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第29話「力の使い道」
ギルベルトさんが神父様の胸に蹴りを喰らわせれば、メキッと嫌な音が廃坑内に響く。思わず身体が動きそうになったけど、こっちも油断できる状況じゃない。……悔しいけど、見守るしかねぇ。
「かは……っ」
神父様は少量の血を吐きつつも、負けじと体勢を立て直し、爪で相手の首元を引き裂いた。
「おっと……!」
ギルベルトさんは首から血を噴き出しつつも、後方に飛んで距離をとる。
互いに傷はすぐに癒え、戦況はなかなか動かない。
「へぇ、いい動きだな。どこで覚えてきた」
「……良い指南を受けることができまして」
ギルベルトさんの問いに、神父様は静かに答える。その言葉を聞いて、思わず頬が緩んだ。
そうそう、神父様は実戦の経験が足りなさすぎるから、オレが手取り足取り教えたんだよな。神父様の実家で厄介になってるうちは時間もあったし、稽古が終わった後はオレが本の読み方を教わって……
「……やれやれ、我々はいつまでこうしていなくてはならないのですかな?」
……と、せっかくいい気分でいたのに、軍曹とかいう野郎に水を差される。
首元に突きつけたナイフをちょっとだけくい込ませ、「いつでも切り裂ける」ことを伝えておく。まあオレの胸元にも鉄の塊が押し付けられてるし、下手に動いたら相討ちなんだけどな。……つか、この野郎……マルティンの時と言い、わざとタイミングを合わせてやがる。腹を探られてるのが嫌でもわかるし、不気味で仕方ない。
とはいえ他の軍人が近くにいる可能性だってあるし、うかつに殺せば情報を聞き出せない。今は「動けない状態にする」だけでも十分だ。……隙を見て銃を奪えれば、更に有利になれる。
「下手に手出しせず眺めてようぜ。てめぇが神父様に怪我でもさせようもんなら、オレも手が滑っちまうかもだし」
「ふむ……仲がよろしいようで結構」
……隙を伺っているのは、向こうもそうだろうけどな。
「ところで、君の名前は何でしたかな」
「ヴィルだけど?」
「……ほう。ヴィル、だけですか?」
「もっと長かったのかもだけど、呼ぶ人が早いうちに死んじまってよ。忘れちまった」
「なるほど、孤児でしたか」
「ああ、てめぇらが大好きな『戦争』とやらに巻き込まれてな」
沈黙が流れ、神父様とギルベルトさんが争う音だけが暗がりに響く。
「我々を恨むのはお門違いというものです。見た目の年齢から推察するに……君が恨むべき敵はフランスのはず」
「……なんで、そんなのをてめぇに指図されなきゃなんだよ」
それに、昔のことでどっちを恨むとか憎むとか、そういう話じゃない。「今」帝国に味方したところで神父様が辛い思いをするのは目に見えてるし、オレ自身こいつらのやり口は気に食わねぇ。
まあ、それを言ったって通じそうにねぇけどな。
「君のご両親の犠牲も、決して無駄ではありませんぞ。私もその戦いで徴兵され、元々は一農民でありながら帝国成立のお役に立てた。あの輝かしい瞬間を君にも教えたいくらいです」
「……黙っててくんねぇ? それとも挑発してんのか?」
誇らしげに語ってんじゃねぇよ。
死体の山の中、どれだけ探そうが親父もお袋も見つからなくて……独りぼっちで飢えや渇きと戦ったあの日々を……「輝かしい」なんて思えるもんか。
「どうせ外に味方もいるんだろ?」
「さぁ、ご想像にお任せします」
神父様とギルベルトさんは互角の争いを繰り広げているし、オレは軍曹と睨み合ってなきゃだしで、戦況はなかなか進展しない。……こっちからも、探りを入れてみるか。
「……てめぇの名前は?」
「ウェンロン。ウェンロン=フリードリッヒ・バウアーです」
ウェンロン……? なんだ、その名前。馴染みのない響きだな……?
