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12月 10 ②

 特に誰かがスピーチをしたり、隠し芸を披露したりする訳でもなく、パーティは穏やかな懇親会となっていた。しかし営業課の独身社員は酒飲みが多いらしく、ビールが減ってくると、赤ワインのボトルと日本酒の一升瓶が歓声の中登場した。女子社員たちが缶チューハイを選んでいたので、晃嗣もそこに混じり、グレープフルーツのチューハイを取る。 「あ、柴田さんはお酒はあまり強くないんですか?」  彼女の名を竹内(たけうち)と晃嗣は記憶していた。営業課の女子のホープである。 「弱くなりました、家ではほとんど飲まないし、ここ3年ほど飲む機会が減ったでしょう?」  晃嗣の返事に、竹内はそうですねぇ、と眉の裾を下げる。  その時換気タイムがやって来て、部屋の窓が一斉に開けられた。一気に入って来た冷たい空気に、ほろ酔いの人々が口々に不満を訴えた。 「さっぶ! やばい!」  自分の肩を抱いた男子社員に、はい我慢、と桂山が言った。 「これで風邪ひいたら世話ないよねー」 「柴田さん、その場合労災効くの?」 「……難しいとは思いますが、駄目元で申告なさるのは自由かと」  笑いが部屋の中に広がる辺り、皆酔って良い気分になっているようである。  思ったより随分美味しい料理や、バラエティに富んだドリンクに、晃嗣も満足していた。周りは皆楽しげで、良い職場だと思う。 「それにしても高畑くん遅いね」  誰かが言った。パーティが始まってから、数人の社員が遅れて会場に入って来ていたが、その中に朔の姿は無かった。 「謝りに行って絞られてるのかな」 「あそこの社長さん、そんな感じではないぞ……別に怒ってなかったんだろ?」  噂話を聞きながら、晃嗣はこの間の朔からのLINEを思い出した。今日お詫びに行ったのか。桂山のほうをちらっと見たが、晃嗣が彼に確かめるのも好ましくなかった。  晃嗣が訊こうか迷っているのを察したかのように、花谷が教えてくれた。 「中途採用の社員さんのために、デスクを2組年明けに用意出来るかってある会社から訊かれてたんですよ……さっくん珍しく忘れてて、社長から直電があったんです」 「……そうだったんですか」  晃嗣は壁にかかる時計を見た。パーティは8時半にプレゼント交換をして、片づけを始めるとアナウンスがあった。もうそれまでに40分も無く、料理も残り少ない。 「さっくんに食べるもの置いといてやれよ」  桂山が言うと、2人の社員が紙皿を手に料理を取り始めたが、1人が海老の寿司に取り箸をのばしたので、晃嗣は慌てて割り込みに行った。 「それは駄目だ、朔さんは甲殻アレルギーを持ってる」  箸を持った若い男子社員……手島(てしま)は、晃嗣の顔を見て、えっ! と小さく言った。 「初耳です、課長知ってましたか?」  手島に問われた桂山も、俺も初耳、と目を丸くする。それを見た晃嗣は、いろいろな意味で焦った。朔が周りに伏せていたなら、要らぬ暴露をしたことになる。また、課の皆が知らないことを他部署の晃嗣が知っているということが、おかしな詮索をされるきっかけになってしまうかもしれない。 「柴田さん結構さっくんと親しいんですね、本人から聞いたんですか?」  手島から訊かれた晃嗣はうん、まあ、とごまかしにかかる。酒のせいもあるだろうが、やたらと心臓がばくばくした。  桂山課長も初耳とは、どういうことだ。晃嗣は朔に対して軽い苛立ちを覚えた。あの時、わざわざ営業の帰りに家まで書類を持って来てくれた上司に、自分のアレルギーについて話しておこうとは思わなかったのか。 「水臭いなぁさっくん、大事なことなんだし言ってくれたらいいのに」  桂山が手島たちと笑いながら言った。やや晃嗣もその輪に入ったが、ちらっと桂山がこちらに目線を送ったことに気づく。部屋の中が換気のせいで冷えているにもかかわらず、晃嗣は背中に汗が伝うのを感じた。  まさか、感づかれる筈がない。自分と朔が最近親しいことと、自分が熱を上げているゲイ専デリヘルのスタッフが、朔その人であるという事実が、桂山の中で繋がる訳がない。そう思いたいのに、バレたような気がしてならなかった。  その時、エレベーターに近い入り口で、複数の女子社員の声がした。 「あっ高畑さん、お疲れ様でした」 「今さっくんの食べる物キープしてくれてるよ、ビールでいい?」  晃嗣の心臓が跳ねた。なるべく自然に見えるように、ゆっくりと入り口のほうに首を巡らせる。朔の頭が見え隠れして、晃嗣は密かにときめいた。  桂山が部下を労うべく、入り口に向かおうとしたが、女たちが高い声を上げたので足を止めた。 「えっ? さっくん何で酔ってるの?」 「ちょっと、大丈夫? 何処で飲んで来たのよ!」  場がざわめいた。皆そこそこ酔っ払い始めていたが、今来たばかりの朔が酔っているのは、少々センセーショナルなようだった。  もうかなり顔を赤くした花谷が、あっ、と思いついたように言う。 「あそこ割と会社で飲み会するんだ、社長が好きで……つき合わされたんじゃないのか?」 「うちみたいに今夜パーティしてるんですかね?」  手島が首を傾げた。桂山は朔のそばに行ったが、入り口近辺がごちゃごちゃしている辺り、朔はかなり足許が怪しいのかもしれない。  晃嗣の印象では、朔は酒に弱い訳ではない。イタリアンの時も、フルボトルのワインを2人で空けてけろっとしていたし、この間の焼き鳥屋でも、日本酒の後でややぼんやりした目になったかな、という程度だった。  心配になった晃嗣は、紙コップを置いて入り口に足を向けた。朔は真っ赤な顔をして桂山に肩を支えられており、彼から何か言われたことに首をかくかくと縦に振っている。  社員たちの陰から朔の様子をそっと見ていると、彼がぱっとこちらを向いた。ばっちり目が合って、晃嗣はびくりと背筋を伸ばした。 「あっ、柴田さん!」  朔はこともあろうに大声で言い、桂山に凭れかかった姿勢のまま、からからと笑った。 「よかった! もう帰ったかと思った! あのね、言われた通りに課長に相談してね、謝りに行ったらさ、社長と奥さんが忘年会するからって誘ってくれたんだよっ! めちゃ飲んで来た、あはははっ!」  あーあー、という声や笑いがその場に起こる。間を置かず、呂律も怪しい朔は上機嫌にぶちあげた。 「ちゃんと処理して来たから、柴田さん、ご褒美にチューしてくれるよね? あっ、俺がしたほうがいい? 任せるわ、決めて!」  その場にいたほぼ全員が晃嗣に注目した。一気に酔いが醒めるのを感じただけでなく、顔から血の気が引くのを自覚した。  桂山はおいおい、と朔の肩を揺すったが、すぐにくすりと笑った。それにも晃嗣は衝撃を受ける。この人、やっぱり気づいてるじゃないか!

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