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7,オメガの人生1
純と話をしてから、響は一人で悩んでいた。
———このことを相談できる人がいるだろうか。
東城か、殿坂に、もしくは、特別クラスの担任に言ってみたらどうだろう。クラス担任は栞ノ葉学園にとっては外部の人間にあたり、第二次性はベータ。特別転入組の生徒が卒業すれば、クラス担任も共に学園から去る。
だが、話は聞いてくれても解決策には繋がらない。秘密を守ってくれる確信もなかった。クラス担任も今は組織の人間。クイーンの存在を黙認している一人だもの。下手に話せば学園側に漏らされないと限らない。
「はあ、どうしよ」
溜息を吐き、廊下を歩いていると、無意識に中庭の花壇へ視線が向いた。響はいつもそこで仕事をしている用務員の姿を探していた。
誰かに話したいけれど、話せる人がいない。そんな時に頼っていた人物だった。
———いた。今日もいる。
用務員はこの学園の人間じゃないから、話をしても害はないだろう。響は階段を駆け下りて中庭に出た。
「おじさん!」
声をかけると、用務員の[[rb:小野 > おの]]が枯葉を掃いていた手を止めた。
「こんにちは、斎藤くん。久しぶりだね」
「お久しぶりです。あの、中庭掃除、俺も手伝います」
小野はこの申し出が、響が教室から抜け出し、中庭に逃げ込むための口実であると知っている。小野は微笑んで、「お願いしようかな」と箒を手渡してくれた。
レンガ敷きの地面を無造作に掃きながら、話を切り出すタイミングを考えた。「あの」と思い切って口を開くと、小野がじっと響の顔を見ていたと気がつく。
「・・・・・・なんですか?」
響は首を傾げる。
「ん? いいや、ごめんね、すごく難しい顔をしていたから心配になって。ヒートや体調の悩みならきくよ? じつは、俺も斎藤くんと同じなんだ」
「同じ・・・・・・、えっ、もしかしておじさんもオメガ? オメガなのにアルファだらけの場所で働いていて大丈夫なんですか?」
「うん。俺には番がいるから、ほら」
小野はそう言い、用務員服の下に着込んでいたハイネックを下げてうなじを見せる。
「ほんとだ。噛み跡がある・・・・・・」
はじめて目にする番の証。
「なんだか、あんまり見られると恥ずかしいな」
「すみません・・・・・・」
視線を逸らすと、小野は噛み跡を隠した。
「それ、どうして隠すんですか?」
響は番がいればフェロモンで襲われる心配はなくなるのにと訊ねた。
「そうなんだけどね、これを見せたらオメガだってバレてしまうだろう? オメガってだけで襲ってくるやつもいるから気をつけろってパートナーに言われてるから」
彼のパートナーの言うことは正しい。響は中学のときに自分を襲ったクラスメイトを思い出した。
「斎藤くんはオメガだよなぁって思ってたんだけど、確証がなかったから言えなかったんだ。でも今日久しぶりに会ってプロテクターをしてたから打ち明けることができた。黙っててごめんね」
「いえ・・・・・・」
中庭に来るようになったのは東城と仲違いをしてからだった。クラウンで抱かれたあとの不快な気持ちを晴らすために、小野の存在はありがたいものだった。
そして同時に、東城と何気ないお喋りをしていたあの時間を自分は本当に大切に思っていたんだと、改めて気づく。
その後殿坂のおかげでクラウンのメンバーに抱かれなくなって、クラスメイトとも打ち解けられるようになってからは、中庭に来る必要もなくなったんだ。
「・・・・・・いいアルファのパートナーに出逢えたんですね」
「まあ。口うるさいけどな。大事にしてくれてる」
小野は照れたように鼻をこする。
アルファに傷つけられた純と、アルファと幸せに暮らしている小野。アルファをまだ深く知らない響。意地悪な神様のはからいに、教えを乞うべきはどちらかと逡巡した。
———またここでも二つに一つ。
うんざりしてしまいながらも、響は小野に聞いてみたいことがあった。
「おじさん、聞いてもいいですか?」
「もちろん。なんでも聞いて」
「自分の身体のことじゃないんですけど・・・・・・」
はっきりとしない響に、小野は「うん」と相槌をうつ。
「おじさんはアルファの人間が好き? 嫌い?」
「ははっ難しい質問だな。そうだなぁ、パートナーがじゃなくて、アルファがなんだもんな?」
響がこくりと頷くと、小野はじっくりと考え込んだ。