「母はフランスの阿片窟 で働いておりましてな。何の因果かドイツの片田舎に流れ着き、父もわからぬ状態で私を生みました。フリードリッヒは、母の死後預けられた家で呼ばれた名です」
真っ黒な切れ長の瞳が、オレを見据える。
「徴兵された先で、私は、努力すればするほど、成果を上げれば上げるほど、評価される……そんな、素晴らしい境遇と出会えました。猿の子と蔑む者もおりましたが……それでも、こうして農民から新兵の教育係にまで成り上がることができた」
つらつらと、ウェンロンと名乗った軍曹は聞いてもいない生い立ちを語る。
「母は、イギリスとフランスへの恨みを幾度となく零しておりました。……そう。20年ほど前の戦乱でフランスに目にものを見せてやったことは、この胸に大きな誇りとして刻まれて……」
「……もう良いよ。てめぇ人の話聞く気ねぇだろ。オレが聞いたのは名前だけだっつの」
「ふむ、これは失敬。少し熱くなってしまったようですな」
こいつはプロの軍人で、場数も踏んでいる。……そうなると、正攻法で銃を奪うのは無理そうだ。
……しっかし、自分語りしてる間でも隙を見せねぇな。表情からも思考が読みにくいし、本当に不気味な野郎だ。
「……あ、そっか」
「……? どうされましたかな」
オレ、最近は「うっかり」殺したり傷つけたりしねぇようにどうするかってことばかり考えてた。……いや、それも大事なことなんだけどさ。
神父様が前に言ってた。オレの力は単なる怪力でなくて、生き残るために身につけた「技術」だって。
つまり……本当なら、殺るべき時に、殺ることができる力なんだ。
「わかっちまった」
あえてナイフを持つ手に力を入れると、軍曹も引き金にかけた指に力を込めたのがわかる。……頭の中で何かが弾け、時間の流れがやけにゆっくりに感じた。
銃声が廃坑内に響く。弾はオレの頬を掠め、天井に当たって背後の地面に突き刺さった。
「ぎ、ぃ、ぁあ……っ!? な、なんだ、こ、この、力は……!?」
へし折られた手首を押さえ、軍曹は銃を取り落とす。鉄の塊が岩の床に落ちた音が、洞窟内に響く。
とっさに左腕が出たが、利き腕でなくてもこうか。……そりゃ、何度も「うっかり」で殺しちまうわけだよな。
「ま、まさか、君も……『異形』なのかね……!」
「いいや、オレは人だぜ。ほら……アレだよ、アレ。てめぇの視野が狭いってヤツだ」
こう言ったら何だけど、今回は神父様の無茶な戦い方を真似てみた。
「命の危険」にあえて身を置くことで、本能が普段出さないような力を出させたわけだ。
「後で話があっからよ。今はそこで寝ててくれな」
膝をついた軍曹の胸元に、オレの爪先をめり込ませる。軍曹は声すら上げられずに、地面に倒れ伏した。
「ヴィル! どうした、無事か!?」
「軍曹殿、悲鳴が聞こえましたが……?」
神父様とギルベルトさんの声がする。戦ってるうちに位置が遠ざかったのか、ここからは人影でしか確認できない。
銃を拾い上げ、地面に置いてあったランプをかざした。
二人の銀髪と、神父様のロザリオが光に照らされて煌めく。……なるほどな。「そっち」が神父様か。
「神父様、動かねぇでください」
テオドーロが言ってたのは……脇腹のちょっと上あたりだったか。確か、オレから見て左。本人から見れば右……。
ランプをまた地面に置き、銃を構えてぶっ放す。……が、ギルベルトさんは造作もなく指先で受け止めた。
「……何だ? 下手くそな狙撃だな」
隙が見え、勝ちへの道筋が拓 けたのがわかる。
「んなもん慣れてねぇに決まってんだろ、バーーーーカ!!!」
即座に銃をナイフに持ち替え、暗がりを駆け抜ける。軍服の脇腹にナイフを突き刺し、そのまま切り裂いた。
「ぐぅ……っ!?」
溢れた血が軍服を濡らし、裂かれた脇腹は癒えることなく血を流し続ける。上手いこと、「当たり」を引けたらしい。
ギルベルトさんは血の止まらない脇腹を押さえ、地面に膝をついた。
「……は……? 回復、しねぇ……?」
呆然と呟く声が聞こえる。
ここで首をかっ切れば殺せるが、神父様の兄貴だしな。……まだ、やめておくか。
「……兄上。勝負はつきました。これ以上は……どうか、お止めください」
神父様はあくまで静かに、膝をついた兄貴に声をかける。
「は、はは……強いな、そいつ……。どこで、そんな番犬拾ってきた……?」
「……番犬ではありません。彼は、私の……。……相棒です」
マジか、相棒……? オレに対して史上最大級の好評価じゃねぇの、それ……?
なんなら恋人とか夫とか愛する人とか、そんな表現でも良かったんだぜ、神父様。怒られそうだから言わねぇけどさ。
「相棒、ねぇ……。……そりゃあ、良かったよ。独りで死なれてたら……俺も、寝覚めが悪かったところだ……」
「……兄上……」
はぁ、はぁ、と息を荒らげ、ギルベルトさんはふらふらと立ち上がる。
軍靴 の音が、かつ、かつと響く。気絶した軍曹のそばに歩み寄り、ギルベルトさんは両手を上げて「降参だよ、降参」と告げた。
「……で、本当はどういう関係だ」
「……はい?」
「惚れてるんだろう。……顔を見りゃわかる」
「えっ……」
ギルベルトさんは深手を負っている癖をして、神父様の反応を楽しむようにニヤニヤと笑う。
「良い顔するようになったな。……極上のオンナの顔だ」
「あ、兄上、あの……?」
「わかってんじゃねぇすかお兄さん。神父様、ほんとにヤバいんすよ」
「ヴィル……!?」
「ははは……っ、……そうだよなぁ。惚れた相手がそばにいるんなら、頑張っちまうよなぁ……」
楽しげな笑い声が、ギルベルトさんの喉から漏れる。
……と、ギルベルトさんは周囲を見渡し、大きく息をついた。灰色に戻った瞳がすっと細められ、真剣な表情が現れる。
「……早く逃げろ。この場所は軍曹にしか教えてないが……『兵器』が周りを固めてる」
「……! 兄上は……」
「いざと言う時のために、爆薬の起爆剤を渡されてる。お前らが避難した後に爆破して……あとはまあ、適当に逃げるさ」
軽い口調で語るギルベルトさんに、神父様は青ざめた顔で問う。
「……死を、選ぶおつもりですか」
ギルベルトさんは、あくまで明るく答える。
「別に良いだろ……? もう、疲れちまったんだ」
死を決意したとは思えないくらい、彼は心底スッキリしたように笑っていた。
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