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コーヒーミルク三つ 4
「はあ……」
落ち着ける場所を決め、席に腰を下ろすと、勝手にため息が洩れた。
とんだことになった。まさか本物のスオウだったなんて。
どんな理由があるかわからないけど、番希望の僕を選んだということは番を作る気なんだろう。それは一ファンとして知っていいものじゃない気がする。
いっそ今のうちに逃げてしまおうか。
そうしたら変な奴に会ったと思ってすぐに忘れてくれるんじゃないだろう。
「いやダメだ……」
自分で提案して即廃案。
カフェの入り口で電話しているからこっそり逃げることは難しいし、正直体力で勝てる気がしないから追われたらすぐに捕まる。そうじゃなくてもせっかく朝にわざわざ足を運んでくれたスオウに嫌な思いはさせたくない。
いっそ、これが本当にドッキリだったら楽だったのに。
高校生辺りが罰ゲームで嘘の告白をするノリで、ファンをドッキリにかけてるんじゃないかと思いたい。けど、そんなことするような性格のメンバーが一人もいない! メグスク最高!
「はあ……」
ありえない状況すぎて、盛り上がったり落ち込んだり脳内が忙しい。
それにしてもなんで僕、アプリに本名で登録しちゃったんだろう。名前だけとはいえ身バレしてどうする。
しばらくはファンレターを書くのを自粛するしかないないじゃないか。それともいっそ偽名を使うか。
いや、そもそも本人が読んでいるかどうかもわからないものの心配より、もっと切実な問題がある。
顔バレ。
すぐ忘れるとしても、人として認識されてしまった。そのせいで今後ライブに行った時に、ファンだとバレる可能性が上がってしまった。
どうだろう。
なにかしらの理由があって登録したマッチングアプリで、出会ったのが実はファンで、そいつが普通にライブに見に来てたら。シンプルに嫌じゃないか? 少なくとも気まずい思いはするんじゃないだろうか。
それともそんなのも考えすぎだろうか。別に僕くらいの人間になにを知られたって気になりはしないのか?
「いたいた」
ぐるぐると回り続ける思考を打ち切るように、大好きな声がした。自分に向けられた呼びかけは一直線で届いて、心の中で悲鳴を上げる。
なんとか表情を取り繕いつつ顔を上げると、店内に入ってきたスオウが僕の向かいに座る。そしてそこに置かれたコーヒーに気づいた。
「あれ。これ」
「あ、すいません、すぐ来るかと思って勝手に頼んじゃって。いらなかったら……」
「いや、ありがとう。それは嬉しいけれど、これ」
どうやらスオウが指していたのはコーヒーではなく、その横だったらしい。とはいえなにもおかしなものは……。
「なんで俺がミルク三つ入れるってわかった?」
コーヒーのカップに添えた三つのミルク。
なぜそれが不思議なのか数秒考えて、はっとした。
「え、あ、ごめんなさい。僕が三つ入れるので同じだけ持ってきちゃいました」
「……そうか」
普通はそれだけ入れない。特にスオウの見た目のイメージなら、完全にブラックで飲むように見える。それなのに当たり前のように添えられた必要分なだけのミルク。そりゃおかしく思うだろう。
ただ僕の言い分も嘘ではなかったから、スオウは少しの逡巡で納得してくれたらしい。
「じゃあやっぱり気が合うんだな俺ら」
その上で嬉しそうに笑みの形に目元を緩ませるから困ってしまった。
ごめんなさい、好みの把握はファンの常識です。
なんならスオウのクールな見た目に反して、コーヒーにミルク三つが可愛すぎたから、ファンはみんな真似してます。それが生活に溶け込みすぎて本人の前でやらかしただけです。
言い訳が高速で頭の中で周り、だけど全部を飲み込んでなんとか微笑む。
うまく繕えたのはいいけれど、それはそれでまた誤解を生んだ。
そもそも初対面で気が合ったように感じたのは、スオウから影響を受けた趣味を本人に話していたからだ。そんなもの合って当然なんだ。
だからそんなに僕をいい条件のオメガだと思わないでほしい。コーヒーくらいの課金でそんな風に微笑まれる資格はない。
「良かったらどうぞ」
全部ファンだからですというネタバラシはできず、かと言って至近距離の推しを正面から見ることもできず、代替案としてサンドイッチを勧める。
ハットもマスクも取った素顔は近くで見るには迫力がありすぎる。今すぐ逃げたい。逃げて遠くから見たい。
「じゃあ一つ」
とりあえず素直に端のサンドイッチに手を伸ばしてくれたスオウの指だけチラ見。サンドイッチを摘む指がかっこいいってすごいよな。
なにより推しに直接課金できるの最高。
「あーん」
「え、え」
その行方を見守っていたサンドイッチが、なぜか自分の目の前に突き出されて反応が遅れる。
あーん。
……こういうシチュエーションのスオウは、雑誌やテレビの企画でたくさん見た。
だけどそれを自分にやられたら、というのはまったく考えたことがなかった。だからなんの耐性もなくて固まってしまう。
「あーん、だよイズミ」
ただもう一度言葉を重ねられ、次いで名前まで呼ばれたら反射的に口が開いた。そこにそっとスオウの指がサンドイッチを差し入れる。
「ハムスターみたいで可愛い」
もぐもぐもぐと必死で咀嚼する僕を見てスオウが呟いた言葉で、危うく喉に詰まりそうになった。
頬杖ついてカップを片手にそんなセリフと微笑みを浮かべるのは反則だ。良すぎる。これが自分に向けられたのじゃなきゃ単純にそう思えるのに。
推しの目にサンドイッチを頬張っている自分が映っているのかと思うと羞恥で死にそうだ。
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