彼が答えを出してくれるのを大人しく待ち、響は手持ち無沙汰で首のプロテクターを弄っていた。革地の下に手を入れて、うなじに触れる。
小野のうなじに見た歯型を思い浮かべて指先を滑らせていると、答えにならない答えが返ってきた。
「ごめん、わかんないわ」
響が首を傾ぐと、小野は言い直す。
「というより、嫌い一択だったんだけど、最近はわからなくなってきたかな。俺も今のパートナーと番になれるまでは、胸糞悪い思いも悔しい思いもたくさんしてきたし、そういったアルファは今でも嫌いだ。でもパートナーのことは愛しているし、彼の友人たちも自分の嫌いなアルファとは違った。彼らと過ごしていると、俺のアルファへのイメージが塗り替えられていく。出逢ってみると悪いやつばかりじゃないよ、アルファも」
その答えに深く頷いた。
「そう、ですよね・・・・・・俺もそう思います」
自分にとっての東城と殿坂がまさにそうで、純はそんなアルファに出逢えなかった、それだけの違い。されど大きな違いだ。純の言い分はしごく真っ当で同情もする。でも響は純ほどアルファに対して冷徹になれない。
純に指摘された男としての自分。それはこれからもたびたび顔を出すのだろう。アルファに抱かれる自分を嫌に思う瞬間もあるのかもしれない。けれど今の自分は望んで抱かれたいと思っていて、どんなときでも東城と殿坂は響本来の姿を尊重してくれると信じている。
大切に想ってくれているのを知っているから、信じられる。
響は大学での会話を思い起こす。学園に関わる人間はどうなるのかと最後に問うたとき、言葉を濁されたことがずっと気にかかっていた。この懸念を無視したまま協力はしちゃいけない。
なにより東城と殿坂を巻き込んで、危険に晒したくない。自分の無責任な行動で取り返しがつかない結果になったら、自分は絶対に後悔する。
「ありがとう、おじさん。解決した気がする」
神様の采配はきっと吉と出たはず。響は小野にぺこりと頭を下げる。
「それは良かった。おじさん斎藤くんに会えないと寂しいから、また、たまに寄ってくれよ」
「うん、また来ます」
箒を返し中庭を出ようとすると、響のスマホが鳴った。
「誰だろ」
画面に表示されている知らない番号に、響は眉を顰めた。
「はい」
不審に思いながら電話に出る。
「響くん」
電話越しの声に、背筋が粟だった。
「・・・・・・純さんですか?」
「うん、よくわかったね。今いいかな?」
電話番号を勝手に調べられていたとしても、もはや驚かない。響は「ちょっと待って貰えますか」と断りを入れて場所を移動した。
中庭から離れ、スマホにふたたび話しかける。
「純さん、俺やっぱり」
響は丸め込まれる前に先手を打とうとした。できないと言うなら早いほうがいい。重要な役割を担った自分が降りれば、純は計画をやめざるを得なくなる。
「できないんだね。そ、わかった。残念」
響が意気込んで言ったことに、純は動揺をみせなかった。引き留められることなくあっさりと退かれて、呆気に取られる。
「・・・・・・俺が協力しなくていいの?」
「だって嫌なんでしょう? なら仕方ないよ」
冷や汗が背中を伝った。その口ぶりからすると、きっと彼の計画は終わりにならない。
「あのね、響くん」
純は続けた。
「響くんに声をかけたのは、それが最善手だったからってだけだよ。君がいなくても、他に腐るほど手は考えられる」
だから君の協力がなくても問題ないよと、純は通話を切ろうとした。
「や、やめて」
響は咄嗟に口にした。
「なに?」
「学園をめちゃくちゃにするのは、やめてほしい」
声が震えた。
「響くんが学園を庇う義理なんてあるのかな?」
厳しい口調で問われ、響は奥歯を噛み締めて答える。
「関係のない人を巻き込むやり方は間違っています」
「・・・・・・っふ、ははっ。それを言って格好がつくのは正義のヒーローだけじゃないかな? でも残念。オメガは正義のヒーローにはなれないよ。底辺にいる僕らは、せいぜい助けを待って泣くことしかできない。それに『関係のない人を』って言った? ふ・・・・・・、笑わせるね。そんな奴は栞ノ葉学園に一人もいない」
冷ややかに笑った彼の声が、さらにさらに氷点下まで落ちていく。凍てついた言葉が横殴りの雪のように響の鼓膜に打ち付けた。
