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11月 5 ②
「調子が戻るのに丸一日かかったってことは、アレルギー反応が強くなってるんじゃないのか? 同じことやったら次回は呼吸困難を起こすかもしれないだろうが」
晃嗣が怒りを含めて真剣に話すのを、朔はあ然といった顔で見ていたが、やがて決まり悪そうに俯いた。
「ごめんなさい、ご馳走になるのにあれは駄目これは駄目って言い出しにくくて」
肩を竦めて座る朔を見て、晃嗣は自分にも落ち度があると思った。初めて一緒に食事をする相手なのだから、好き嫌いとは別に、食べられないものはないかと尋ねるべきだったのだ。
「……そうだよな、俺が訊いたらよかったんだ」
「だから柴田さんのせいじゃないっつの」
朔は顔を上げて、困ったような笑い顔になる。
「柴田さんがご馳走してくれたものに当たったなんて思いたくないし」
またこういう言い方をする。どんな反応を期待しているのだろうか。晃嗣は嗅いだことのない匂いがする他人の部屋で、困惑を深める。テーブルが小さいこともあり、朔の顔が近いのも、普段経験しない緊張感を高めた。
「……こういうことになったらいつもどう対処するんだ?」
晃嗣は今後……今後があればの話だが、もし一緒にいる時に朔が海老や蟹を口にしてしまった場合を考え、訊いた。しかし朔の返事は、極めて曖昧だった。
「うーん、マシになるまで待つしかない」
「そんな……病院に行ってないのか?」
「行っても仕方ないから行かないよ、身体に入れないよう防衛するのが全てなんだ、食い物のアレルギーって……俺の場合は大人になってから出たから、たぶん一生つき合わなきゃいけないし」
朔の言葉に晃嗣のほうがショックを受けてしまう。従姉の子どもが軽い卵アレルギーを持っており、彼女が卵を使わないお菓子を探したり、時には自作したりしているのを晃嗣は知っていた。少しずつ食べさせることで、アレルギー症状を克服できる可能性もあると従姉は話してくれたが、発症が遅いと治療の方策がほぼ無いことは知らなかった。
朔は晃嗣を軽く覗き込んできた。
「柴田さん、家族が難病の告知を受けたみたいな顔しないでよ……珍しいことじゃないだろ」
「……そうなんだろうけど」
晃嗣は目を逸らす。明るい色の瞳にじっと見つめられて、やや居心地が悪かった。
「柴田さん優しい」
「普通だろ」
午後に似たような会話を耳にした気がしつつ、晃嗣は朔に答えた。
病人を疲れさせてしまう、あまり長居してはいけない。晃嗣はコーヒーを飲み干して、立ち上がろうとした。すると朔も椅子から腰を上げる。晃嗣は彼を制そうとした。
「見送らなくていい、お粥食べて……」
その時、ふいと朔のきれいな顔が近づいた。えっ、という呟きは、睫毛長いなとちらっと思った瞬間に、出所を失う。温かくて柔らかいものが、優しく唇に押しつけられた。
「……っ‼︎」
晃嗣は思わずのけぞって、右手の甲を唇に当てた。えっ何だ、こいつ今何をした? 人形のように美しい形をした目が自分を見つめていることに、晃嗣の顔が一気に熱くなる。中腰になって固まったまま、心臓がどくどく鳴るのを耳の中で聴いた。
朔はゆっくりと2回瞬いて、唇を尖らせた。やや不満気である。
「……食糧調達してくれたお礼だよ」
「へ? おっ、お礼にキスとかっ、外国人かよ」
晃嗣はプチパニックになり、訳のわからないことを口走る。朔は僅かに眉間に皺を寄せた。
「そんな迷惑そうな顔をされると思わなかった、傷つく」
迷惑だなんて! 晃嗣はますます頭の中を混乱させる。
「嫌だったんじゃない、びっくりしたんだ、だってこれは過剰なサービスじゃないのか」
「俺今どちらかと言うと、ディレット・マルティールのさくじゃないんだけど」
ではどういうつもりなんだ。晃嗣は朔が小首を傾げるのを視界に入れて、額や首まで赤くなるのを自覚した。
「とっ、とにかくもう帰るから、お粥食べて歯を磨いて良く寝てくれ、かっ、桂山課長も心配してたから、明日は出勤できるように……」
晃嗣がぎくしゃくと話すので、朔はくすっと笑った。
「ありがとう、買って来てくれたオレンジのゼリー好きなんだ、お粥のあとで食べるよ」
晃嗣は朔の笑顔を見て、胸の中がきゅっと絞られるのを感じた。ああ、こんなことで喜んでくれるのか。そんな顔をしてくれることが、たまらなく嬉しい。
「柴田さんも風邪ひかないようにしてよ」
朔は玄関で晃嗣を見送ってくれた。彼は晃嗣より少しだけ背が高く、上半身もがっちりしているので、玄関先が狭いせいかやけに距離が近いように感じる。
それだけではない……気を許されている。確信があった。そう意識すると、朔に触れたい欲望が頭をもたげて、晃嗣はそれを抑えるのに少々苦労した。
おやすみなさい、と言って朔は手を振る。晃嗣は名残惜しい気持ちに襲われながら、重いドアをそっと閉めた。その場を5歩離れた時、小さく鍵を閉める音がした。直ぐに鍵をがちゃんとかけないのは、気遣いだろうか?もしそうなら、朔らしいと晃嗣は思った。
赤くなった顔を誰にも見られずに、マンションから出ることができた。晃嗣はマスクをつけ忘れていることにようやく気づいて、そそくさとコートのポケットからそれを引っぱり出した。
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