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第7話

警備員に軽く会釈をし、カードキーで認証を済ませると真っすぐ潤のオフィスに向かう。ノックをすれば「どうぞ」の声。ドアを開ければ、デスク前ではなくソファーに腰を深くかけた潤に促され、ローテブルを挟む形で潤の前に腰を下ろした。  「意外と時間がかっかたな」  その潤の言葉が解せない俺。  「あんたならもっと早く気づくかと思ってたけど。一ヶ月近くもかかっちまうなんて、予想外だった」  そう言われてやっと、潤の言葉の差す意味が解った。  「一条くんのことを代表は如何されたいのですか?」  単刀直入に話を切り出せば潤は不敵な笑みを浮かべ、人としての感情を失くしてしまったかのような発言を始めた。  「別に。あんたと一緒に潰れてもらうだけだけど」  「それは……!」  「それはもこれはもないって。言葉通り……そのまんまの意味」  「潤っ、お前!!」  「俺、此処ではあんたの弟じゃねえの。潤って呼ばないでくれる?」  「……っ!」  「資金が足りないって言うのは嘘。あんたを嵌める為に親父にそう言っただけ。それにあの……一条だったっけ?声はいいけど、あんな問題抱えてる奴をデビューさせるわけねぇじゃん?けど、あんたを弄ぶにはいいかな?と思ってさ。俺……あんたを甚振れんならどんだけ金使ってもおしくねぇの。この話、親父に言ってもいいよ?俺は痛くも痒くもねぇし。ただ……親父は悲しむだろうけど。せっかく、俺とあんたの仲が改善出来るって思ってただろうからさ。それに……あんた、長くねぇんだろ?なら、尚のこと……親孝行すべきなんじゃねぇの?」  「潤……お前、何処まで知ってるんだ?」  「だから、潤じゃねぇだろ?ま、いいけど……。何処までも何も……あんたが知ってること全部だよ。あんたさ……医者の守秘義務とかって言葉信じてたの?それとも、あんた……あの病院に親父が多額の寄付してるってこと知らなかったとか?あんたは如何思ってんのか知んねぇけど、俺も綾乃家の人間なわけ。今は代表でもあるしね、社員の健康状態は一応知っとくべきでしょ?」  そう言って笑う潤のあまりに身勝手で冷酷無慙な言い分に、俺は静かな怒りを感じた。……が、同時に哀しみも感じて。  潤をこんな風にしてしまったのは俺だ。俺さえいなければ……俺さえ生まれてこなければ、潤はもっと違う人生を歩めたはずだ。俺を恨むだけの人生ではなく、もっと幸福に溢れた人生を。  潤が弟である雅に向ける眼差しを見ていればわかる。雅を見守る潤の瞳は優しさに溢れていた。潤は……本当はこんな人間ではない。俺が生まれてきてしまったせいで……俺が綾野家に引き取られたせいで潤をこんな風にしてしまった。そして……キミを巻き込んでしまった。俺は……この世に生まれ来るべき人間じゃなかった。  膝の上に置いた掌が自然と拳になり、唇を噛み締めていると  「あんたの病気のことは俺しか知らない。親父や雅に話すつもりもない。ただ、三ヶ月間だけあんたには俺の奴隷になってもらう。どうせあんたは死ぬんだ。最後に母さんと俺の恨みを晴らさせてくれたっていいだろ?」  潤は顔から笑みを失くし、俺にそう言った。きっと……これが潤の本音なんだろう。潤が俺を奴隷のように使い、それで潤の恨みが晴らせるならいい。けれど……キミのことは別問題だ。  「わかりました。約束した期間は部下として代表の下で勤めさせてもらいます。ただ……一条くんの件は全ては私に一任させてもらえませんか?」  「違約金をあんたが払ってくれるんならいいけど。あんたなら払えねぇ金額じゃねぇだろ?」  「では……その旨の書類を用意して下されば、捺印と共に全額お支払いさせて頂きます」  「あっそ。じゃ、弁護士に頼んどく。あとはあんたの好きなようにすれば?」  「はい、そうさせて頂きます。では、失礼します。」  そう告げて立ち上がった瞬間、グラリと景色が揺れた。ジーッと低音の耳鳴りがする中、眩暈に襲われたが、潤に気づかれないよう俺は平静を保ちドアの外に出ると、壁を伝うようにして廊下を歩き、なんとか地下の駐車場まで戻り、ダッシュボードの奥に忍ばせてある薬を服用し、あとは眩暈が落ち着くのを待つしかなかった。  