「クイーンの存在は外部には隠蔽されているんだよ。響くんだって、転入前に知らされていなかったでしょ? 知ってたらこんな学園に来ないもんね。でもね、響くん。隠蔽しているのは、学園職員、学園生徒全員の『意思』。なぜならクイーンを隠せと学園側はいっさい強要していないんだよ。口をつぐむのは社会的に非難される自覚があるからだ。自覚があってなお、誰もオカシイと声を上げない。非難されることをしてもアルファが行っているならば『正しい』と信じて疑わない。栞ノ葉学園の人間はひとり残らずクイーンを見殺しにしている同罪だ」
響は奥歯を噛み締める。駄目だ。どこまで行っても平行線。
純の言っていることは、痛いくらいによくわかった。
同じオメガとしてはじめて気持ちを重ねられたこの人のことを、救ってあげたいと思う。悪いアルファばかりじゃないと、小野に言ってもらった言葉を、彼にかけてあげたいと思う。でも言ったところで、きっと伝わらない。自分は彼に何もできない。
自分ができることがあるすれば、東城と殿坂を被害から遠ざけること・・・・・・。
沈黙のあいだに、純は落ち着きを取り戻していた。耳に当てた薄っぺらな機械の向こうから、凪いだ声が聞こえてくる。
「それでも庇いたい人がいるなら、むしろ協力することをオススメするけど。どうする? 協力してくれたら、響くんの愛しのアルファだけは目をつぶってあげる」
その声を聞き、上手く転がされてしまったのだとハッとする。知らぬうちに響の選択肢は奪われていた。美しいオメガの囁きに従う以外の道はない。
「・・・・・・わかりました。協力します」
「交渉成立だね。響くんのスマホにキング候補の写真とプロフィールを送ったから、通話を切ったら確認して」
響が頷くと、通話は切れた。通話画面を閉じると、メッセージのお知らせマークがアプリの右上にピコンと付いている。アプリをタップし、響は限界でしゃがみ込んだ。
———どうしよう・・・・・・。
協力すると言ってしまった。けれど何もしなかったら、誰も救えないし守れない。たぶん正しい道じゃないけれど、自分がやらないといけない。
ことの重大さに頭が痛くなる。オメガってこんな役回りだっただろうか。
今度誰かに弱い立場だと罵られたら、そいつをぶん殴ってやる。てのは冗談だが、静かな生活をことごとく邪魔してくる神様には文句を言いたかった。
響は一晩かけて心を決めた。
気乗りはしない。できることなら辞退したいが、東城と殿坂について悩むよりはましだと思うことにする。二人のためにするのだと思えば、気持ちも奮い立つ。問題は誰から口説き落とすかということ。
———使うべきものを使えばいいんだよ。
純の言葉の意味は身体を使えということに他ならなかった。だがその点に関しては楽観視してよいかもしれない。純から送られてきたキング候補のプロフィールを確認してみると、まるで絵に描いたようなアルファで、キングとしても申し分ない家柄の生徒だった。
これまで目立った顔を見せたことがなかったのは、純が最近になって紛れ込ませた人間だからだろう。
響たちが栞ノ葉学園に来る少し前に転入してきたという設定の帰国子女。外国に数多の資産を所有する富豪の息子だという。書類上はどうとでも言えるために嘘かほんとかは怪しいが、社交界にも顔が広くリーダーシップに優れると記載がある。
まさに加賀美の弱点をついたアピールポイントだ。
芸術家で自由人の加賀美はどちらかと言えば、キングには不向き。独特のオーラに一目置かれつつも、同級生や下級生からは一歩引いた目で見られていた。そこにより統率力のある者が現れたら、自然と皆の気が変わるのではないかと響は踏んでいる。
ただ、色目を使わないにしても、響自らがクラウンに近づいてしまったら庇ってきてくれた殿坂に面目が立たない。不快な思いをさせてしまうだろうし、嫌われてしまう可能性もある。ギリギリまで隠密に、殿坂には最後にお願いをすることにしたい。
その放課後、響は職員ルームに向かった。殿坂には秘密だが、東城には事前に伝えておこうと思っていた。
自分一人の判断ではどうしても心許なくて、迷ったけれど信頼できる大人の意見を聞きたかった。というより、背中を押してほしいのかもしれない。
東城は学園側の人間だが、響の絶対の味方。響の不利になるようなことは絶対にしない。きっと優位なアドバイスをくれる。そして変な誤解をされないためにも、自分がしようとしていることを知っておいてほしかったのだ。
「すみません、東城先生はいますか?」
響は職員ルームの中を覗き込み、手近にいた教師に訊ねた。
「東城先生は・・・・・・」
訊ねた教師は室内をぐるりと見回してくれる。
