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第3話

 俺は親父の顔を知らない。母ちゃんは17歳の時にオレを生んだ。若すぎる母ちゃんに一人で育てるなど到底無理な話で、既に両親がいなかった母ちゃんはオレを親戚の家に預けた。  望まれて生まれたわけじゃねえ、オレ。そんなオレが一つの家庭で長居することなんて出来るわけもなく、親戚中を盥回しにされて育った。淋しくなかったって言えば嘘になるけど、これがオレの人生なんだと諦めていた。  そりゃそうだろ?物心ついた頃には既に母ちゃんは傍にいなかったし、預けられたオレの扱いなんて変に余所余所しくされるか、冷たくあしらわれるかのどっちかで。諦めもするよ……ああ、オレってここにいちゃいけねぇんだなって。  けど、行く当てなんてどこにもねぇし、母ちゃんが迎えに来てくれるわけもねぇし。なんとか自立できる歳になるまで我慢するしかねぇよなって。  でも時々、母ちゃんがお菓子を両手に抱えて訪ねてきてくれてさ。手にしたお菓子のせいか、母ちゃんからは甘い香りがして。その甘い香りはオレの心を満たし、羽の様に柔らかな両腕に抱きしめられる時、オレはすげぇ幸せだった。  だけど……母ちゃんは恋愛の下手な人で、新しい彼氏と別れてはその淋しさを紛らわす為、オレに会いに来てると分かっていたけど、オレはそれでも……母ちゃんに会える事が嬉しかった。  そんなオレも中学卒業と同時にバイトを始め、なんとか独り暮らしが出来るようにった頃からかな……母ちゃんは何かあればオレんとこへ金を無心にやって来るようになって。オレはバイトで知り合ったヤツ等とバンドを組んでLIVEなんかもやってたけど、それで食っていけるほどこの世界は甘くもねぇし、だからと言って仕事で拘束されちまえばバンドの活動が出来ねぇじゃん?そんなオレだったから定職に就けるわけもなく、相変わらずバイトをしながらなんとか生計を立ててるのを、母ちゃんは知らないわけじゃねぇのに  「今度の男はちょっとヤバイみたいなの」  そう言いながら、まだ少女の様な何の屈託も無い笑顔をオレに向け、その男が作った借金をどうにかしないと殺されるとかなんとか理由をつけて、金をオレに無心する母ちゃん。  「今回ばっかは無理だよ、母ちゃん……」  オレの言葉に母ちゃんは顔を曇らせ  「悠……お願い、私にはあんたしかいないの」  そう言いながら泣いてオレの腕にしがみつく母ちゃん。オレは溜息を一つ吐き出すと同時に呟く。  「少し、時間が欲しい」  母ちゃんはそのオレの言葉で一瞬に笑顔になり  「だから悠が好きなの!」  ……と、オレに抱きついて頬にキスをして帰って行った。  LIVEからの帰り道、背中で揺れているストラトキャスターの重みを感じながら「コレ売るしかねぇか……でも、売ったところで大した金にはならねぇだろうけど……」と、どう金を調達するかを悩んでるとスマホが鳴った。  「悠、今すぐそこから逃げて!」  それは母ちゃんの声だったが、雑音が酷くその言葉以外は聞き取れねぇ。母ちゃんの身に何かあったのか?母ちゃんの番号にリダイヤルしてみても通じない。慌てて走り出そうとした時、オレの前を塞いで止まった車から出てきた男達に、オレは無理矢理車の中に押し込められてしまい、急発進をした車が向かった先は薄暗い倉庫の中だった。そこに……母ちゃんも居た。  「悠、ごめんね……ごめ……ん……ね……」  母ちゃんは泣きながらずっとオレに謝っていた。男達の中の一人がオレに近寄り、首を締め付けながら脅す。  「金がねぇんなら、体で返すしかねぇってのに……この女ときたら、お前が居るから日本からは離れられないとかなんとか抜かしやがってな。なんならお前が体売って金を返すか?お前なら金になりそうだし……な」  ねっとりと舐めまわすようにオレを見た後、ククッと喉の奥に含みをもたせたような笑いを向けてくる男の手を払い除け、オレは叫んだ。  「今はコイツしか手元にねぇ!コレを持って行けよ、少しは金になるだろっ!」  「悠、でもそれはあんたの大事な……」  母ちゃんの言葉は男がオレを殴る音で最後まで聞こえなかった。  「てめえっ、ふざけてんのか?こんなもんじゃ、足りねぇんだよ!」  そう叫んでストラトキャスターを投げつけようと男が手を振り上げた時、母ちゃんががその男の手から奪い  「これだけは止めて……これはだけは……!」  胸に抱きしめて守ろうとする母ちゃんに  「うるせぇ!この女……!!」  怒鳴りながら近寄るその手には……キラリと何か光るものが見えた。オレはその光から母ちゃんを守ろうと母ちゃんを抱きしめる。背中に鋭い痛みが走った。  「どけっ!」  男の声と共にもう一度、鋭い痛みが背中に走り、あまりの苦痛に顔が歪んじまう。  「悠っ!!」  オレの名を呼ぶ母ちゃんの声が酷く遠くに感じる。そして甘い香りと羽のように柔らかな両腕の感触が、背中を襲う痛みと共に遠のく意識の中で俺を包んでいた。  意識が戻った時は病院のベッドの上だった。母ちゃんがオレの命だけは助けて欲しいと頼んでくれたんだと思う。母親としてではなく女として生き続けた母ちゃんが、オレの為に唯一母親らしい道を選び、なんとかオレを人目のつく場所まで運ぶよう懇願してくれたのだろう。血を流し路地に捨てられていたオレは運よく発見され、病院に運び込まれたそうだ。もし、倉庫に放置されたままならオレは……間違いなく死んでいたと医者に言われた。  警察も動いてはくれたが、母ちゃんの行方はそれ以降、どんなに捜索してもらっても分からないままだった。もしかしたら……母ちゃんはもう、この世にいないのかもしれない。オレに残されたのは……背中に走る2本の傷と母ちゃんが守ってくれたこのストラトキャスターだけだった。  この背中の傷痕はオレの羽をもぎ取られた痕だ。オレを包む羽の様に柔らかな両腕を奪い取られた痕。  退院後、オレは今までの生活に戻ったが、最後に感じた甘い香りと羽の様に柔らかな両腕の感触を思い出す度に意識が遠くへ飛び、気付けば……あの時、母ちゃんが守ってくれたストラトキャスターを抱きしめ、そこが何処だか自分でもわかんねぇ場所で蹲り震えている。  オレはその間の記憶が……まったくねぇ。医者はPTSDからくるフラッシュバックだと言っていた。そして今夜もまた……オレはどっかに蹲っちまってたんだろう。それを哀れと思ったヤツが拾ってくれたのか?  「ここは……何処……だ……?」  見覚えの無い風景。暖かなベッド。誰も居ない部屋。そして……裸のオレ。  オレは慌てて床にあった服を着込むと、ベッドサイドに置いてあったストラトキャスターを抱きかかえ、誰の部屋だかわかんねぇ場所から逃げ出した。

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