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12月 11 ①

 朔は何も話さないくせに、晃嗣の顔をちらちら伺いながら駅に向かった。多少酒は醒めたのか、足どりはしっかりし始めている。最低阿佐ヶ谷の駅までは送ってやるつもりでいたので、一緒に中央線に乗った。混んだ車内で、横並びになって立つ。 「ごめん柴田さん、ちょっと悪ふざけが過ぎました」  朔はしおらしく小声で言った。晃嗣は苦笑を返すしかない。 「……酔った上での冗談にし切れないなぁ、あれは」 「いや、週明け全否定してくれてもいいから」  晃嗣は朔のほうを向いた。何を否定しろと言うのか。 「無理だろ、あんな大勢の前でぶち上げて……朔さんがディレット・マルティールのスタッフだから親しくなったってことだけは」  晃嗣はふと言葉を切る。親しくなった、と言って良いのか、よくわからなかったからだ。 「……何とか秘匿したつもりだけど、桂山さんは気づいてるような気がする」  朔はああ、と肯定も否定もしなかった。まだ21時過ぎなので、止まるたびに人を詰め込みながら、電車は走る。 「あのさ、俺が柴田さんに話してないことって沢山あるけど、柴田さんも俺に話してくれてないこと結構あるんでない?」  朔の言葉に、そうだな、と晃嗣は応じた。 「それは全部話すべきなのか?」 「……わからないよ」  話が続かなくなり、黙って電車に揺られて中野を過ぎた。もうすぐお別れである。せめて、朔があの夜何を言いたかったのか、何をもって誤解と言ったのかを確かめたい気がした。  同じことを思ったらしい朔が口を開く。 「柴田さん、あの時のことなんだけど」 「……うん」 「明日暇なら俺の家に泊まってさ、ゆっくり語らわない?」  晃嗣は思わず、はあっ? と高い声を上げてしまった。本当にお持ち帰りする気だったのかと、複雑な気分になる。 「俺のプレゼント着て寝たらいいじゃん、下着の替えも……駅前はもう閉まってるけど、買えるコンビニあるし」  朔は言ってから、ふいと下を向いた。酒は残っているのだろうが、真面目に誘ってくれているのはわかる。 「柴田さんともうちょっと一緒にいたいんだ」  晃嗣はそれを聞いて、胸がきゅっとなった。こんな風に誰かから言われるのは、随分久しぶりだった上に、他ならぬ秘密の推しから言葉を賜われるとは……今日は何て日だろうと思う。  晃嗣に断れる筈がなかった。阿佐ヶ谷の駅で降り、のこのこと朔について改札口を出てしまった。  朔が連れて行ってくれたコンビニエンスストアには、有名雑貨店の商品が一部並んでいて、衣類も少し取り扱っていた。晃嗣はコンビニで下着を買うのは初めてで、薬局でコンドームを買う時に次いで気恥ずかしく、店員と目を合わせられなかった。  晃嗣が下着や歯ブラシを探している間に、朔は明日の朝食の食材を買っていた。 「柴田さんが泊まりに来てくれるなんて、楽しい」  朔は食パンと牛乳が入った袋を振り、かさかさいわせながら言った。そう、と晃嗣は応じて、何となく緊張している自分に気づく。  こいつに何かされると思うから、泊まりの準備が恥ずかしかったりするんだ。俺バカじゃないのか? いやしかし、何もされないという保証は無い。指名した時みたいに、手や口で抜いてくれるのはむしろ嬉しい。でも挿れられるようなことはちょっと……。  晃嗣がマンションの入り口で立ち止まったので、朔が振り返った。 「あ、ゴミ屋敷なんかじゃないよ、一回来て貰った時くらいには片づいてる」 「うん、それはまあ……」  変な沈黙が流れた。吹いた風が冷たかった。朔は何かを察したようで、2歩晃嗣に近づく。 「無理矢理やったりしないよ、流れでそうなったらいいなって期待はしてるけど」  晃嗣はいろいろな意味で、赤面を禁じ得なかった。さっきから朔が、自分への好意を隠さない態度を取り続けていることにも戸惑っていた。 「……ぶっちゃけ今、朔さんがよくわからなくなってる」 「え?」 「きみが俺をそんなに……その、好いてくれる理由がわからないし、何というか」  晃嗣が言葉に詰まると、朔は小さな溜め息をついた。 「さっき言った通りだ、俺ずーっと柴田さんのことが好きで、探してたんだ……寒いし部屋で話すよ、襲わないから来てください」  確かに寒かったので、晃嗣は朔について行き、今夜も前回と同じく、どきどきしながら彼の部屋の玄関に入ったのだった。  しんと冷えた部屋がエアコンで温もると、朔はコートを預かり、コーヒーを淹れてくれた。2人してネクタイを解く。  前回、このダイニングの小さなテーブルで向かい合って座ってから、よく考えるとそんなに経っていない。あれから2人の間にはいろいろなことが起きて、あの時とは少し違う色合いの思いが、今はお互いを往き来している。  朔は優秀な営業マン、あるいはスタッフらしく、ここは余談から入る場面ではないとわきまえていた。 「まず俺がこないだ、言葉足らずだったことを釈明させて」 「俺に謝罪モードにならなくていいよ」  晃嗣が思わず言うと、マスクを外した朔は微苦笑を唇に浮かべた。 「金を出さなくていいって言ったのは、柴田さんと、まあその……買う者と買われる者っていうんじゃなく、もっと自然で建設的な交際がしたいって意味だったんだ」  桂山の話したとおりのようだった。朔がそう言ってくれるだろうという確信混じりの期待感は、実際本人から言葉にされると、甘みを大量に含んだ喜びに変わった。そしてそれが次の瞬間には、晃嗣の身体の奥から鼓動に乗って全身に巡り始める。  朔は珍しく、照れ混じりに話す。 「柴田さんが受け入れてくれるなら……ディレット・マルティールも、来年の3月で卒業しようと思ってる」  晃嗣はエアコンのせいでなく、頰や耳が異様に熱くなるのを感じた。自分だけのものになりたいと、朔が言ってくれている。 「あ、えっと……それは……俺は凄く嬉しい、ほんとに……でも朔さんがお金が要るのなら、俺は朔さんの仕事だと割り切るから、ディレット・マルティールは無理に辞めなくてもいいよ」  晃嗣は必死で言葉を選んだが、朔は僅かに口をへの字にした。 「お金に困ってる子だと柴田さんに思われてるの、あまり嬉しくない」  あっ、と晃嗣は背筋を伸ばした。これは口にすべきでない案件だったと思い出す。 「朔さんを憐れんでる面があったことは、認める……不愉快なんだよな、ごめんなさい」  朔はちょっと眉を上げてから、こっちこそごめん、と呟いた。

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