だが見た限り、東城の姿はなさそうだ。
「いないね」
「どこにいるか、わかりますか?」
「うーん、この時間だとまだ担任しているクラスにいるかもしれない」
東城のクラスは・・・・・・と響が思い出そうとしていると、「何か伝えておこうか?」と声をかけてもらった。響は行き違いになったときのために、自分が探していたことを伝えてもらえるように伝言を頼んだ。
ついでに東城のクラスを教えてもらって、そちらへ向かおうと踵を返し、ちょうど中へ入ってきた生徒とぶつかった。
「わ、ごめんなさい」
「いや、こちらこそ。響」
どきりとして相手の顔を見る。
「あっ」
そこにいたのは、樫木田蒼。クラウンのナイト。
樫木田は視線を外して横を通り過ぎる。その後ろ姿を目で追った。彼は響の知らない教師のデスクまで行き、話しをはじめた。
よく話をしにきているのか、教師の表情はフランクだった。彼も朗らかに笑って返している。ときどき通りかかる別の教師から話しかけられることもあり、樫木田の姿は教員のなかにとても馴染んで見えた。
———樫木田ならまともに話を聞いてくれそうじゃないか? と、ふいに思い立つ。
響の個人的な感想だが、樫木田はクラウンで唯一の常識人。言葉で表すとしたら、知的で温厚。気が短くてすぐにカッとなる殿坂をなだめ、突拍子もないことを言い出す風間を諭し、ふらふらと自由な加賀美のお守りをする。
じつのところ、クラウン内の舵取り役を担っているのは彼なのではとも思う。
クイーンであった響を抱いていた際も上手く空気を読み、ポーンや他メンバーの暴走をセーブしてくれていた。
響は職員ルームの外へ出た後、東城のクラスへは向かわずに出入り口の脇で待った。スマホをいじっていると数分で樫木田が姿を見せたので、彼を追いかけた。
「樫木田・・・・・・!」
呼びかけると足が止まる。響が駆け寄ると、樫木田は口を開いた。
「やけに俺のことを見てるなとは思ってたけど、話しかけられるとは思わなかったよ」
あまり顔には出ていないが、声色に驚きが滲んでいた。
余計な説明は省き、響は単刀直入に樫木田を誘う。
「・・・・・・話したいことがあるから二人きりになりたい」
「話したいこと? 俺と二人きりになって殿坂は平気なの?」
「殿坂には内緒、駄目かな」
自然と上目遣いになる身長差。緊張感でどんな顔をしていたのかわからない。だが樫木田は笑みを見せ、「いいよ」と返事をしてくれた。
「こっち、ついて来て」
「うん」
樫木田について行くと、連れられた場所は図書室だった。栞ノ葉学園には第一図書室と第二図書室とあって、連れて来られたのは第二の方。第二図書室の中は古い紙の湿気った匂いが鼻をついた。本棚には小難しい本ばかりが並んでいる。
人がいるのではないかと懸念したが、こちらの図書室は人気がないのかもしれない。「よく来てるの?」と樫木田に聞くと、「落ち着くから」と返事がかえってくる。
「図書担当の教師もこっちには滅多に来ないから、ここならゆっくり話ができるよ」
戸が閉められ、図書室は二人きりの密室になった。たちまち心臓がうるさく鳴る。
冷静に。やましいことをしようというのではない。話をしにきたのだ。
響は窓辺まで行き、外を眺める。すると突然カーテンが引かれ、目の前の景色が遮断される。
「・・・・・・え」
「殿坂にバレたくないんでしょ? 念のため。外から誰かに見られたら、キングに伝わるのは一瞬だよ」
「たしかに、そうだね」
胸を押さえて、なんとか返事をする。逆に捉えれば、ここで何をされても外から見えなくなったということでもある。
緊張感がサッとよぎったが、樫木田は響に触れず、離れた椅子に腰掛けた。
「それで話って?」
話を聞く姿勢を見せてくれ、ほっと胸を撫で下ろす。
「うん、話したかったのは新しいキングのことなんだ。選出するの、もうすぐだよね」
一瞬、樫木田の目が鋭くなったように感じた。
「・・・・・・それ誰から聞いた?」
「え?」
「殿坂は、響には言わないつもりだって話していたけど」
紳士な樫木田を選んだのは間違いではなかったが、自分のうっかり発言のせいで序盤からまずい展開になった。
どうやって誤魔化べきか焦る。天と地がひっくり返っても「純さんから・・・・・・」なんて言えないし、と、その瞬間、慌てふためく響の頭に美しい純の声がふっとよみがえる。
———クイーンの響くんも幹部の一人、新しいキングを指名する権利があるんだよ。
