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第28話「ひび割れた心」
「ギルベルト君は訓練中とはいえ、さる任務においては巧みな弁舌で成果を上げていました」
「軍曹殿」……メガネをかけた紳士風の軍人は、穏やかな口調で語った。
切れ長の黒い瞳が、こちらを探るように見つめている。
「自律思考が可能で、交渉もやってのける兵器……実に素晴らしい。これで忠誠心が強ければ、なおのこと良いのですがねぇ」
「……軍曹殿は手厳しい」
やれやれと首を振り、ギルベルトさんは神父様に手を差し出す。
「コンラート、お前も帝国軍に来い。軍功を上げれば上げるほど、帝国はアリッサやエルンストも保護してくれるようになる。悪い話じゃないはずだ」
神父様はしばし黙って、差し出された手を見つめていた。
化け物として殺されるよりはマシ……なのかな。つっても、「兵器」呼ばわりの時点で嫌な予感しかしない。
それに、軍功を上げるってことは、戦争でたくさんの人を殺すってことだろ。……誰のお袋や親父、子どもなのかも分からない、屍の山を作り上げる側になるってことだ。
まあ、それを神父様が選ぶってんなら、オレは着いていくんだけどさ。
「……保護……。人質の間違いでは無いのですか」
神父様は拳を握りしめ、目を伏せる。
「ま、それでもなんの庇護もないよりはマシだ」
「殺せば殺すほど、敵は増えます。明確な脅威として認識されれば、排除しようとする力も大きくなるでしょう」
「始末すればするほど、敵は強くなる」……マルティンも言ってたことだ。
追っ手を撃退しなきゃ殺られる以上、こっちから殺るしかない。……だけど、そうすれば新たな追っ手が現れるし、いくら繰り返したところで終わりは見えない。
敵は、少ないに越したことねぇんだよな。
「全てねじ伏せるほどの力がありゃいい。誰もが恐れる存在になれりゃ、いずれ手出しされなくなる」
「……そうなったとしても、騙し討ちに怯える日々を生きることになりますが」
「それでも、死ぬよりはマシだろう?」
ギルベルトさんの灰色の瞳が、暗い光を宿す。
神父様はグッと言葉に詰まり、唇を噛み締めた。……ああ、そうか。神父様とギルベルトさんは、既に死の淵を経験してるんだ。
「大丈夫っすよ、神父様。オレは味方なんで」
せめて、安心できるように想いを伝える。
灰色の瞳が一瞬オレを捉え、神父様は決心したように話し始めた。
「兄上。……私の師を……ハインリッヒ司教様を襲ったのは、帝国の意向ですか」
神父様の言葉に、ギルベルトさんは眉をひそめる。
「……なんでそう思う?」
「確証がある訳ではありませんが……状況を思えば、そう考えるのが自然かと」
神父様の目がわずかに赤く輝く。冷静に見えるけど、よく見れば唇から血が滴っている。
教会の襲撃……の話、か? あれ……賊の襲撃じゃなくて、帝国の仕業だったってこと?
……ああ、そういやオレ、勝手に負い目を感じて触れないようにしてたんだっけか。神父様にとって、深い傷だからってのもあるけど……。
ギルベルトさんはちらっと上司の方を見、「どうしますか」と聞く。
「ふむ……質問に答える前に、こちらからも一つ、よろしいですかな?」
疑問形で終わってはいるけど、その問いには有無を言わせない響きがあった。
神父様は怪訝そうに顔をしかめつつも、「……どうぞ」と返答する。
「我らが帝国が成立した喜ばしき日が、いつだったか……もちろん、答えられますな」
何だその質問。全然知らねぇし質問の意味もわかんねぇよ。
「1871年の……1月18日、でしたか。それが一体……?」
待って神父様。なんでわかんの? やっぱり賢いな?
