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第4話
くるんと丸くなった身体に自分のストールをかけてやり、ジュンは愛翔の前に戻ってきた。
「それにね、見てわからない? あたし女になったのよ!」
話題の飛躍が激しすぎてついていけない……。だが、ジュンはかまわずに胸と腰の括れを強調するべくポーズを取ってみせた。
「ついに性転換手術を受けたの」
性転換手術はバース転換手術に比べると費用は控えめだが、それでもかなりの額が必要だ。ジュンの愛人はいつもセレブだけれど……。
「彼氏に出してもらったの?」
「その通り!」
適当に言ったつもりが当たってしまい、手術費用をこつこつと貯め、就活にも励んでいる身としては虚しさが押し寄せる。だが、ジュンは誇らしそうだ。あたしの魅力で勝ち取ったチャンスなんだから、文句は言わせないというドヤ顔だった。
わかってた、ジュンさんはこういう人なんだって……。もろもろ怒りを通り越して愛翔が脱力している間にも、ジュンの話は続く。
「彼がね、子どもを手放すなら費用を出してあげようって言ったの。そして一緒に暮らそうって。だから、セアちゃんをアイちゃんに託すいい機会だと思ったわけなのよ」
ああ、やっと話がつながった……。愛翔はため息をついた。
子どもを手放すなら、などというヤツのもとで、この子が幸せでいられるとは思えない。親父がどんなつもりでそう言ったのかはわからないけれど、ひとりぼっちだった俺に弟ができるんだと思ったら、不思議な――でも、悪くない気持ちだった。今まさに親から見捨てられようとしている、すやすや眠る弟が、かつての自分の姿と重なった。
「結局、ジュンさんは息子より性転換手術を取ったんだよな」
ダメ出しせずにはいられなかった。怒るか、いつものように笑い飛ばすかと思いきや、ジュンは意外にも淋しそうな顔をした。
「……でもね、今日まではあたしなりに大切に育てたの。この機会がなかったら、あたし、ずっとこの子を育てたと思う。でも、聖樹さんに言われた通りにしなくちゃって思いもあって……」
「わかったよ、俺が育てる」
自分のことでも精いっぱいな毎日なのに、俺に小さな弟の面倒を見ることができるのか? だが不安を超えて、愛翔の心は決まっていた。
「セアってひらがな? どういう字書くの?」
「この子が生まれた瞬間ね、オーラみたいな光に包まれたの。こう……虹の色みたいで、ミラーボールみたいにキラキラした星も見えたの。あれはきっと聖なる光だと思うわ。だから聖樹さんから聖の字もらって、アイちゃんの弟だから愛って字をもらって、聖なる愛で聖愛(せあ)、ロマンチックでしょ?」
ジュンの話は、またまたぶっとぶ。聖なる光とミラーボールを同じに表すのが彼……じゃなくて彼女らしいというか、なんというか。
「俺に負けないキラキラネームだな」
「アイちゃんの名前だって聖樹さんがつけたって聞いたわ。愛を翔る。無敵よ」
俺の名前は親父がつけたのか。それは知らなかった。はは、と乾いた笑いをこぼして、愛翔はセアの顔を覗き込む。大人の事情なんかとは別の次元ですやすや眠っている。可愛いな……素直にそう思えた。
「セア、よろしくな。お兄ちゃんだよ」
呼びかけると、セアは眠ったまま、まるいほっぺをくしゃっとして笑った――ように見えた。
***
セアとの暮らしは、思ったよりも愛翔を幸せにしてくれた。
二歳を過ぎたばかりだが、トイレは自立しているし、好き嫌いなくなんでも食べる。ジュンが当面、必要なものを置いていってくれたし、保育園もすぐに見つかったし、思ったほど手がかからなかった。
もちろん、不慣れなことは山ほどあるし、ぐずられることもある。大学の課題や就活の準備で忙しい時にまとわりつかれて、ああああ! とパニックになりかけた時もあるけれど、癒やされることの方が、ずっとずっと多かった。
潤んだ黒目がちの目を向けられ、小さな手を差し出されると、この子を守ってやれるのは俺だけなんだ、セアには俺が必要なんだと、愛翔の中でぽっかりと空いていた穴が埋められていくのだ。
黒いくせっ毛に包まれた顔は、全部が丸かった。目も鼻も口も。愛嬌があって、笑顔がなんともいえない。仕草も、喋り方も何もかも可愛い、愛しい。気づけば、スマホの容量はセアの写真で埋まっている。
「アイちゃ」
ジュンがそう呼んでいたからか、セアは愛翔をそう呼ぶ。ジュンにはいつもそう呼ぶなと怒っていたけれど、幼い弟に呼ばれると、顔がにやけてしまう。
「もう一回言って」
「アイちゃ」
抱っこせずにはいられない。愛翔が自分のことを「お兄ちゃんが」と言うので、「にーちゃ」と呼ばれることもある。もう、どっちでもいい。そして、
「しゅき」
なんて言われたら、幸せで胸がはちきれそうになって、泣けそうになってしまう。これまで、愛翔にその言葉をくれた者はいなかった。
ジュンもそうだったけれど、大学のオメガの友だちも、発情して抱かれて、恋におちるケースが多かった。
「抱かれて、大切にされてるんだってわかったんだ」
みんなそう言うけれど、発情イコール恋というのが嫌だから発情したくなくて、藥を多めに飲んでいる。普通の発情抑制剤じゃなくて、将来の手術を見越しての、高額なオメガ抑制剤だ。そのためにバイトをかけ持ちしている。
そうまでしても、恋愛自体が信じられないから、オメガであることが嫌だから――そういうのはきっと他者に伝わる。ひと目でアルファと恋におちるなんて考える以前のことだし、ましてや魂の番なんてあり得ない。恋愛なんて、ベータになってからでも遅くない。
そして自分は、親子の情も持たざる者。そう思って生きてきたけれど、本当は、ずっとその言葉に飢えていたんだということをセアに教えられた。セアは、愛翔の渇きをあふれるほどに癒やしてくれたのだ。
「俺もセア、大好き」
声にすれば幸せはさらに膨らむ。きゃーっと喜ぶあったかい身体をぎゅっと抱きしめて、愛翔は自然に笑えるようになり、面接も順調に進み始めた。
(やっぱり笑顔って大事なんだな)
鏡の向こうの自分に向かい、愛翔はネクタイをきゅっと結び直す。
(セアも祈ってて)
スマホの画面に呟いて、「よし」と気合いを入れる。
今日は、第一希望の企業の最終面接だ。
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