どきどきと早鐘に鳴る心臓を押さえ、響は口を弾き結んだ。殿坂は権利のあるはずの自分を外した。ぶっちゃけた話、純のことがなければ、「あっそ」と聞き流す程度の話だが、今はこれを使わせてもらおう。少々強引でも誤魔化せればなんでもいい。
「誰からだろうと関係ないだろ! 俺にも選ぶ権利があるのに隠すなんて酷い」
「は?」
ここは勢いが大事だ。引き続き声を荒げる。
「キングだけじゃなく、みんなして俺を除け者にしやがって・・・・・・っ! 俺だって、俺だって、クラウンの一員なのにぃっ!!」
「お、おい、わかったから静かにっ、しーっ」
樫木田は目元を引き攣らせて人差し指を唇に当てた。結構な大声をあげたので、図書館の外に響き渡っていたかもしれない。思惑どおり、普段のツンと澄ました響とのギャップに目を丸くしている。
響は樫木田の隣に座り、あと数センチで密着するという距離まで身体を寄せた。
「・・・・・・俺もちゃんとクラウンのことを考えたい。頼れるのは樫木田しかいないんだ」
「響・・・・・・」
———すごいな。純の言ったようになっている。響は心の中でほくそ笑んだ。
「俺の話、聞いてくれる?」
響が首を傾げると、樫木田は喉をごくりと鳴らす。
「話してみてよ・・・・・・」
樫木田の声に熱っぽさが帯び、響は少しだけ怖気づいた。アルファに本気で迫られたら自分は勝てない。しかし食らいついてきた獲物を逃したくない。
「怖がらないで、何もしないよ」
彼の言葉を信じて、頷いた。
「樫木田は新しいキングに加賀美を推薦するの?」
「うん、どうして?」
「・・・・・・新しいキングに相応しいひとを見つけたんだ」
「ふぅん、加賀美は相応しくないと思うの?」
「や・・・・・・なんてゆうか、加賀美は縛られるのとか嫌いそうだから、人を引っ張っていく感じじゃない」
響がそう言うと樫木田は眉を顰め、苦笑いをした。
「あー、それはわかるかもな」
違和感を感じてしまうくらいに、スルスルと会話が流れていく。けれど滞りなく進むことは響にとって好都合だった。
「でしょ? 今後のクラウンのためにも、俺は加賀美じゃなくて彼を応援したいんだ。でも俺一人じゃ無理だ。だから樫木田の力を貸してほしい」
気合を入れた渾身の一撃。魅力的かどうかは別として、手を握って目を見つめてみる。樫木田は響を見つめ返しながら、口元を綻ばせた。
「そうだなぁ・・・・・・、———どうする? 恒平」
瞬く間に血の気がひいた。
まさかと周りを確認する前に、第二図書室の奥から眠たそうな声が聞こえる。
「響センパイもひどいこと言うよね。まあ、間違ってはないんだけどさ」
ゆったりと加賀美が歩いてくる。ゆるく団子にしたルーズな髪型、ウェリントンの洒落た伊達メガネ。制服は気が向いたときにしか着ていないらしく今日も私服だった。
「うそだろ・・・・・・」
二人から離れようとしたが、樫木田に「おっと」と腰を掴まれ引き戻される。
「やっ!」
「言っておくけどわざと盗み聞きしてたんじゃないよ。俺はいつもこの場所で昼寝してんの。といっても蒼がここを選んで連れてきたのはわざとだね」
加賀美は笑いながら、響に顔を近づけた。
「ずいぶんと生意気な口を聞いてくれちゃってさ。こう見えても俺って芸術家だから、けっこう繊細なの知らなかった? センパイのせいで、ナイーブな俺の心は傷ついてズタズタだよ。自分がどういう立場にいるのかちゃんとわかってる? わかってないよね。わからせるためにお仕置きしてもいい? センパイ?」
「・・・・・・わからせるって」
「決まってるでしょ、オメガがなんたるかを身体に教えてあげるよ」
加賀美の手が、首のプロテクターに触れる。
「クソダサい首輪なんてつけはじめたから、少しはオメガらしくなったかと思えば、まだまだ自覚が足りないんじゃないかな。密室にされたら全力で逃げないと。ねぇ?」
面白おかしそうに加賀美は樫木田に目配せした。
「ああ。図書室中にフェロモンを充満させて、襲ってくださいって言ってるようなもんだよ」
鼓膜を揺らす声はすでにオメガのフェロモンに影響を受けているのか興奮して低い。
「だって、でも、そんなふうに感じなかった」
響は身体が震え出した。
「あはは、もしかして本気で信用してくれてた? だったら申し訳ないね。悪いけど、俺と恒平は付き合いが長いんだ。響の役には立ってやれないな」
樫木田の手が腰を這い、不快感が背中を走る。
「っ、やめろっ、俺に手を出して平気なのか? 殿坂に何され・・・あぐっ!」
