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第25話「戻らない日々」
凍えるような寒さが和らいできて、神父様の雰囲気も少しだけ穏やかになった。
あったかくなったことだけが原因じゃないだろうけど、辛そうにしてるよりはずっといい。
「ヴィル」
こうやって、名前を呼んでくれることも増えたしな。
外に出ることはできないし、近所の人にも見つからないようにしなきゃだけど……それでも、安心できる場所が見つかって良かった。
「何すか?」
神父様の寝床の横に引いた毛布を片付つつ、呼びかけに応える。
やっぱ床で寝るのが一番落ち着く。ベッドのふかふかした感じ、どうしても慣れねぇんだよな。
「今日の昼頃、アリッサが来るらしい」
「へー! 妹さんっすよね? ちゃんと挨拶しなきゃなあ」
ちなみに、オレらは今、神父様の実家に厄介になっている。実家っつっても、住んでるのはもうエルンストくんだけらしいんだけど……。
最初、神父様は迷惑かけたくないとか何とか言って遠くから見るだけにしようとしていて、直感か嗅覚かわかんないけど嗅ぎ付けたエルンストくんがもの凄い勢いですっ飛んできて見つかり、なんやかんやで(ほぼ強引に)連れて行かれた。
神父様の弟とは思えないくらい、遠慮もねぇし押しも強くてびっくりした。ちなみに神父様は「甘やかしすぎたかもしれん」とかボソッと言ってた。狡くね? オレももうちょい甘やかされたい。
でも、エルンストくんが寂しがって「どこにも行かないで!」って泣きついてた理由は、最近わかってきた。家がやたら広く感じるのは、それだけ「住んでた人」が減ったってことだ……って。
「アリッサは他人に対して警戒心が強い。くれぐれも気を付けろ」
「うっかり傷つけないようにってことっすか?」
「まあ……それもそうだが……彼女は身内以外を敵視しているところがある」
なんか、それも仕方ねぇような気がした。
ここに来てからしばらく経つけど、ご近所さんからの視線がなんというのか……ピリッとしてるのはオレでも感じる。
盗賊やってた頃のオレを見る視線と似てるような気もするけど、オレの時と違い、その敵意は産まれとか血筋とか、どうしようもないもんに向けられてる。
……もうだいぶ昔になるけど、盗賊になる前、まだただの孤児だった頃に向けられた視線と似てるのかも。
「分かりました。優しく接します!」
「……いや、そういう問題でもなくだな……」
そんな話をしていると、玄関の方からノックの音と「エルンストー? いるー?」と声が飛んでくる。
「姉さん!!!!」
エルンストくんのめちゃくちゃ弾んだ声も聞こえた。この前、神父様の方にすっ飛んできた時みたいな声だ。
神父様いわく、エルンストくんはきょうだい以外に信頼できるヤツがいないから、ちっとばかし感情の矛先がきょうだい関係だけに向かいすぎているらしい。
まあ歳上としちゃ余裕持っておかなきゃなーって思いつつ、たまにめちゃめちゃ嫉妬する。神父様、なんやかんや弟には甘いしよ。
「姉さん、待ってたよ! 元気だった!? 今は病院に住み込みで働いてるんだっけ。ちょっと痩せたね……3キロくらい体重落ちた? あっ肌ツヤちょっとくすんでる! 夜遅くまで働かされてるの!? そんな……綺麗な肌なんだから全人類が労わらなきゃいけないはずなのに……」
エルンストくん、今日も絶好調だな。
神父様にも終始こんな感じで、ぶっちゃけ気持ち悪い。アリッサちゃんっぽい声は「はいはい、結婚するんだから控えめにしとくのよ」とか何とか言ってるけど、サラッと流せるのがすごい。
つか婚約者いるって聞いたんだけど、大丈夫かエルンストくん。あいつ、兄ちゃん姉ちゃん以外と結婚できんのか?
