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12月 11 ③

「柴田さん、泣かないで……俺何があったのか確かに聞いた、みんななかなか教えてくれなかった……」  朔は晃嗣の肩を掴んだまま、言い聞かせるように話した。 「柴田さんには落ち度が無いと知ってたのに、自己保身のために見て見ぬ振りをして、ずっと後悔してるって話してくれた人もいたし、柴田さんを見捨てて営業にいるくらいなら、他所に飛ばされても構わなかったって言う人もいた」  朔と話した社員が誰だったのか、晃嗣には想像がついた。それでまた、泣けた。晃嗣に彼らを恨んだり、申し訳なく思ったりする気持ちが今は無いと言えば嘘になる。しかし、あの時みんな動けなかったし、手の打ちようが無かったのだ。少なくとも、そう思わされていた。 「俺もあいつはヤバいと思った……だから柴田さんは何も悪くないんだ」  朔は肩に置いていた手を、やや遠慮がちに背中に回してきた。さっき晃嗣が会議室でしてやったように、彼はそこを軽くとんとんと叩く。 「あいつが今どうしてるか知らないけど、あんな奴にはきっと天罰が下るし、あんな奴をのさばらせておく会社なんか、そのうち駄目になるに決まってる」  自分を慰めようとする朔の気持ちが痛いほど伝わってきて、悲しいのか嬉しいのかわからなくなる。晃嗣は彼の肩に額をつけて、自分の膝の上にぼとぼと涙を落とし続けた。  朔はわかっていない。朔が好きだから、好きな人の前で恥ずかしい過去を晒すのが辛いから、涙が止まらないのに。自分が認識している以上に、前の会社での躓きにこだわっていることに晃嗣は気づかされたが、やり直しの効かない過去の話でしかないとは思っているつもりだ。 「あの時の柴田さんと今の柴田さんとはたぶん別物だけど、やっぱり何処かで繋がってると思ってる、俺が好きなのはそこだから……」  朔が背中を撫でながら言ってくれるのを聞いて、晃嗣は尚更わからなくなるのだった。こいつは、俺の何をそんなに気に入っているのだろう?  少し泣き疲れてきた。ひとつ喉をひっく、と言わせて、晃嗣は身体の力を緩めた。歯を食いしばっていたせいで、顎が疲れていた。  朔が腕で優しく上半身を囲ってくれた。そして耳に近いところで、柔らかく言う。 「お風呂溜めるよ、あったまってゆっくり寝よう」  晃嗣は小さく頷いた。まるで小さな子どもだと、疲れ混じりに自分を恥じた。  20分後、晃嗣は朔の家の湯船にどっぷり浸かっていた。朔が入れてくれた入浴剤のせいか、身体が芯から温まり、荒ぶっていた気持ちが凪いでいく。ただ、瞼が腫れぼったくて、熱かった。  2時間前のべろべろの姿は何処へやら、朔はてきぱきと晃嗣のために風呂の用意をして、寝室を整えに行った。晃嗣は真っさらの下着とスウェットのタグを取り、歯を磨きながら風呂が沸くのを待ったのだった。  浴室から出ると、バスタオルやドライヤーもちゃんと用意されていて、晃嗣は自宅にいる時と同じくらいリラックスしてしまった。 「あっ、スウェットぴったりだ、良かった」  自分もスウェットに着替えていた朔は、晃嗣の姿を見て嬉しげに言った。思ったより着心地が良くて、ふと1000円では買えなかったのではないかと思った。まあ、晃嗣が持って行った今治タオルも、バーゲン品だったとはいえ、予算をオーバーしていたが。  水を飲むと、朔はすぐに寝室に案内してくれた。 「狭いけど2人寝られると思う、何なら俺は床でも寝られるから、柴田さんは先にゆっくり寝ていて」 「……ありがとう」  恥ずかしいやら申し訳ないやらで、晃嗣は朔の顔をまともに見ることができなかった。朔は気にする様子も見せず、浴室に向かう。  自分の部屋以外の場所で寝るなんて、随分と久しぶりだ。晃嗣は枕とクッションが並べられたベッドに腰を下ろす。前に来た時と同じように、小綺麗に生活しているのだなと思った。部屋の数や広さは、晃嗣の家と変わらないようだ。  晃嗣は上半身を横に倒す。今夜は本当に疲れた。自分の家のものでないシーツの匂いは、不思議と安らぎをもたらしてくれた。  朔がいろいろ話してくれたのに、自分は何も彼に伝えていない。晃嗣は思ったが、もう頭が働かなかった。そのまま重い瞼を閉じる。 「あーあ、こんな寝方したら腰痛めるって」  遠い場所で優しい声がする。脚が持ち上がり、柔らかいところに置かれた。晃嗣の意識は半分覚醒していたが、身体は完全に眠っていた。布団が肩にかけられて、隣に温かいものがもぞもぞと入ってくる。 「こうちゃんばくすーい、これじゃ襲えねー」  朔の独り言が可笑しい。でも笑いにはできなかった。ただただ眠い。麻酔を打たれたら、こんな感じなのかもしれない。  やがて布団の中は、自分のものでない体温で温もり始めた。ピッ、と小さな電子音が2回響く。  人の温もりは、気持ちいい。晃嗣はぼやけていく意識の中で考える。これは本物の暖かさなのだろうか。恋人ごっこや、契約の上ではなく、朔が心から与えてくれているものなのだろうか?  髪に触れられたような気がした。幸せだな、と晃嗣は思った。その単語は、特に恋愛面においては、自分に縁が無いと思っていた。でもたぶん、今の気持ちに一番しっくり来る。頭を動かしてみると、朔のほうに少し傾いた。すると、うふふ、と忍び笑いが聞こえた。 「あーやばい、こうちゃんマジ可愛いな……」  こうちゃんはやめろ。晃嗣は思いつつ、もう少し朔に近づきたいような気になっていた。

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