いきなりプロテクターを後ろにグインッと引っ張られ、喉が締まった。
「ひ・・・・・・ぐッ」
「うるさいよ」
後ろにいるのは加賀美だ。息ができずに、響の目から生理的な涙がこぼれる。
「キングのお気に入りだからって偉そうに。ちょうどいいや、柊生さん一人にオメガを独り占めされてムカついてたんだよね」
加賀美はそう言うと、響のうなじに鼻を埋めた。
「はー、いー匂い。やっぱり定期的にこれを嗅がないとやってられない」
「恒平、そろそろ手を離してあげなよ。息ができなくて響が死んじゃいそうだよ」
「あ、ごめんねセンパイ」
ゴミを捨てるようにプロテクターごと突き飛ばされ、響は床に倒れ込んだ。
「は、はあ、ごほっ、・・・・・・やめて、ゆるして・・・・・・」
ヒューヒューと懸命に息を吸った。咳き込みながら、カタカタと身体が震える。
「それもごめんねセンパイ。聞いてあげられないや」
二人がかりでうつ伏せに組み敷かれると、ごりっと硬いものを擦り付けられた。
「ちょっと前までは大勢に抱かれても屁でもなさそうだったのに、センパイいい顔するようになったね。怯えちゃって、可愛い。ここもちゃんとオメガ仕様に変わった?」
「ヒッ」
トントンと後孔を指で叩かれ、響は身体を強張らせた。
「ねぇ、蒼。もう挿れてもいい? 久しぶりだから我慢できないよ・・・・・・」
上からのしかかるように動きを封じられ、尻の狭間に太くて長いペニスがグイグイと押しつけられる。
「俺じゃなくて響に聞いてやりなよ」
「響の許可なんていらないって。オメガの孔はアルファを受け入れるためにあるんだって蒼も言ってたじゃん。どうせ毎日、柊生さんとやりまくってんだから」
「ふ、そうかもね、じゃあ好きにしなよ。そうだ、風間も呼んでやろうか。ありったけのポーンを連れてこさせて、皆んなで響を可愛がってあげよう」
「や、やだっ」
樫木田がスマホを耳に当てるのを見て、響は手足をバタつかせて暴れた。だが抵抗しても虚しくズボンと下着が降ろされ、双璧を荒々しい手つきで揉み込まれる。
「ア、やめて・・・・・・やだ・・・・・・」
ぎゅっと閉じた窄まりにそれが充てがわれ、体重がかけられると、侵入してこようとする加賀美を響のぬかるみはじわじわと呑み込んでいく。
「あ・・・・・・、やあっ」
「はっ、嫌がってるわりに、ぐっしょぐしょ。すんなり挿いるよ」
太い部分を収めきり、加賀美は息をついた。
「やばいね、やっぱオメガのここは最高。久々でぶっ飛びそう」
「・・・・・・ふ、うう」
———犯された。最悪だ。自分の好きな体温とは違う、熱く脈打っているそれが気持ち悪くてたまらない。
だが加賀美が腰をわずかに突き上げたとたん、響の身体に異変が起こった。
「・・・・・・あ、あ、ん」
なんだコレ、あっつい。気持ち悪いのに、あっつい。
「効いてきたな」
「アッ、アッ、何・・・・・・した・・・・・・?」
「さっき、首絞めたとき、特注の発情誘発剤を打っておいた」
どぷっと溢れ出した愛液を、加賀美が音を立てるようにかき混ぜる。卑猥な音が耳を犯し、心を抉ってくる。
「や、やだぁ・・・・・・ひ、ンアあッ」
感じたくない。———感じたくないのに、響の口からは媚びるような声が出た。
これ以上は挿れられたくない。お願い、やめて。腹の中を掻き回さないで。ぼろぼろと涙を流す響を、風間との通話を終えた樫木田が覗き込む。
「ふ・・・・・・う・・・・・・んう」
「あーあ、泣いちゃった。やっぱオメガはこうじゃないとね。なぁ響、『お願いします、優しくしてください』って可愛く俺らに言ってごらん? そうしたら人を呼ぶのはやめてあげる」
響は絶望的な目で樫木田を見つめた。
「うんうん、いいよ、その目。やっと理解できたかな? オメガは一生アルファの奴隷なんだよ」
奴隷。
にっこりと笑った声でそう言われ、常識と非常識の境がわからなくなる。
圧倒的な力に捩じ伏せられた響は弱者。本能が目覚めたとき、響の身体はアルファから与えられる甘い激情を知った。それと同時にアルファの力も知ってしまった。響の中に根付いたオメガの中枢が、目の前のアルファたちのことをコワイと言って震えている。
弱いなりに立ち向かってきた自分はどこへ行ってしまったのか。熱に溶かされて、消えてしまったのか。
好きでもないアルファに感じさせられて善がり、次から次に湧き上がってくる恐れと嫌悪感が強くあろうとする心にまとわりつく。
「・・・・・・も、やだ」
「うん、じゃあなんて言うのかな?」