「……ちょっときょうだい想い超えてないっすか、アレ」
「いつの間にか、あそこまで拗らせていてだな……」
「こんなん言うのもどうかなーって思うんすけど……キモいとか思わないんすか?」
「貴様も似たようなものだ。安心しろ」
「えっ、オレあそこまで酷くはなくねぇ!?」
なんて話しつつ、リビングの方に向かう。
暖炉の様子を見ていたエルンストくんが「あっ」と弾んだ声を上げ、ぴょこんと振り向いた。
灰色の目は神父様と同じだけど、髪の色は茶色いし巻き毛だしであんまり似てる感じはしない。この前、神父様が「父親似だ」って言ってた気もする。……ってことは神父様は母親似か。なるほどな。
「そうそう、姉さん! コンラート兄さんも帰ってきたんだよ! 体重は去年より7キロくらい減ってたけどここに来て2キロくらいは戻ったかな!! そもそも身体の造り自体がかなり変わってる感じもするけど、前より綺麗になったし色っぽくなっ」
「エルンスト、それ以上は良い。いや、頼むからやめてくれ」
神父様は赤くなりつつ、エルンストくんの口を塞いで止める。
痩せたのと、実家でちゃんと食うようになったから戻ってきたのはオレも分かってたし、身体の造りが変わったのなんか間近で見てたし、神父様は元から最高に綺麗なうえ色っぽくしたのはオレだから今回もオレの勝ちな。大人だから言わねぇでやってるだけだぜ、エルンストくん。
「コンラート兄さん……?」
声の方を向くと、真っ黒なロングスカートを着た、おさげの女の子が目を見開いて突っ立っている。
この子がアリッサちゃんか。髪の色は神父様と似てるけど、ちょっとエルンストくんの髪色にも寄ってる感じがする。
「……ギルベルト兄さんが、『きっと生きてる』って言ってたわ……。本当だったのね……」
緑っぽい目に涙を溜めつつ、アリッサちゃんは神父様の方に走り寄る。
……けど、なぜか手前の方で足を止めた。なんだ? って思ってると、オレの首に鋭い蹴りが飛んでくる。
とっさに腕で止め、後方に飛ぶ。アリッサちゃんは小さく舌打ちをし、低い声で唸るように呟いた。
「誰だい、あんた」
緑の目は、さっきまでとは別人のように鋭くオレを睨みつけている。
なるほどな、警戒心強いって神父様が言ってたけど、このことか。確かに、ロングスカート履いてるとは思えねぇキレッキレの蹴りだった。
「…………」
神父様は眉間を押えつつ溜め息を吐いている。
あー、そうだよな。説明しにくいよなオレらの関係。
「アリッサ、落ち着け。彼は私の……」
「ダメだよ姉さん。その人、コンラート兄さんの恋人なんだから」
と、エルンストくんが口を挟む。
エルンストくん? それマジで付き合っていいってこと? 後でじっくり聞いとこ。
「……!? えっ、エルンスト!? そ……それは誤解だ……!」
「えっ、違うの?」
「はぁ? 何言ってんだエルンスト、あのコンラート兄さんが恋人なんか作るわけないだろ。しかも男じゃないか」
アリッサちゃんは信用できないらしく、まだこっちを睨みつけている。
へぇー、神父様って恋人作る感じじゃねぇんだ……って思ったけど、聖職者だからか。そりゃそうか。神父様がエッチすぎるから忘れてた。
「こ、恋人ではないが……その、深い仲ではある」
そうだよな。恋仲じゃねぇけど、毎晩のようにセックスする仲ではあるよな。
「……そうなの? やだ、ごめんなさい。うっかり蹴っちゃったりして……」
アリッサちゃんはスカートのシワを整え、そそくさと態度を変える。
なんだ。たくましくて良い子じゃん。蹴りも鋭くて見込みありそうだし、今度喧嘩のやり方教えてやろ。
