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第5話
あの嫌味で高慢ちきな綾乃と呼ばれている代表が帰ってからオレは、担当になると紹介された綾乃 直樹と場所を変えて酒を飲んだ。
オレは呼び捨てでもいいって言ってんのに、絶対に譲らない彼。だから当てつけみてぇに「直樹サン」って呼んでやったら、「いや、それは……」でってそこも譲らねぇんだよなぁ。柔和な笑みを浮かべて話す割には結構、頑固っぽそう。だから仕方なくオレは直樹クンって呼ぶことにしたんだけどさぁ……。歳はまだ訊いてねぇけど……どう見繕ってもオレよか10は上の彼を直樹クンって呼ぶのはどうなんだよ?でも……絶対に折れそうにねぇしなぁ。でさ、彼を綾乃サンって呼ぶのも有りかな?とは思った。思ったんだけど……彼を綾乃サンって呼ぶ度にあの高慢ちきなヤツの顔が浮かびそうで。なんか、すげぇ憂鬱になっちまって。で、オレが「直樹サンでいい?」って訊いんだよな。そしたら「私はあなたの担当なのに私だけさんづけなのは……」って、また堅苦しいこと言ってくるから流石に呼び捨てには出来ねぇし「じゃ、直樹クンね」になったわけ。……って言うか、呼び方一つでああだこうだって言い合うのにオレが面倒くさくなったのもあんだけど。
で、話をしてる内にわかったんだけど、どうやら彼は……あの代表の綾野の兄らしい。そこんとこをもうちょっと突っ込んで訊いてみたくはなったけど、雰囲気的に「それ以上は話せない」って感じになったから、そこから先は踏み込むのは止めた。まぁ……オレにとっちゃ彼があの綾乃と兄弟だろうが、親戚だろうが関係ねぇし。
それよりも驚いたのは……、見た目とは違い音楽の話が出来る奴だった。こんなキッチリとスーツを着込んでるし、あの綾乃もスカウトしてきた割にはこの世界に疎かったから、彼もてっきり音楽とか興味ねぇだろうって勝手に思い込んでたから、出てくる言葉1つ1つがすげぇ不思議に感じて。
なんて言うの?興味が湧く?違うなぁ……そんなんじゃなくて、もっと……こう……あ!親近感?そう、それだ!オレなんかとは全然住む世界が違うだろう彼に、親しみを感じた。
オレが少し酔っ払って
「さっきの曲、どうだった?」
そう尋ねると
「あれはもう少しテンポを上げた方が良いのでは?コードの使い方は悪くはないと思うのですが……」
なんて答えが返って来てさ。もしかしたら……こっちの世界を齧ってた?なんとなくそう感じたけど……オレはあえて訊かなかった。
何でかって?その話をした後……ふと何かを考え込むように彼が左手を見つめていたからだ。オレが……まだ知り合ったばっかのオレなんかが……触れてはいけない何かがそこにある様な気がしたから。
「悠くん……」
時折、何かを訊きたそうにする彼。
「……なに……?」
久しぶりに上手い酒をご馳走になっ、て酔っ払ったオレは上目遣いで彼を見ると
「いえ……何でもありません……」
……って物言いたげな顔して黙っちまうから
「あのさ、これから直樹クンがオレの担当なんでしょ?なら……敬語はやめてくんない?」
そんな彼を酒の力も手伝ってからかうオレ。
「敬語を……ですか?」
少し、眉間に皺を寄せて真面目な顔で訊いてくる彼に
「そう!その敬語!!オレさ、苦手なんだよね……」
笑って答えれば
「では、努力してみます」
だってさ。それもいたく真面目な顔してだよ?今までオレが生きてきた中で出会ったことのねぇタイプの彼に、オレはもう笑うしかなくて。ゲラゲラと笑って酒飲んでたら……何時の間にかオレの記憶は飛んでた。
「痛っ」
二日酔いか……。頭が痛ぇ。カーテン越しの光がやけに眩しくて、直ぐに瞼を開けられねぇ。……って、え?オレの部屋のベッドって窓の近くにねぇはずだけど……。
一瞬、心臓が冷やりとする。痛む頭をなんとか騙しながら瞼を開けると……そこは昨夜、オレが逃げ出してきた場所だった。
「え?此処は……」
オレが驚いて辺りを見回していると背後から声がした。
「目が覚めましたか?」
その声の主は……直樹クンだった。
「え?あれ……オレ……」
バスローブに身を包んだ彼がフッと笑みをこぼしてから話し始めた。
「昨夜の悠くんはとても素晴らしかったです」
その言葉に今度は背中に冷や水を浴びたみてぇにゾクッとするオレ。嘘……だろ?え?オレ……マジで直樹クンと?焦ったオレがケツに手を回すのを見た彼は悪戯っ子みてぇな目をして笑う。
「冗談ですよ……。ちょっと、からかってみただけです。昨夜は散々、悠くんに笑われたので。ちょっとしたお返しです。飲んでいたお店で酔い潰れてしまって……悠くん家を知らないので、ここに連れてきました」
「じゃ、ここは直樹クンの……家?」
「そうですが……何か?」
「オレ、直樹クンとは初めて会ったよ……な?」
「…………」
「オレ……昨日の朝もここで目覚めた……」
「…………」
何も答えない彼にオレは……ここが昨日の朝、目覚めた部屋だと確信した。
オレの触れられたくない過去。もしかしたらオレは……一昨日の夜、彼に何か話してしまったかもしれない。どうしよう……どうすればいい?わかんねぇ。わかんねぇけど……昨日の……あの直樹クンからオレに向けられた、何か言いたげなそぶりは、このことっだったのか?
だから……か。オレの「初めまして」って言葉に彼が拘ったのは。なら……ちゃんと話すべきだよ……な?これから彼とは長い付き合いになんだし。オレは意を決意して彼に病気のことを話し始める。
「オレ……実は昔、ちょっとあってさ……。PTSDとかって医者に言われたんだけど……時々、記憶が抜け落ちる事があって……そうなっちまうと、その時のことは全く憶えてねぇんだよ」
そう言うと直樹クンは納得したのか口を開いた。
「そうだったんですね……」
やっぱオレ……何かしでかしちまったんだ。母ちゃんのこと……直樹クンに言っちまったかなぁ……。
「あのさ……オレ、そん時なんか言ってた?」
「いえ……何も。ただ……」
「ただ?」
「代表の綾野の前では……知らない振りをしたいのかと勘違いしていました。すみません」
そう言って謝る彼をオレは信じるしかなかった。その時の記憶が無いオレは……。
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