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12月 8 ②

「あれは私もやってましたよ、私のパートナーもあれが引き金になったようでした……だって、好きな相手からただただ金銭を恵まれ続けるのは嫌でしょう?」  晃嗣は桂山の言葉にどきりとさせられる。どちらかが金やモノを与え続けるのは、対等な関係とは言えない。朔はあの時、客とスタッフという立場を転換して、自分と対等になりたいと言いたかったのか?  桂山はゆっくりコーヒーに口をつけてから、続けた。 「それに彼がスタッフである限りは、誤解を解きたくても柴田さんにしつこくアプローチしないでしょうね」  その時晃嗣は、如何に自分が朔の立場を考慮せず接して来たのかを痛感した。晃嗣のほうが一方的に、買った者と買われた者という2人の立ち位置を、安直に踏み越えていたのだ。  桂山の言う通りだとしたら、こんな時に「シルバースタッフのさく」として振る舞う朔が歯痒いと感じる。ただ彼はいつも、晃嗣が指名し恋人ごっこを要求した時は、スタッフとして礼儀正しく接してくれた。おそらく神崎綾乃に釘を刺されたのもあるだろうが、今も朔はスタッフとしての礼節を重んじているのかもしれない。 「……これはあくまでも、私が柴田さんの話を伺って受けた印象です、過剰に期待させることになると申し訳ないんですが……とにかく、彼が誤解を解きたい気持ちは慮ってあげてもいいように思いますよ」  はい、と桂山に素直に答えられない自分がいる。拒絶のような素振りをしておきながら、こちらから連絡を取るなんて、虫が良すぎないか? それこそ胸糞悪いと思われそうだ。  言葉が出ない晃嗣に向かって、桂山は静かに言った。 「それだけ困って悩むなら、思い切って彼に連絡を取るほうがいいと思います、望むような結果にならなかったとしても……きっとすっきりします」 「……そう……ですね……」  晃嗣は外したマスクを握りしめた。さっき桂山の顔を見たときに溢れたものとは違う涙が、じわりと視界を曇らせた。 「とにかく柴田さん、マスクであまり目立たないとは言え結構酷い顔をしてますから、美味しいものを食べてゆっくり眠ってください」  数度話したことがあるくらいで、よくは知らない人からそんな風に言われて、晃嗣の涙が止まらなくなった。こんなくだらないことに振り回されている情けない自分を心配し、馬鹿にせず慰めてくれる人の存在が嬉しい。  持参していたのか、桂山はティッシュの箱を晃嗣の前に置いた。晃嗣は遠慮無く3枚の紙を引き抜いて、涙を拭いた。  しばし静かな時間が流れた後、桂山は如何にもいいことを思い出したと言わんばかりに、声を弾ませた。 「そうそう、金曜日に営業課主催でクリスマスパーティをします」 「パーティ?」 「ええ、今年は日取り的に家庭持ちがほとんど参加しないので、独身中心の飲み会になりそうですけど……気晴らしにどうですか?」  感染症の拡がりが懸念されているのに、大胆なことである。確か昨年も、営業課は会議室で集まって何かしていた。他部署にも拡張しようということらしい。  晃嗣は楽しげな桂山に水を差さないよう、一応確認する。 「あの、ストップかからないんですか?」 「今のところ大丈夫です、今年は一番広い大会議室を使います……20分に1回換気するから寒いですが」  2階の大会議室は、株主総会やプレスリリースに使われる部屋である。参加者の間に距離を取るには十分だろう。 「ケータリングも昨年より美味しい会社に頼んでますから、ドリンク付きの食事に行くと思って貰えれば」 「はあ……」  ふと晃嗣は、朔が参加するのかどうかが気になった。参加者は独身ばかりだと桂山は言ったが、普通に考えれば、朔も含まれそうである。 「ああ、高畑くんはこの日夕方に取引先に挨拶に行くので、先様との話が長引けば遅刻参加になりそうですね」  晃嗣の心の中を覗き見したような桂山の言葉に、動揺が顔に出そうになるのを必死で抑えた。そうですか、と答えた声が上擦り掠れたが、涙の後だからだとごまかせそうだった。 「秋に倒れた時以来、柴田さんが気にしてくれているとさっくんが言ってました……営業は知人が少ないかもしれませんが彼がいますし、基本皆フレンドリーですので安心してください」 「はい……ありがとうございます」  晃嗣は机の下で手を固く握り締め、朔に対して何らかのアクションを起こす必要があることに緊張感を覚えた。LINEのメッセージでは、上手く気持ちを伝える自信が無い。ならば、金曜のパーティに参加することだけを連絡し、集まりが終わってから朔と話す時間をつくるほうがいい。  桂山はこちらを心配そうに見ていた。晃嗣は彼に向かってぎこちなく笑ってみせる。 「お気遣い痛み入ります」 「無理の無い範囲で参加してください、レク費が会社から出るので会費は1000円で結構です」  晃嗣に迷う時間は無いようである。桂山が晃嗣を頭数にしっかり入れている様子なので、元々会社の行事にほとんど参加しない晃嗣ではあるが、今回は事情が特別でもある。朔と顔を合わせる機会ができることを、今の晃嗣は手放しでは喜べない。しかし、この鬱陶しい現状を打破するきっかけになればいいと考えた。 「では少しだけ顔を出そうと思います」  晃嗣の回答に、桂山は微笑した。 「適当に出入りしてください、他にも10人ほど他部署から参加してくれます」  ふと気になって、晃嗣は桂山に訊いた。 「桂山課長は家に帰らなくていいんですか? 金曜でクリスマス直前なのに」  桂山はファイルからA4の紙を1枚出して、晃嗣の名を表の中に書き込んでいた。パーティの出席者の名簿らしい。 「私が主催なので最初から最後までいますよ、私のパートナーは金曜は関西で仕事なので、帰りが遅いんです」  そうですか、と晃嗣は応じた。  気持ちはだいぶすっきりしていた。桂山と彼のパートナーのようにはいかないだろうが、何が「誤解」だと朔が思っているのかくらいは、確かめてもいいかもしれない。  そして、お互いがこの関係をどう受け止めていて、これからどうして行きたいのかも……話し合うことができるならば。  晃嗣は朔が好きだった。それは確かな事実だ。朔に恋人役を演じてもらうのではなく、本当の恋人になってほしいと思っているし、いくら家族を安心させたいからといっても、好きでもない女の子と結婚なんかしてほしくない。  朔が家族を思う気持ちを否定はしない。むしろ彼のその姿勢は尊い。だが、彼が必要以上に自己犠牲的に振る舞うのは、彼と彼の家族にとって好ましくない。彼が晃嗣を選ばなかったとしても、それだけは伝えたい。 「すみません桂山課長、お世話かけました」  晃嗣は目の前に座る男性に頭を下げた。桂山はやはり人の良さげな微笑を浮かべて、いいえ、と言った。 「……ディレット・マルティールは変わった店で、大切なスタッフほど客に身請けさせたがるんですよ」  身請けという桂山の言葉は時代錯誤だったが、彼のように、客が気に入ったスタッフをパートナーにしたという実情を上手く表現していた。  そういえば神崎綾乃は、朔と自分が仲良くやってほしいと考えていることを隠さないが、店の売り上げのためという以上に、奇妙な熱心さをちらつかせる。彼女は晃嗣が朔を「身請け」すればいいと思っているのかもしれなかった。 「……ほんとに変な店ですね」  晃嗣はつい口にして、自分の表情が緩むのを感じた。そうなんですよね、と桂山も笑い混じりに応じた。

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