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第2話

 突然、降り出した雨。キミは夜空の下、道の片隅で誰にも見つけられないように蹲り怯えて震えていた。否、本当は誰かに見つけてもらいたくてそこに居たのかもしれない。  普段の俺なら絶対に声などかけなかっただろう。だが、その時の俺はただ誰か傍にいて欲しかった。いいや、違う……誰かが傍に居なければ息が出来ないほど孤独だったのかもしれない。 それ程……人の温もりが恋しかった。  震えるキミにそっと手を差し伸べる。その手に触れたキミの指先は氷のように冷たくて。俺の熱を欲するみたいにキミは俺の指にキミの指を絡め、ゆっくりと立ち上がったキミが俺に抱きつく。  「オレの羽はアイツらにもがれて無くなってしまった……」  そう俺の耳元で呟き意識を手放したキミを俺は両腕で受け止めたのだが、抱き止めたキミはとても軽く、その身体は冷え切っていた。キミは……此処に何時から居たのだろう?  オレはキミを抱き上げ自宅に連れて帰った。ベッドにそっとキミを横たえ、俺は暫くキミを見つめていた。時折、息苦しそうに胸を押さえ顔を歪ませるキミ。俺は少しでもキミを楽にしてあげたくて胸元のボタンを外す。サイドボードの照明に照らされたキミの肌は透けるように白かった。  怖い夢でも見ているのだろうか?酷い汗をかいているキミ。  「俺の羽はあいつらにもがれちまった……」  意識を手放す前に言ったキミの言葉を思い出した俺は一瞬躊躇ったが……このままでは風邪を引いてしまうと判断し、その汗を拭う為にシャワールームからタオルを手に取り戻って来ると、そっとキミの上体を少し起こし、まだ夢の中にいるキミの背中に視線を落とす。天使の羽の名残だと言われる場所に、白い肌を切り裂く二本の傷痕があった。  「これは……」  俺の唇から思わず言葉が洩れてしまった。その傷は完治していたが、鋭利な刃物で斬りつけられたのか傷痕は深く痛々しいものだったから。  ――この傷を目にしてはいけない  ふと……俺がキミの過去に触れることは許されないような気がして、キミをベッドに寝かせようとするといきなり首に抱きつかれた。不意をつかれた俺はバランスを崩し、キミに押し倒された様な形でベッドに横になる。  「ひと……り……は……いや……だ……」  俺に必死でしがみ付き、震えながら呪文の様に何度も同じ言葉を呟くキミ。だが、まだ覚醒はしていない様子だった。そんなキミを放って置くことは出来ず、俺はキミを抱きしめ  「俺がいる……俺が傍にいるからゆっくり休めばいい」  そうキミの耳元に囁く。俺の声が届いたのかキミは呟くのを止めた。それでもまだ震えは止まらなかったが、優しくキミの髪を撫でているとやがて震えは止まり、キミの穏やかな寝息が俺の耳を擽った。  重なった俺の胸にキミの規則正しく刻まれる鼓動。それはとても心地よく、まるで母親の胎内にいるような錯覚を覚えた。生まれる前の記憶。安らかな眠り。今まで感じたことのない安堵感。  俺の存在はもう暫くすればこの世から消える。けれど今……こうしてキミの生の鼓動と重なり合う俺の命の鼓動。とても不思議な気分だ。死と向き合わなければならない俺がキミの鼓動に生を感じていた。それはとても安らかで愛しく、出来るならこのままずっとキミの鼓動を感じていたいと思った。だが……それは叶わぬ事だと俺はわかっていた。  首にしがみ付いていたキミの腕の力が抜けるのを待って、俺はシャワーを浴びに行き部屋に戻ってくるとキミの姿はベッドの上になくて。キミのことが気になったが……俺はキミを探さなかった。キミを追い求めたところで、俺に残された時間は少ないのだから……。  キミの背中の傷を……否、キミの孤独に震えている心を癒してやりたい。出来ることなら……。つい今しがた、会ったばかりで名前も何も知らないキミなのに、そんな事を考えてしまう俺。けれど……誰かと繋がりを持つ時間は俺にはもうない。悪戯にキミを探したところで今の……これからの俺に何が出来る?そう考え直した俺は、まだキミの温もりの残るベッドに身を沈めた。  この時……もう一度キミに会えるとは思ってもいなかった。

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