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12月 3 ②
12時を告げるチャイムが控え目に鳴った。晃嗣は部屋の中から人が引くのを少し待ち、ロッカーからそっとコートを出す。財布とスマートフォンだけを持ち、下に向かうエレベーターに乗った。エレベーターは各停になり、外食や買い出しに行く社員でいっぱいになる。
朔は食事の場所に、所謂エキナカのとんかつ屋を挙げてきた。昼間から油っこいなと思ったが、晃嗣よりも朔は若いし、朝から外回りをすると腹も減ることだろうと納得する。
観光客と昼休みの勤め人で混雑する八重洲口に向かい、指示された店を探し当てると、コートの前を開けて立つ朔が手を振っていた。
晃嗣は嬉しくなって彼のほうに足を早めようとしたが、後ろから二の腕を掴まれ、飛び上がりそうになった。驚いて振り返り、掴まれた腕と背後に立つ背の高い男の顔を見比べ、えっ! と小さく叫んだ。彼は晃嗣を解放して、嬉しそうに言った。
「あーやっぱり晃嗣さんだ、久しぶり!」
スーツ姿の男はコートを左腕にかけ、キャリーケースを傍に置いている。晃嗣はマスクの上のやや切れ長の目を見て、瞬時に脳内がフリーズしたのを自覚した。……何でこんなとこで会う……?
相手は晃嗣にダメージを与えたことに気づかず、明るく続ける。
「何かサイト辞めさせられちゃって、連絡も取れなくてごめんね! 最後に会った時にお互いきちんと自己紹介しようとしてたのにねぇ」
男の名は七宮 憲一 といい、晃嗣はマッチングサイトを通じて彼と出会った時、この明るい声や話し方に一番に惹かれたのだった。しかし彼が、サイトを強制退会させられたことへの後ろめたさの欠片も見せず、ペラペラと話す様子が、今日はやたらと煩わしい。晃嗣は朔との楽しい時間を邪魔されたこともあり、頭が再起動を始めた途端、イライラしてきた。
「すみません、私はあなたとはもう何の関係もありませんから」
晃嗣の低い声に、憲一は目を見開いた。
「どうしたの、晃嗣さん冷たい、俺たち結構いい感じだったのにぃ」
晃嗣の頭に血が昇る。それをぶっ壊したのは、おまえの裏切り行為だろうが!
憲一は、家庭を持つ身で独身のゲイ向けサイトに登録していた。晃嗣は偶然彼の虚偽に気づいてしまい、会うのを辞めようかどうかかなり迷った。そうこうするうち、彼の登録を抹消したという通達を、運営から受けた。つまり目の前の男は、晃嗣以外の男性とも会っており、おそらくその人にも妻子持ちであることがバレて、運営に垂れ込まれたのだ。
「……あんた奥さんも子どももいるんだよな、俺はバイに遊ばれるのはごめんだ」
そう言った途端、憲一の目が険しくなった。晃嗣は怯む自分を感じたが、目は逸らさなかった。
「……チクったの晃嗣さんなの?」
「違う、規約違反であんたが退会させられたってサイトから聞いて知った」
晃嗣と、偶然通りかかったらしい知人の様子がおかしいと気づいたのか、朔がこちらに早足でやって来た。晃嗣はそのことに焦る。憲一との関係を朔に知られるのはたまらなく嫌だった。
憲一は朔のほうをちらっと見てから、晃嗣に囁く。
「あれはただの同僚? もしかして新しい彼氏? 若くてキレイな子じゃん、晃嗣さんやるなぁ」
その目が揶揄の半笑いになっているのを見て、今度こそ晃嗣はキレた。憲一を見据えて思わず声を荒げた。
「彼はそういうのじゃない!」
「どうしたんだ柴田さん、誰なのこの人」
言いながらこちらに来た朔は、ちらちら視線を送ってくる人の流れから晃嗣を隠すような位置取りをして、憲一を見た。会話も朔に聞こえたかもしれない。晃嗣は憲一を無視しなかったことへの後悔に、奥歯を噛み締める。
「あ、晃嗣さんの会社の人? はじめまして、俺晃嗣さんの……ま、友達かな?」
憲一は相変わらず半笑いで言った。晃嗣は朔に軽く覗き込まれて、反射的に顔を背ける。恥ずかしくて、何処かに逃げてしまいたかった。
すると朔は、その美声に軽蔑のようなものを混じらせながら憲一に応じた。
「えーっほんとに友達? こうちゃん貴方のこと明らかに嫌っぽいんだけど? 何かまとわりついてるんじゃね?」
憲一ははぁっ? と、高い声を発した。晃嗣もこうちゃんとは誰のことなんだと突っ込みそうになったが、朔はへらへらと続ける。
「今こうちゃんとつき合ってんの俺だからさ、馴れ馴れしくしないでくれないかなぁ?」
眉を吊り上げた憲一は、簡単に朔の挑発に乗った。
「いい加減なこと言うなよ、このガキがっ!」
「いい加減じゃねぇよ、こうちゃんはあんたみたいなクソバイが便器にしていい人じゃねえんだよ」
晃嗣はことの成り行きにあ然となり、固まるしかない上に、その顔に似合わない朔の言葉の汚さに仰天する。憲一は自分より若い朔の罵りに顔を赤くして、明らかに狼狽えた。
「おっ、俺は晃嗣さんが本気で気に入ってたんだ、おまえこそ割り込んできて」
「それ以上喋るとここで叫ぶぞ、あんたは穴があれば何処にでもちんちんを突っ込む奴だってな」
2人の発する険悪な空気に、晃嗣の視界が揺れそうだった。倒れてしまうことができれば、どれだけ楽だろうかと考えたが、気力を振り絞って声を発した。
「……七宮さん、これから出張なんだろ、もう行けよ」
こめかみに血管を浮かせた憲一は晃嗣の顔を見て、ああ、と曖昧に返事をした。場を収拾するきっかけができて、ほっとしたようにも見えた。
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