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第9話

 直樹クンが出て行って、すげぇ不安になったのは覚えてる。母ちゃんのこと、背中の傷のこと……直樹クンに全部話して、スッキリもしたけど……やっぱ、不安の方が大きくて。  こんなオレがデビューなんか出来るわけねぇよな?そう考えれば考えるほど、ソワソワしてきた。直樹クンは「大丈夫だから」って言ってくれてたけど、大丈夫って……何?  オレが隠してた過去。あんなのバレちまったら……契約なんて普通、破棄されるよな?違約金……オレに払えんのか?……って、絶対に無理に決まってんじゃん。それより契約破棄になっちまった……ら当たり前だけど、此処から出て行かなくちゃなんねぇよな?音楽続けたくても……バンドの仲間はもういねぇ。その上、直樹クンもオレの前からいなくなっちまうのか……。  直樹クン……。如何したんだ、オレ……ついこの前まで、独りでも平気だったじゃねぇか。直樹クンと一緒に暮らさなきゃいけなくなっちまった時、あんだけ面倒くせぇって思ったのに……今じゃ、直樹クンがいない時間とか考えられねぇなんて……なんか、笑っちまうよな。  この一ヶ月間、何をするにも直樹クンが傍にいて。初めは鬱陶しさの方が勝ってたけど、オレが嫌になって泣き言吐けば笑って宥めてくれる直樹クンにムカついたこともあった。あったけど……直樹クンが「頑張れ」って言ってくれると胸の辺りがなんか温かくなって……誰かに励まされるってことが嬉しいって教えてくれた直樹クン。  夜、ベッドに入る前に「おやすみ」って言われるだけで、一人じゃねぇんだって不安にならずに済んだ。朝、目覚めた時に「おはよう」って声をかけてもらうのが、こんなに幸せだって知らなかった。誰かと一緒に食えばコンビニの弁当も美味いんだって思ったし、曲を作んのだってアドバイスもらった方がいいもんが出来るって感じた。  全部……直樹クンが教えてくれたんだ。その直樹クンとオレ……離れないといけねぇのか?嫌……だ……。  そっから……記憶が飛んだ。気づけば……朝で。ベッドの上で目覚めたオレ。もしかしてオレ、あのまま眠っちまったのか?そう考えてみたけど……ベッドの中で目覚めたオレは裸で。いやいや、ちょっと待て。このベッド……って言うか、この部屋……直樹クンが使ってる方の寝室じゃん?まさか、オレ……不安になり過ぎて直樹クンの寝室で眠っちまった?嘘……だろ?  そこまで考えて一旦思考をリセットし、オレは薄っすらとある記憶を辿ってみる。不安で堪んなくなって、母ちゃんの形見を抱きしめたよ……な。で、直樹クンのあとを……うん、そうだ……追いかけて。そしたら雨が降り出して……雨宿りしようと思って蹲って……気づいたんだ。ああ、ここ……何時もの場所だ……って。オレ、やっぱまた何時もと同じでおかしくなっちまってるんだ……って思ったんだっけ。そんで……そうだ、直樹クンがオレを……抱きしめてくれたんだ。それから……温かな体温がオレを包んで。不安だった気持ちが急に治まって、母ちゃんが抱きしめてくれた時みてぇに、フワフワとした優しい気分になってさ。すげぇ……幸せな気持ちになったんだ。で……オレ、直樹クンにキスした。「ずっと傍にいて」って気持ちを込めて。そしたら直樹クンもオレにキスを返してくれた。なのに……なんで?目が覚めたら……直樹クンがいねぇの?やっぱ、オレ……夢……見てただけなのか?直樹クンと離れたく無くて。だとしたら……オレ、すげぇ恥じぃヤツじゃん。  穴があったら入りたいって思っちまったオレはブランケットを頭から被ると、ドアの開く音に混じって直樹クンの声が聞こえた。  「悠くん……大丈夫?まだ、寒い?熱は?」  とか何とか言って、被ってるブランケットを剥がしてオレの額に手を当てるから、オレの顔に一気に熱が行っちまって、真っ赤になったんだと思う。そのオレを見た直樹クンが慌てて、オレのおでこに直樹クンのおでこを当て  「やっぱり、風邪ひかせてしまったかな……」  なんて言うから、ああ……やっぱ夢じゃなかったんだなと確信したオレはそのまま直樹クンの首に腕を巻き付け、昨夜と同じみたいに直樹クンにキスをした。今度はちゃんとオレの想いも伝えて。  「直樹クン……傍にいて。もう……独りは嫌だ」  突然のキスに驚いたのか、直樹クンの眼が一瞬見開いたけど、オレの想いを言葉にすると笑みを浮かべ  「悠くんは独りじゃないよ。大丈夫、俺が傍にいるから。俺が悠くんを守るから」  そう言ってくれた。直樹クンがくれた言葉がすげぇ嬉しいのに……何故かオレの胸は苦しくなっちまって。