「別にいいよ。聖職者仲間にも見えねぇだろうし、警戒すんのも無理ないって」
「本当にごめんなさい。しかも、エルンストも変なこと言ってたし……」
「気にすんなって、恋仲に見えるのも仕方ねぇから」
「えっ? どういうことなの?」
オレとアリッサちゃんの会話に、神父様は咳払いを一つして割って入る。
「気にするなアリッサ。エルンストには、それだけ親密に見えたのだろう」
「ふーん……?」
なんて話をしていると、アリッサちゃんは何かを思い出したらしい。
神父様を見る表情が、ふっと曇った。
「……もう、ギルベルト兄さんの話は聞いた?」
「……ああ」
神父様は家に帰ってすぐ、エルンストくんにあの新聞記事について聞いていた。
オレも横で聞いたけど、なんでも神父様の兄、ギルベルトさんもエルンストくん以外には隠してたけど吸血鬼で、悪魔祓い に襲われ逃げ出した先で帝国軍の銃撃にやられちまったそうだ。
「あの時、あたしの夫が、窓から逃げたギルベルト兄さんを追いかけてて……ボロボロになったギルベルト兄さんが、帝国軍に連れていかれるのを見たって言ってたの。止めようと叫んだらしいんだけど……武装した兵士の前じゃどうしようもなかった、って」
……と、なると、死んだかどうかはまだ分からねぇわけか。
教会と帝国軍だと、どれぐらい扱いが違うのかも分かんないから、気楽に構えることもできねぇけど……
「……兄上に調査が入ったのは、私が逃げたからか」
「コンラート兄さんは悪くないよ! むしろ、僕はまた会えて嬉しいし……!」
目を伏せる神父様の手を、エルンストくんが慌てて握る。それでも、神父様は浮かない表情のまま、言葉を続けた。
「あの時は必死で……何も、考えていなかった。私が逃げることで、おまえ達にどう影響が及ぶか……少し考えれば想像できただろうに」
「……やめて。あたし達に、『そのまま処刑されてれば良かった』なんて言わせる気? コンラート兄さんが犠牲になるのだって、すごく悲しいのに」
「……! す、済まない……」
アリッサちゃんの指摘に、神父様は静かに項垂れる。
……だけど、アリッサちゃんの表情にも陰りが見えた。「夫」の話をしてたのに、住み込みで働いてるってことは、離縁されちまったのかな。それこそ「吸血鬼の妹」だったから……とか……。
正直、ここら辺はオレには何とも言えない。きょうだい関係なんて、オレにはよくわかんねぇし。
「……コンラート兄さん、前より元気ない……? 笑顔も少ないわ」
神父様の顔を覗き込むアリッサちゃんに、エルンストくんが気まずそうに伝える。
「上手く笑えなくなっちゃったんだって。ヴィルさんが言ってた」
「そう……」
アリッサちゃんは心配そうに神父様の顔を見、拳をぎゅっと握り締める。
その時、玄関の方でノックの音が響いた。
「……! 席を外すべきか」
「あ、いいよいいよ! 玄関先で帰ってもらうから!」
姿を見られないように気を遣う神父様と、笑顔で答えるエルンストくん。
アリッサちゃんは黙り込んだまま、何事か考えているように見えた。
「……あ、カウフマンさん……」
「……え……っ」
エルンストくんの声に、アリッサちゃんは顔を上げ、早足で玄関の方へと向かう。
「……カウフマンさん、って?」
「金貸しだ。……が、アリッサにとってはそれ以上の意味がある」
「それ以上……って、何すか」
「……。……夫の姓だ」
気まずそうに、神父様は眉間に皺を寄せる。
病院勤めの件から、神父様もオレと同じことを考えていたらしい。
「息子の遺品を届けに来ました」
その言葉が聞こえて、神父様はハッと息を飲む。
遺品……ってことは、死んだって、こと……?