メガネの男は大きく頷き、満足げに切れ長の目をさらに細めた。
「よろしい。小国が乱立し、まとまりのなかったドイツは皇帝陛下のもとで一つになりました。ゆえに、我々国民は一致団結し、偉大なる祖国の繁栄のため力を尽くさねばならない……ここまでは、当然ご理解いただけておりますな?」
軍曹とやらは穏やかに、それでもしっかりとした口調で畳みかけてくる。
「皇帝陛下は新航路を掲げ、この国に更なる栄光と繁栄をもたらすために歩んでおられます。その陛下に歯向かい、あまつさえ足を引っ張るなどと……それだけで大罪と言えましょうや」
……これ、回りくどく言ってるけど、つまりは「そうだ。ワレワレが犯人だ」って言ってんのと同じだよな。
神父様はギリッと歯噛みし、軍曹の方をキッと睨みつける。
「罪のない修道女や、居合わせただけの信徒を殺めてでもですか」
「……やれやれ。やはり、基礎から理解していただかねばならないようですな」
軍曹は両手を広げて肩を竦め、大げさにため息をついた。
「我々国民はみな、誇り高き祖国のために命を賭すべきなのです。我々の命はすべて、偉大なる帝国のために存在する。そこに疑問を差し挟む余地などありますまい?」
うっわ、すげぇ……国のために死ぬのが当たり前ってか。話が通じそうにねぇっつうか、考えてることが根本から違いすぎっつうか……。
軍曹はメガネを押し上げ、穏やかな笑みを崩さずに、相変わらず有無を言わせない「圧」を滲ませて語り続ける。
こいつ、話し合う素振りは見せているけど、元から自分の意見を押し通すことしか考えてないんだろうな。そりゃあマルティンも苛立つはずだよ。
……あいつ、大丈夫かな。たぶん、今頃テオドーロが治療してるだろうけど……
「ああ、けれど教会の権威は未だ根強い。非常に遺憾なことですが、特に西や南では、帝国への忠誠心を脅かすほどの求心力をお持ちだ。面と向かって争うには、少々厄介なことが多すぎましてねぇ」
「……軍曹殿、貴方と話しても無駄だとは理解しました」
神父様は軍曹を睨みつけ、話を打ち切る。
ごくりと息を飲むと、打って変わって不安の色が濃くなった視線をギルベルトさんの方に向けた。
「……兄上……。本気で、私が帝国側に与 するとお考えなのですか」
「賛同するとはハナから考えてないさ。……だが、俺らが殺し合わずに済むのは、その道しかない」
ギルベルトさんの言葉に、神父様は静かに目を伏せ「……そうですか」と呟いた。
「お前にも譲れない信念があるんだろうが……時には曲げてでも自分の利になる選択をするのが賢さってものだ」
「ええ……兄上は、それができる方です。だからこそ激しい競争の中でも、射落とされずに事業を成功させてきたのでしょう」
「……違うな、コンラート。俺は、そうしなけりゃならなかったんだ」
「……」
神父様は言葉を詰まらせ、押し黙る。
「祖父 さんがすべきことは、大人しく死を受け入れることじゃなかった。敵をぶっ倒し、子々孫々が穏やかに暮らせる土台を作ることだった。……だから俺は、あの耄碌 ジジイができなかったことをやる」
「……! それは違います! 祖父さまは自らを犠牲にすることで、家族にだけは火の粉が降りかからぬようにと……!」
「だがお袋は身を投げ、親父も死んだだろう。お前も異端として殺されるところだった」
「それは……!」
「人間の敵意や悪意を、お前だってもう理解したはずだ。どれほど真っ当な手段を用い、どれだけ清廉であろうとしても、そんなものは通用しない。一度敵対したなら、殺すか殺されるか……二つに一つだ」
兄弟の言い合いが続くが、神父様が押され気味なのはオレが見ても分かった。
交渉力の差だけじゃなく、そこには能力……ブーケ? とやらが絡んでるようにも思う。……なんだろ、やけに説得力があるように感じるんだよな。