———お願いすれば、やめてもらえる。言いなりになるのは嫌だけれど、これはもっと嫌だから。好きな人以外に内側を暴かれて、触られて、蹂躙されるのは耐えられない・・・・・・。
響は口を開こうとした。そのとき凄まじい勢いで図書室のドアが開かれ、そこに東城が立っているのが見えた。
「せ、んせぇ・・・・・・」
安堵と共に名前を呼ぶ。
———しかし何か変だ。ドアを開けたその一瞬から、東城は一言も発しなかった。下を向いて鼻を押さえているのは見える。呼吸が荒い。どうしたんだろうと不安に思う。
東城は足を引きずるようにして室内に入ると、加賀美に掴みかかり、響から引き剥がして床に投げつけた。
「・・・・・・いって、てめぇ、教師のくせに俺を誰だと思ってんだよ!」
加賀美が吠えると、東城は犬歯を剥き出しにした阿修羅のような形相で睨みつける。呼吸は苦しそうなほどで、ギョロギョロと血走った眼球が何かを探して動きまわり、響を捉えた。
「ちっ、ラットだ」
樫木田の声に響は東城を凝視する。
「ラット・・・・・・?」
「そうだよ! はやくこっちにこいっ。東城は完全に正気を失ってるっ、逃げないと俺らがヤルよりもひどくされるぞ」
「え・・・・・・せんせい?」
ラット、オメガのフェロモンに誘発されて引き起こされるアルファの発情。ラットを起こしたアルファは凶暴性を増し、周囲の人間の声は届かなくなる。近くにいるアルファを威嚇して攻撃を加えることもある。
「おいっ、響!」
樫木田は苛立って怒鳴った。一刻も早く立ち去りたいんだとその表情から表れ出ている。
けれど、そう言われたが足腰に力が入らない。
拘束してくる加賀美は退けられたが、薬を打たれて頭も身体もふらふらする上に、ゆっくりと近づいてくる東城が恐ろしくてたまらないのだ。
全身から汗が吹き出し、歯の根が鳴る。
震える腕になんとか力を入れ、響はずりずりと尻をついたまま後ずさった。
「せんせ、やめて・・・・・・止まって」
哀願する声が小さく室内にこだまする。
東城は止まらなかった。いくら挑発しても乗ってこなかったのに、その東城が涎を垂らしてにじり寄り、響に飛びついた。響は喉を引き攣らせて悲鳴をあげる。だが力が強くてとても突き飛ばせない。床に押さえつけられ、足をひらかされる。薬と先ほどでの行為で濡れたそこに、東城の雄の先端がめり込んでくる。
「うッ」
でも仕方ない。先生ならいい。東城のそれに嫌悪感は湧いてこない。響は目を閉じて覚悟を決めた。
「———・・・・・・せんせい?」
響は目を開ける。入り口をわずかにくぐっただけの東城の性器が動きを止めていた。石像のように固まった東城の顔は青白く、響ではない別の方向を向いている。
「そこまでだよ先生。響を傷つけたいの?」
東城の背中の後ろに立っていたのは殿坂だった。殿坂は『何もしていない』のにラット状態の東城を止めたように見えた。殿坂の放つ殺気じみたオーラに東城が逆らえなくなっている・・・・・・?
「さすがだな、威嚇しただけで止めやがった」
樫木田も樫木田の陰に隠れている加賀美も慄いた表情をしていた。
「悠人、念のため東城のこと縛っとけ。先生、それでいーな?」
問いかけに、東城は大人しく頷いた。そして、殿坂に同行していた風間に黙って腕を差し出す。罪人のような東城の姿に胸を痛め、響が声をかけてあげたくて身体を起こすと、殿坂があいだに入ってそれを遮った。
「今は危険だから、そっとしておいてやれ」
「でも・・・・・・」
「いいから、もし間違いが起こったら苦しむのは誰だ?」
彼の言うとおりだ。響は思いとどまった。それから身体の心配をされ、「大丈夫」と言うと、「怖かったな」と頭をくしゃくしゃと撫でられる。殿坂は顔色ひとつ変えないで話しているけれど、いつもならここで抱き締めてくる。そうしないということは、殿坂もフェロモンの影響を受けているのだ。響は申し訳なさに、身を縮こませた。
「あの、俺・・・・・・」
「響。お前の弁解はあとで聞く。先にアイツらと話をしないといけないから少しそこで待ってろ。なんの薬を使われたのか分からないうちは変に抑制剤を飲むなよ」
殿坂は響に忠告をすると、樫木田と加賀美に向き直る。
「俺がどれだけキレているか教えてやろうか? 響が見てなければお前らのこと殴り殺してた」
研ぎたての包丁を突きつけられているみたいなゾッとする声。
「・・・・・・わるかったって、こんな大ごとになるなんて思わなかった」