子供が母ちゃんに甘えるみてぇに、オレはそのまま直樹クンの胸に顔を埋めて泣きじゃくっちまった。そんなオレを直樹クンはずっと抱きしめて、オレが泣き止むまで背中を擦ってくれてた。  この時、オレは……心のどっかで直樹クンがいなくなっちまうのを感じとっていたのかもしんねぇ。だって……直樹クンからオレにキスを返してくれなかったから。  オレがどんなに求めても、直樹クンはオレを……。だって、そうだろ?オレも男で直樹クンも男だ。男のオレがどんなに直樹クンを好きだと思ったって、その想いを受け入れられるか?それは……無理だよな。  昨夜はきっと……オレが弱ってたからだ。だから直樹クンもオレに……。それに、オレと直樹クンの関係は薄っぺらい契約書で結ばれただけのもので。その紙切れすら、今じゃ無効になっちまうような関係だ。そんなオレを直樹クンが……好きになってくれるはずなんかねぇよな。  期待は何時だってどん底に突き落とされるもんだって、小っせぇ頃から痛いくれぇこの体に刻み込まれて知ってんだろ?今頃、知りましたって面すんなよ……と、オレは泣きながら自分に言い聞かせてた。  そして、それは……現実となる。いや……ちょっと違うか。オレの人生としてはどん底じゃなく、寧ろ上向きになったのかもしんねぇ。だって、このオレがニューヨークに行くことになっちまったんだから。それも、直樹クンの友人が全面的にバックアップしてくれて。  直樹クンがニューヨークのタイムズスクエアにオフィスを構えるその友人に、オレのデモテープを送ってくれたそうだ。オレの歌声とパフォーマンスを見て、こちらでデビューさせたいって言ってくれたとか。  「違約金も含め、全て話はついてるから、あとは悠くんが渡米して引き続きレッスンと……あ、英会話のレッスンも増えるけど……悠くんなら頑張れるはずだから」  そう言って微笑んでくれた直樹クン。けど……オレはちっとも笑い返すことができねぇの。この二十一年……生きてきたオレの人生の中で最大のチャンスが目の前にあるって言うのに、直樹クンと離れちまうことの方が苦しくて……笑えねぇんだ。オレの為に直樹クンがここまでしてくれたってのに。ホントなら「ありがとう」って言って笑って答えなきゃなんねぇのに。オレ……ちっとも嬉しくなんかなれなくて。自分でも最低なヤツだって思う。思うんだけど……勝手に話を進めてた直樹クンにまでムカついちまって、気づけば勝手に唇が動いてた。  「直樹クンは……オレが嫌になった?こんな体にも心にも傷抱えたオレなんか手放してしまえってか。だから……オレをどっかにやっちまうんだな。直樹クンがオレのこと、デビューまで見てくれるんじゃねぇの?オレのこと、独りにしねぇって言ったのは?傍にいてくれるって言ったのは嘘なのかよっ!守ってくれるって約束は?全部、口先だけだったのかよっ!」  勝手に凹んで、勝手にムカついて、ここまでしてもらっといてもまだ暴言を吐き、礼儀も何もないオレなのに……直樹クンは決して怒ることもなく「ごめん」と呟いた。  その「ごめん。」の意味をもっと考えるべきだった。そして、睨みつけるオレを抱きしめ「好きだよ」と伝えてくれた直樹クンの気持ちの裏に何があるのかも。「オレも直樹クンが好きだ」って泣いちまったオレを抱いてくれた直樹クンの行為に秘められた想いも。  この時、もっとオレがちゃんと考えてさえいれば……オレは直樹クンの最期を……。直樹クンが本当にオレを必要としてくれてた時に、オレは直樹クンの傍にいられたかもしんねぇ。  ステージの上でライトを浴び、割れんばかりの拍手の中にいても孤独を感じる時……何時だってオレが振り返るのはあの時のオレだった。  幸せなはずなのに。こんなたくさんのファンに囲まれて、スタッフにも恵まれて……独りじゃねぇのに。けど……オレは……やっぱ、直樹クンといたかった。ずっと、直樹クンの傍にいたかった。それが許されねぇって言うんなら……せめて直樹クンの最期の時ぐれぇは……直樹クン、オレ……直樹クンの傍にいたかったよ。  なぁ、直樹クン……どんなにステージの上でライトを浴び、割れんばかりの拍手の中にいてもオレ、やっぱ直樹クンが傍にいてくんねぇと淋しいよ。ファンに囲まれても、スタッフに恵まれてもオレ……不安になっちまうし孤独を感じちまう。そんな時、何時も思い出すのは……直樹クンがオレに向けてくれた笑顔と、オレに教えてくれた優しさと温かさなんだ。  直樹クン……もう一度だけでいいから会いてぇよ。好きだよ……直樹クン。夢ん中でもいいから会いに来て。そんでオレのこと「大丈夫だよ」って抱きしめて。

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