……そういや、悪魔祓いは匂い で吸血鬼を判別するんだったか。洞窟がやたら火薬くせぇのは、嗅覚を鈍らせて「吸血鬼」の存在を隠すためだったんだな……。
護りやすいように、神父様の方に少し近づいた。頭がすっと冷える感じがして、ギルベルトさんが言ってることがヘンに思えてくる。
「……いや、おかしくねぇ? 家族を守るために帝国に従うっつったのに、神父様が逆らうなら殺すってさ……言ってることめちゃくちゃっすよ」
オレが疑問を口にすると、神父様は浮かない顔で呟いた。
「……元はと言えば、私が至らぬばかりに兄上を窮地 に追い込んでしまったのだ。エルンストとアリッサを優先するのも仕方あるまい」
うーん……負い目があるのはまずいな。そりゃあ、上手く言い返せねぇわけだよ。もうちょい踏み込むか。
「仮にそうだとしても、『国民の命は帝国のためにある』なんて堂々と言っちまう野郎が上司なんすよ?」
「ああ……どう足掻いても『人質』として枷をはめられるとしか思えない。……だが……」
神父様は苦しそうに、ギルベルトさんの方を見る。
認めたくない「何か」が、そこにあるようにも思えた。
「言いたいことあるなら言っちゃいましょ。負い目があるっぽいけど、お兄さんだって神父様が処刑されそうな時に何もしなかったじゃないすか」
商人で成功してんなら、金積むなりなんなりするか、お得意の交渉術で助けてやりゃ良かったじゃん。
まあオレは外野だから何とでも言えるわけなんだけど……神父様があの時、どれだけ独りぼっちで辛そうだったか見てたのも事実だし。
……そうだよ。追い詰められてく様子を、オレは間近で見てたんだ。
「言っただろう。人質扱いでも、何の庇護もないよりマシだ」
「……ッ、繕わずに本音を言えば良いでしょう! 『より楽な方を選んだ』と……!」
神父様はたまらず声を荒げ、その場はしばらく静まり返る。
やがて、マルティンを貫いた後のように、クックッと愉快そうな声が響いた。自嘲しているようにも、ヤケになっているようにも聞こえる……そんな声だった。
「バレちまったか……。ああ、そうだよ。流れに乗っちまえば後は楽だ。自分のできる範囲のことをやって、成り行きに任せればいい。……どうせ、正解なんかどこにもねぇんだからな」
淀んだ灰色の瞳が、ランプの光に照らされる。
「もう……疲れちまったんだよ。……道を選択するのって、面倒だよな。道を作るのはもっと面倒だ。そんなら誘われた道を行って、後から理屈をつけちまう方がよっぽど楽だ」
「……。……兄上……。申し訳ありません。……そこまで追い詰めてしまったのは、私でもあるのでしょう」
神父様は悲しそうに声を絞り出し、拳を血が滲むほど握り締めた。
そこに、今まで黙っていた軍曹が口を挟む。
「話は終わりましたか? こちらとしては、脅威になりかねない『兵器』は処分するほかありませんし、機密情報を外に『逃がす』わけにはいかないのですがねぇ」
「……了解であります」
軍曹に向かって敬礼をし、ギルベルトさんは軽い口調で神父様に語りかけた。
「兄弟げんかと行こうぜ、コンラート。死にたかねぇのはお前も同じだろ?」
ギルベルトさんの瞳が赤く染まる。
神父様はしばしその場に佇んでいたが、やがて、意を決したように兄貴の方を見た。
「わかりました。……護るべきものがある以上、私も譲れません」
呼応するように、神父様の瞳も赤く染まる。
……本当に、なんでこうなっちまったんだろうな。神父様がきょうだい想いだってことは、見てりゃ分かるのにさ。
それでも、オレがやるべきことは決まってる。
オレだけは、何があっても神父様の味方だ。
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