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12月 10 ①
クリスマスを目前に控えたその金曜日は、朝から非常に冷え込んだ。そのため、室内の温度が少し上げられたことに、少なくとも人事課では誰一人として文句を言わなかった。
部屋の入り口に近い場所にデスクがある晃嗣は、足元に置いた小さなファンヒーターと、背中に貼ったカイロで寒さを凌ぐ。それでも指先の冷えは如何ともし難い。極寒の中の営業もきついが、身の置き場を変更できない事務職も、なかなか大変だ。転職して知ったことの一つである。
「柴田さんは春日部に帰るんですか?」
相良に訊かれて、年末年始のことを全く考えていない自分に気づく。晃嗣は、三ヶ日は帰るかなぁと答えた。
「相良さんは江戸っ子だよね?」
晃嗣の問いかけに、相良はくすっと笑った。彼女は葛飾区の実家から通勤している。
「両親とも東京なんで、帰省って憧れます……しかもお正月、うちにみんな集まるんですよ」
うわぁ、と山口が言った。彼は富士山の麓の出身だ。
「ってうちもそうなんだけど、家が広い訳でもないのに本家に集合とかやめてほしいです」
「寝正月できないですよね」
後輩たちの会話に、案外正月に一族郎党が集まる家も多いのだなと、晃嗣は軽く驚いた。晃嗣の家では、正月やお盆に今はもう集まらなくなった。気楽なものである。
朔はきっと、年末年始は実家で過ごすのだろうと晃嗣は考える。父親の話が出ないところを見ると、容体は落ち着いているようだ。
朔が業務上の迷いを自分に相談してくれた一件は、色気のかけらも無かったにもかかわらず、晃嗣の胸に垂れ込めた厚く黒い雲を、かなり晴らしてくれた。単純過ぎる自らの精神構造が、晃嗣はやや恥ずかしい。
「今日営業課のクリスマス会に出る人いるの?」
瀬古課長が誰にともなく尋ねると、晃嗣だけが挙手した。皆に注目されて、思わず手を引っ込める。
「課長、子どもの集まりじゃないのにクリスマス会って」
誰かが突っ込むと、笑いが湧いた。瀬古も笑いながら応じる。
「だってプレゼント交換するんでしょ? うちの子たちも小学生の頃はよくやってたわ」
「小学生と同列扱いしますか!」
性別と年齢を問わない1000円ほどのプレゼントを持参してくれと桂山に言われ、晃嗣は無地のオーガニックの今治タオルを買った。選択のために悩んだ時間を子ども呼ばわりされるのは、やや腑に落ちない。
「たぶん営業課の人たちは、こういうとこで手土産のセンスを磨いてるんですよ」
晃嗣が言うと、えーっ、と疑問を呈する声が複数上がる。
「去年トンデモプレゼントだらけだったって聞いたけど」
瀬古に言われて、晃嗣は言葉を失う。もしかすると、笑いが取れるものを持参するのが正解なのだろうか。
「あ、柴田さん真面目に考えて選んで来た勢?」
瀬古がマスクの上の目を笑いの形にする。晃嗣はややむきになった。
「そっ、そんなの当たり前でしょ、使って貰えない物なんか渡したら迷惑なだけじゃないですか」
柴田さんのそういうとこ好き、と山口が小さく言ったが、彼が思ったより多くの連中に聞こえたらしく、室内にざわざわと忍び笑いが広がる。その笑いが好意的なのか悪意混じりなのかは判別し難く、晃嗣は俯き加減になり、それ以上何も言わなかった。
パーティの開始は19時なので、晃嗣は少しだけ残業をして大半の社員を見送ってから、2階へ向かった。クリスマス前の金曜に会社で飲むなんて、確かに寂しいような気もする。桂山が直接誘ってくれて、朔が来ると分かっているから参加するようなものだ。
エレベーターから降りると、大会議室の扉が全て開け放されているのが見え、辺りにいい匂いが漂っていた。ケータリングの準備は済んでいる様子である。
晃嗣が部屋の中を覗くなり、営業事務の社員たちが歓迎してくれた。交換用のプレゼントが入った紙袋を彼らに渡すと、すぐに番号を書いた付箋が貼られる。
紙皿と割り箸を料理の周りに出していた桂山が、こんばんはと挨拶してきた。
「お邪魔します、何か手伝うことありますか?」
「いいえ、定刻から始めるので座ってお待ちください」
立食スタイルだが、壁に沿って休憩用の椅子が並べられていた。晃嗣は桂山の言葉に甘えて、他部署からの来客と挨拶を交わしながら腰を下ろす。総宴会部長と呼ばれる部署だけあって、営業課の社員たちはやたらと手際よく準備をしており、晃嗣の出る幕は無さそうだった。
「お待たせ致しました、時間になりましたのでクリスマスパーティを開催します!」
19時ちょうどに、若い男子社員が宣言した。缶ビールやペットボトルの緑茶が回ってきて、その場に集まった各自で、好きな飲み物を紙コップの中に満たす。
乾杯の音頭は主催者の桂山が取った。仕事納めまであと少しなので頑張りましょうと彼が言うと、皆がマスクを外して、音も無くコップを当て合った。晃嗣が広い部屋を見渡したところ、出席者は30人ほどである。
晃嗣は他の課の者の顔はよくわからないが、名前は知っている。営業課もその他の課の人間も、名前を訊いて顔と擦り合わせていった。こんな場所に顔を出すくらいだから、皆気さくで明るい。
「食べ物も取ってくださいよー、早い者勝ちです!」
呼びかけられて、晃嗣もサンドウィッチやローストビーフのサラダなどが並ぶテーブルに向かう。皆何となく無言で料理に手を伸ばすのは、感染症対策が身に染みついた結果のようだった。
「ビュッフェ形式でやるのは賛否両論あったんですけどね」
営業課長補の花谷 が、パスタを箸で摘みながら言った。確か彼は、妻を扶養に入れる手続きをして1年半くらいだが、こんなところで飲んでいていいのだろうかと晃嗣は思った。
「私もこういうのは本当に久しぶりです」
「去年めちゃくちゃ盛り上がったから課長が気を良くしちゃって」
「桂山課長は部下思いですよ、会社でやれば皆で飲みたい人は堂々と楽しめるし、あまり参加したくない人は感染症を理由にできます」
晃嗣の言葉に、花谷は笑った。
「柴田さんは結構シビアにものを見るんですね、物腰も柔らかいし営業向いてますよ」
一応元営業だがな。晃嗣は苦笑した。花谷はああ、と思い出したように言う。
「柴田さん、さっくんと同期入社なんですって?」
いきなり朔の名を出されて、晃嗣はどきりとした。それを花谷に悟られないよう、ビールをゆっくりと口にする。
「……はい、同じ日に入社したってだけですけど」
「いやいや、立派に同期です……お互い入社して5年も経ってから気づいたって、何だか面白いなと思って」
少なくとも晃嗣は、入社当初から朔の存在を気にしていたのだが。それを正直に話す訳にもいかず、そうですかね、と笑いを作る。
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