「わざわざすみません、カウフマンさん……」
「いいえ。信教は異なるとはいえ、我々は同じ民族です。助け合うのは当然のことと言えましょう。私は、息子の最期を誇りに思います」
アリッサちゃんの声と、きびきびとした女性の声が話し合う。
神父様は青ざめた表情で、その会話に耳を傾けていた。
「息子は、愛する者を守って死にました。アリッサさん、アナタはそれだけ想われていたということ。我々はもはや親子ではなく、手を差し伸べる余裕すら持ちませんが……それでも、遺すべき物はあるはずです」
ああ、そうか、アリッサちゃんの旦那さんは……
神父様の手をそっと握る。こりゃ、優しい神父様にはちっとばかしキツすぎる。
「息子が……ヨセフが世話になりました。どうか、息災でお過ごしください」
ドアが閉まるまでの音が、やけに長く聞こえた。
そこからエルンストくんとアリッサちゃんがリビングに帰ってくるまでの時間も、やたらと長く感じる。
「…………ごめんなさい、コンラート兄さん」
戻ってきたアリッサちゃんは、瞳に涙をいっぱい溜め、胸元のペンダントを握り締めた。
あのペンダント、さっきは付けてなかったな。あれが「遺品」ってことか……。
「あたし……本当は思っちゃった。どうして逃げたのって……どうしてお祖父 ちゃんみたいに受け入れてくれなかったのって、……あの人が殺された時に……。そんなこと、絶対思っちゃいけないのに……! ごめんなさい……っ!」
わっと泣き崩れるアリッサちゃんと、立ち尽くす神父様を前に、エルンストくんがおろおろとうろたえる。
神父様は唇を噛み締め、それでも気丈に振る舞った。
「……済まない、アリッサ」
……ああ、ダメだ。やっぱり黙ってらんねぇ。
オレは何があったって、この人の支えになるって決めてんだから。
「それ、神父様が謝ることじゃねぇから。悪ぃのは吸血鬼の身内ってだけで攻撃してくるヤツらだろ」
「……そうよ……その通りよ、コンラート兄さんは何も悪くないわ。それなのに……あたし……あたし……!」
アリッサちゃん、やっぱり神父様の妹だなぁ。
似てるよ。特に、どうしようもないことでさえ、自分の罪だって思うところ……そっくりだ。
……そうだよな。誰かを愛する気持ちって、自分じゃどうしようもねぇんだ。
「逆恨みってわかってんだろ? じゃあ、落ち着いてから話そうぜ。……好きな人が死んじまったら、そりゃあショックだよ」
「……本当に、ごめんなさい」
「謝るなら、オレじゃなく神父様にだぜ」
「コンラート兄さん……ごめんね。わたし……酷いことを……」
アリッサちゃんは涙を拭いながら、神父様の方に緑がかった瞳を向ける。
申し訳なさそうな顔が、兄妹らしくよく似ている。
「いや……おまえに危機が及び、ヨセフ君が命を落としたのは、紛れもなく事実なのだろう。……私を恨むのも無理はない」
神父様は静かに首を振り、あくまで冷静に告げた。
「私が祖父のようになれなかったのも、事実、なのだから」
灰色の瞳が、わずかに赤く輝く。
冷静な瞳の奥には、煮え|滾《たぎ》るような「何か」が宿っていた。
死を受け入れられないなんて、当たり前だよ。オレらは生き物なんだからさ。
殺そうとしてくる相手を憎むのだって……当たり前の感情なんだよ、神父様。
「……ッ、う……」
「神父様!?」
突然、神父様ががくりと膝をつき、頭を押さえて呻く。
「コンラート兄さん!?」
「この症状……病院で見たことあるわ……!」
エルンストくんとアリッサちゃんも駆け寄り、アリッサちゃんが脈を測ろうと腕を取る。
……その瞬間、見開かれた目に、確かな「怯え」が宿った。
「近寄るなッッッ!!」
悲鳴のような叫びが響き、姉弟二人はビクッと震えて固まる。
はぁ、はぁと息を荒らげ、神父様はガタガタと震える。
……ああ、これ、死にかけてから吸血鬼ってバレるまでにもよくあったな。最近は落ち着いてたけど……傷は、まだ残ってるみたいだ。
「神父様、大丈夫っすよ」
オレが声をかけると、神父様の表情が少しだけ穏やかになる。
恐る恐る、青白い手がオレの方に伸びる。オレは伸ばされた手をそっと握り締め、神父様の背中をさする。
「もう、大丈夫だから」
「……ヴィル……」
ほっと気の抜けた声音で、神父様はオレの名前を呼んでくれる。
そのまま、神父様は糸が切れたかのように意識を失った。
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