願いします……?」
「うん。よろしくね、和真」
リンはにっこりと微笑んで、それから真顔に戻った。
「本題はここからなんだけど」
「エッ!!???!? 本題はここから!?!?」
ここまででかなり驚かされてばかりだったのに、前置きだった。ではこれからどんな恐ろしい話が始まってしまうのか。
和真が身構えていると、リンは大声で叫んだ。
「なんでよりによって、初恋がボクの薫なわけーーーーッ!? しんじらんなーーい!!」
「えーーーーッ!?」
「ボクのこと大事にしてくれるし、話聞いてくれるし、ワガママにも付き合ってくれるし、美人だし! ボクだって今度こそいい恋人作ろうと思ってたのに! 和真のバカ! アンポンタン! おたんこナス!」
「リンちゃん、意外と語彙が古いんだね~」
他人事だから、マスターがのんびりツッコンでいる。リンはしかし、気にも留めずにプイとそっぽを向いた。
「ぜ~ったいに、和真なんかに薫を渡したりしないんだから!」
「ええ~……で、でもリンちゃん、薫さんが誰を選ぶかは薫さんの自由だし、それに俺は……その。あんまり相手にされてなさそうだし……」
「…………」
リンはむすりとふくれっ面をしたまま、しばらく黙っていたけれど、やがてキッとばかりに和真を睨みつけて言った。
「さっき和真、薫とは去年のクリスマスに会ったって言ったよね!」
「えっ、う、うん!」
「だから和真なんかに薫を渡したりしない!」
「へぇッ!? 何、どういうこと!? 意味がわかんないんだけど!」
何も理解ができずに困惑していると、リンが怒ったような表情のまま続ける。
「薫、言ってたもん。和真と会ったのは一年半前だって!」
「え」
その言葉に和真は目を見開いた。
一年半、前?
一体、なんのことだ。
和真が考える暇も与えず、リンは畳みかける。
「やっぱり覚えてないんだ! 薫、和真は覚えてないだろうって言ってたもん! そんなサイテー野郎には薫を幸せになんかできっこないよ、ボクみたいに怒らせるだけだもん。薫のこと好きなんだったら、思い出してみなよ、薫のこと!」
「で、でも、」
「だって和真にとっては大したこと無かったから忘れてるんだろうけど、薫は覚えてるんだよ? 一年半前に会った日のこと! 何か特別なことがあったんじゃないの、薫と~!」
「ええっえっ、待って、一年半前でしょ?! えっと、今から一年半前ってことは……一昨年の年末年始ってことだから……え? 薫さんと会った? んん……!?」
和真は頭を押さえて、記憶を必死に手繰る。
薫とはリンにフラれた日に初めて会ったとばかり思っていた。だからこそ、知らない人物に優しくしてくれる、いい人だと感じていたのに。それより前に和真を知っていたとなれば、話が変わる。
けれど、薫と話すのは本当に初めてのような気がする。いや、薫が個人的にそう好みの男でないことは事実だけど、話せば多少は記憶に残りそうだ。しかし記憶に残っていないということは……。
不思議なことに、和真が頭を抱えている間リンはそれ以上何も言わずに待っていた。長い長い時間をかけて、和真が考え抜いてようやく、ひとつの出来事を思い出す。
そう、あれは、一昨年のクリスマス・イヴの夜。
「……あ!?!?!?」
和真は店内に響き渡る声で叫んだ。
「あの時の、お姉さん!?!?!?」
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