「蒼、なに謝ってんだよ?! 誘ってきたのは響だろっ。てかさぁ、なんで風間さんとポーンを呼んだのに、すげぇ邪魔な虫がくっついてきたんだよ・・・・・・ッ」
「恒平!」
樫木田が読んだ空気を加賀美の反抗的な態度がぶち壊す。殿坂は目をすがめ、一触即発になりそうな雰囲気だ。響は息を殺す。そんな中、風間が陽気な声をあげる。
「そ、れ、は、ね、俺と柊生がじつは大の仲良しだからだよ~!」
場違いなテンションに空気の流れが変わり、一同の視線が風間に向いた。
「ごめんよぉ、君らみたいに俺も柊生とは長い付き合いだからさぁ。さっきの電話は報告させてもらった」
響は風間の告白が信じられなかった。樫木田と加賀美は悔しそうな表情をしている。クラウンで一番に響を弄んでいたのは風間だったから、分かり合えないやつだと勝手に思い込んでいた。彼の言動にすっかり騙されていた。
「そういうことだ。お前らが俺を疎ましく思ってたことはコイツから聞いて筒抜けだったんだよ。見逃して欲しければ、俺が手を出す前に今すぐここから消えてくれ」
殿坂がドスの効いた声で脅しをかけると、樫木田と加賀美は不満を残しながらも退散する。
「あー・・・・・・樫木田、待て。響に使った薬の対処法を言ってから行け。テメェが入手してきた薬なんだろ?」
「そ、それは即効性があるぶん代謝が早いから、一時間もすれば効果はなくなる」
「ほんとうだな?」
キングに凄まれ、樫木田は頬を引き攣らせながら無理やり笑みを見せた。
「・・・・・・嘘をついてどうする」
「ふぅん、んなことよく言えるな。一時間で治らなかったらぶっ殺しに行くから覚えとけよ。じゃ、用は済んだからさっさと失せろ」
「わかってる、今出て行くから」
絶対の命令に負け犬たちはすごすごと姿を消した。
その後、殿坂は「三人で話をさせてくれ」と風間に声をかけて席を外させ、東城の目の前で仁王立ちになる。
「それにしても先生、滑稽だな」
自らのネクタイでテーブルの脚に手首を縛られた東城を見下ろして嘲笑する。東城はうつむいて、黙ったままだ。
「はぁ、先生さ、あんた分かってただろ」
殿坂は腰を落として、語りかけた。
「俺が駆けつけたとき、第二図書室のかなり手前から響のフェロモンが匂ってた。あんたがドアを開け放ったときに漏れ出たフェロモンだよ。薬のせいで何倍にも凝縮されたフェロモンの中に運命の番のあんたが入ったらどうなるか、予想できなかったわけじゃないよな?」
「・・・・・・夢中だった」
ぽつりと、東城は口を開く。
「ホームルームを終えて職員ルームに戻ったら、別の教師から斎藤のことを伝えられた。その際に樫木田と話しながらどこかへ行ったのを見たと聞き、クラウンとは関わりを切っていたはずなのにおかしいと思った。急いで探しに出て、抑制剤を服用するのを忘れてしまっていた。そうしたら第二図書室の前で斎藤の声が聞こえて、斎藤が襲われてるかもしれないと思ったら頭に血が昇り、何も考えられなくなっていた。軽率な行動だったと自覚している。申し訳なかった・・・・・・罵ってくれて構わない・・・・・・」
うつむいた東城の顔が己れを責めているかのように歪む。
「———だそうだよ、響?」
殿坂から訊ねかけられる前に、響は立ち上がっていた。
ふらふらの足腰。ラットを起こした東城の顔が脳裏に焼き付いて、みっともなく膝頭が震える。
「斎藤、近寄っちゃダメだ。危ない。殿坂、響を止めてくれっ」
東城の焦った声。しかし殿坂は響の悦びに溢れた顔を見ると、浮かした腰を下ろしてあぐらをかいた。
「まあ、もういいや。いざとなったら俺がいるし」
「・・・・・・え」
響は「うん」と頷き、東城と殿坂のあいだで膝をつく。
「大丈夫だよ、東城せんせ。俺、怒ってない」
怒っていないどころか嬉しかった。我を忘れるほどに東城が自分の身を案じてくれたことが響は嬉しかった。
感情に任せて抱きつきたい気分だったけれど、薬の影響も残っているし、響に危険が及ばないように目を光らせている王様が拗ねそうだからやめておく。
「無理をしなくていい」
「無理なんてしてないよ」
震えながら言い張る響に、東城は言い返すのを止め、やがて泣きそうな声で「馬鹿だな」と呟いた。
「で、お二人さん。話が終わったのなら響の弁解を聞きたいんだけど」
しんみりしているところに殿坂から話を振られて、響はぎくりとした。
「うん———」
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