多忙な中でも、時間を作り定期的に受診はしているが、こんなにはっきりとした症状が出たのは初めてだった。思ったより、進行が速いのかもしれない。  「早ければ半年の場合も……」そう告げた医師の言葉が頭の中で何度も反復する。なら……尚更急がねば。キミまで俺の人生の闇に巻き込んではならない……絶対に。  眩暈が治まると同時に閉じていた瞼を開き、スマホを手に取った。画面をスワイプさせると、学生時代の友人である西川の連絡先を画面に出し、メールにすべきか電話にすべきか迷ったが、上手くいけば遅めのランチを取ってる時間かもしれないと思い、電話をかけた。八回ほどコール音を耳にし、あと数回のコールで駄目ならメールにしようと考えていたら「直樹さん?久しぶり!」と懐かしい声が電波越しに聞こえてきて。俺は西川の変わらない俺を呼ぶ声に一瞬であの頃に戻ったような気がした。  「何?如何したの?直樹さんから電話なんて……珍しい。もしかして……俺に頼み事?」  相変わらず、勘の鋭い西川にドキッとするが俺は恥を偲んで彼に相談を持ち掛ける。  「西川のとこで面倒みて欲しい子がいるんだ。名前は一条 悠って言うんだが……」  「え?何?直樹さん、今こっち系の仕事してんの?」  「数ヶ月だけなんだけどな。弟が起こしたオフィスの手伝いをしてて」  「もしかして……潤くん?」  「ああ」  「そっか……でも、何で?態々俺んとこで面倒みて欲しいの?」  「とにかく、素質はあるんだ。ルックスは甘めだけど、音感と声はいいものを持ってる。リズム感や感受性も豊かだから、レッスンさえ受ければダンスも演技も出来ると思う。 ただ……」  「ただ?」  「経歴と言うか……過去に色々とあって。」  「色々って?犯罪とかそう言うんじゃないよね?」  「ああ、もちろん。話すと長くなるんだが……その彼に犯罪経歴があるとかじゃないんんだ。母子家庭で育ったんだが、母親が行方不明で。おそらくもう……」  「死んでる?」  「多分……」  「そっか……で?」  「その時に受けた傷が体と心に残っていて……」  「日本じゃ、そう言うのはマズイって事か……」  「ああ。日本じゃその手の話はマスコミのいい餌食にしかならない。どんなに光る物を持っててもな。それはお前がよく知ってんだろ?」  「まぁ……そうだけど。」  「俺……その子には如何しても夢を叶えさせたいって言うか……」  「直樹さんが叶えられなかった夢をその子に重ねてるとか?」  「そうかもしれない……」  「そっか……わかった。今すぐ返事は出来ないけど、一度その彼の経歴とデモテープかサンプル音源送ってよ。それ聞いて考えさせてもらう。直樹さん、オフィスのアドレスは知ってる?」  「悪い、西川の個人的なアドレスか知らない。」  「わかった。じゃ、この電話切ったら送っとくから。返事には……そうだな1週間程もらえるかな?本格的にこっちで面倒見るなら、共同出資者の奴等とも話をつけなきゃいけないし」  「本当にすまない」  「何言ってんの?五年前……日本を出てこっちでオフィス構えたいって相談した時、直樹さんが俺の背中押してくれてなきゃ、今の俺はいなかった。それにはホント、感謝してるんだ。こうして仕事が軌道に乗れたのだって、直樹さんが伝手を使って色々かけあってくれたからだろ?俺が知らないとでも思ってた?」  「バレてたか……」  「はい、バレてました」  そう言って西川は笑うと「じゃぁ」と言って電話を切ったかと思うと、直ぐにメールが届いた。そこにはオフィスのアドレスと一言『もう、そろそろ自由になってもいいんじゃない?直樹さんは何も悪くないよ』と書かれてあって。潤とのいざこざには触れず、キミの事だけを伝えたはずなのに、西川には全てお見通しで。メールの文字を目で追いながら俺は……学生時代、音楽を通じて彼と知り合えた事は俺の人生にとって糧であり、彼は俺にとって親友と呼べる唯一無二の存在だと改めて実感する。  「ありがとう」心の中で呟いて車のエンジンを掛けるとアクセルを踏み込み、キミが待つ部屋へとハンドルを切った。

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