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コーヒーミルク三つ 3

 そんな風に意気込んでやってきた、次の日のデートの朝。 「イズミ」  青信号になって道路を渡り、目的のカフェを見つけるより早くこっちが見つけられた。  軽く手を上げてこちらを見るその姿は。 「お……」  推しだこれーっ!?  危うく力いっぱい叫びそうになって、とっさに両手で口を押える。  ホテルで見た時は緊張していたしまだ疑惑止まりだった。というか普通に考えてそんなわけないという結論で落ち着いた。マンガやアニメじゃないんだから、偶然マッチングされた相手が推しでしたなんてありえるわけがないって。  けれど、明るい空の下で見ればライトさんはまごうことなき僕の推し、メグスクのスオウだった。さすがにこれは間違えようがない。  今日は黒いマスクはしているものの、もう少しシンプルな装い。キャップはバケットハットに変わり、ごつめのサングラスが薄い色付きのレンズに代わったことで、ただのオシャレなスオウになった。  めちゃくちゃかっこいい。めちゃくちゃかっこいい! 「はっ」  思わずライブのノリで手を振りそうになって、今度は自分の手を自分で押さえる。  一瞬なにもかも忘れて興奮してしまった。恐るべし本物のスオウ。  やっぱり本物だったのか。  ……でも、だったらなんでスオウがという根本的な疑問が再度生まれる。  マッチングアプリでたまたま推しと会うってどういうことだ。どんな確率なんだ。そもそもアイドルがそんなもの使うのか?  いや、他の人はどうかわからないけど、少なくともスオウはそこまでするほど飢えていたり遊んでいたりするようには思えない。それとも実はめちゃくちゃ肉食系とか? こういうのが日常だったりする?  ……だからプライベートは本人が語る範囲でしか知りたくないんだ。ステージを見る時にノイズが入る。  どんな姿もスオウだと思うけど、僕はスオウが見せてくれる範囲だけで楽しみたい。  こんな覗き見みたいな真似したくない。 「おはようございます」  とりあえず本人に近づく前にそっとタートルネックの首元を引き上げる。念のため、首輪を隠す服装で来ていてよかった。  僕が地味だし大丈夫だとは思うけど、アルファであるスオウの近くにオメガがいることは注目の対象になるかもしれない。万が一こんなところを写真に撮られて変な記事をでっちあげられたら困る。迷惑をかけないためにはファンであることもオメガであることも隠さねば。 「良かった、来てくれて。嫌われたかと思った」 「すみません、お待たせしちゃって」  距離が近いせいでほっとしたように緩む目元が見える。  待ち合わせの十五分前に着くつもりが、電車が遅れて五分前になってしまった。それでも約束の時間よりも早かったはずなのにまさか先にスオウがついているとは。 「いや、俺が早く来すぎただけ」  ひらひらと気安く手を振るスオウの何気ない仕草がかっこいい。ていうかもう生きてるだけでかっこいい。  で、ライトさんはどこだ。どうしてライトさんがスオウなんだ。  視界の中に普通に推しがいる事実に頭がパニックを起こしている。 「ここでいい?」 「はい」  それでも表面上は冷静を装って、スオウについていく。薄手のコートの裾をひらめかせる歩き方がかっこいい。  おかしいな。知らないうちになにかのイベントが当たったのか?  そんなことを思うほどこの状況が不思議すぎる。僕のことは壁かなにかだと思って認識しないでいてくれれば最高なのに。 「朝からイズミの顔が見られて嬉しい」  ひたすらに僕を無視して僕とは違う世界で健やかに生きてほしい人が、なぜか僕を見て甘いセリフを吐く。 「……え、ぼ、僕ですか? あ、違う、僕もです」 「ははは」  その事実に一瞬呆けて、それから慌てて取り繕ったのが面白かったのだろう。軽やかな笑い声が響いて見惚れてしまった。  別に笑わない男ではないけれど、普段はもっと口の端を上げるだけの笑い方をしているのに。こんな風にも笑うのか。  だけどその機嫌の良さそうな様子も、またも黒電話音のコールに引き留められた。 「……悪い、先に頼んでて」  仕事関係の電話なのか、足を止めたスオウが短く謝って通話ボタンを押す。  朝に待ち合わせなんて普通のサラリーマンではないだろうと思ったけど、スオウなら納得だ。忙しいからこういう時間しか取れないんだろう。  結局カフェの中に入る前に別れて、僕一人で先に注文することになった。  ……なに食べたらいいんだろう。  今さらの気持ちで書かれているメニューを見ながら考える。  状況がおかしすぎて、そもそも自分がお腹が空いているかどうかもわからない。  とりあえずコーヒーと、ちょっと摘めるもの? さすがにがっつり食べる系は除外するけど、デザート系でもない方がいいのかな。  スオウはコーヒーだよな。朝はいつもコーヒーしか飲まないって言ってたし。  ……コーヒーくらいなら頼んでも大丈夫だよね? 僕も同じものを頼めばおかしくないはずだ。  とりあえず注文を済ませてすぐに用意されたトレイを受け取ると、周りを見回して席を探す。  メインの席はオープンテラス。いくら軽い変装をしているとはいえ、ここでスオウが優雅にお茶をしていたらすぐに見つかってしまうだろう。  それならばと店内の道路に面していない窓側の席を選んだ。ここならゆっくりできるだろう。

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