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12月 13

 株式会社エリカワ人事部に属する「全てのマイノリティのための相談室」は、仕事終いや仕事始め近辺に相談員の配置の体制を厚くするらしく、社内の共用フォルダの中に上げられている開室予定表には、2人ずつ名前が入っていた。  晃嗣は桂山営業課長に礼を言いたくて、桂山と、これもベテラン相談員である企画部長補の2人がスタンバイしている日に予約を入れた。  年内最終勤務日を明日迎えるとあって、その日人事課は勤務終了時刻の17時半を迎えても、大わらわだった。桂山のほうから、19時半以降でも構わないかと訊かれていたが、2時間の残業で済むだろうかと、晃嗣のほうが心配になるくらいだった。  瀬古課長が、デスク周りの整理整頓や掃除は明日の午後に回せという命を下し、19時を過ぎてようやく仕事が終わる者が出始めた。晃嗣も今日片づけるべき業務を済ませることができたので、周りのデスクの連中の残務を手伝ってやる。 「すみません柴田さん、高畑さんと約束とか無いんですか?」  山口に小声で訊かれて、晃嗣は無い、とつっけんどんに答えた。クリスマスパーティに出席していた者の間で、営業の高畑と人事の柴田はデキていると見做されてしまったが、土日を挟んで4日後の今日、既に噂はじわじわと広がっていた。晃嗣は朝から、ちょこちょこ朔の名前を出されて反応を窺われている。  晃嗣は土曜の昼に朔の家を辞して以来、彼の顔を見ていない。朔が恋しくはあるが、LINEでやり取りはまめにしているので、仕事終いまでは、無理に時間を合わせて会わなくてもいいと思っていた。  晃嗣は山口から渡されたデータをダブルチェックしながら、彼に突っ込んでおく。 「つまらないこと言ってるから、ここ間違えてるぞ」 「うわぁすみません」  小さな笑いが周りから湧いたが、嘲笑ではないようである。この会社、特に東京本社にはゲイやレズビアンであることをカミングアウトしている従業員が多いので、同性同士はそんなに珍しいことではないのだ。ただ、2人の年齢差や晃嗣の地味さから、さっくんと釣り合わないみたいだけどどうして、と思われているのは肌で感じる。  19時半になると、厄介な仕事はほぼ片づいた。まだ残っている社員に、きりの良いところで上がるよう瀬古が声をかけた。晃嗣も時計を確認して、誰かと一緒にならないように課の部屋から出た。そしてエレベーターホールとは反対の、小会議室が並ぶほうに向かう。  相談室と書かれたA4の紙を確認し、晃嗣はドアをノックした。すぐに桂山が顔を出したが、中に先客がいるらしく、隣の部屋で待つよう指示された。  5分もしないうちに桂山は部屋に入ってきて、先客は企画部長補の山中に任せたと話す。 「柴田さんのお悩みは一件落着ですか?」  桂山は缶コーヒーと個包装のクッキーを出してくれた。空腹を感じていたので嬉しい。 「はい、本当にありがとうございました」  晃嗣は頭を下げて、言った。顔を上げると、桂山はマスクを外しながら、困惑混じりの微笑になっていた。 「いや、本当に良かったです、しかし柴田さん……あなたが指名していたスタッフは、高畑だということでいいんですよね?」  是と答えたら、朔に良くない影響があるのだろうか? 晃嗣は返事を迷った。桂山は高くて乾いた音を立てて、コーヒーのタブを起こす。 「あ、高畑が風俗で副業をしていることを責めたりはしませんよ……昼間の仕事は十二分にこなしてくれてますから」  はい、と応じて、晃嗣も缶コーヒーを開けた。 「いつ気づいたんですか、朔さ……高畑さんが私の、その、……相手だと」  桂山は少し考えてから、口を開く。 「注文を失念して迷惑をかけた会社に、自分からも謝りたいと珍しく相談してきました……いつもなら勝手にそうしてるところですね、仕事ができる人に見られる傾向ですが、高畑はたまに自己判断で動くんです」 「あ、先日桂山課長と話した直後にその件で連絡を貰いました、桂山さんの許可を得てから動けと答えました」  晃嗣の言葉に、桂山はなるほど、と笑う。 「尊敬している人がそうアドバイスしてくれたんだけど、自分の言葉が足りなかったせいで、今その人とぎくしゃくしてると言い出しまして」  そんな話をこの人にしたのか。あまり朔らしくない行動かもしれないと晃嗣は思う。 「目の下にくまを作ってました、注文忘れも悩んでいるせいなんだなと思いました……高畑の相手が柴田さんなら、互いの話が合致するじゃないかとピンときて」  桂山は眉の裾を下げる。晃嗣も苦笑した。 「それで連れ合いに高畑のことを訊いてみたら、大学生の高畑に昔ジョブトレーニングをしたことを仄めかしてくれました」 「えっ……」  桂山のパートナーが朔を知っていたという話には、晃嗣も驚いた。桂山のパートナーはディレット・マルティールの元ゴールドスタッフで、新人の教育も任されていたのだという。 「神崎さんも私の連れ合いも、風俗にかかわる人はなかなか口を割ってくれないんですが」  そう言えば朔は、晃嗣が桂山の紹介で「お試し」をしたことを知らない様子だった。神崎綾乃は、相手が欲すれば適度に公開するが、情報を徹底的に管理することで、客やスタッフのプライバシーを守っているのだ。 「……ディレット・マルティールは退職を考えてるそうです」 「そうですか、柴田さんが身請けなさるんですね」  桂山は屈託ない笑顔になる。どちらかと言うと、晃嗣のほうが朔に見つけられ拾われた感じがするが。晃嗣は照れたのをごまかすために、クッキーの袋を開けた。  晃嗣は少し気になり、桂山に問うた。 「あの、桂山課長は高畑さんの副業について、知らないふりをされますか?」  そうですねぇ、と桂山は小首を傾げる。 「辞めるつもりでいるなら、言及することもないかな……でも高畑は聡いので、柴田さんが私に相談していたと知ったら、全て悟るでしょうね」  晃嗣は自分に対してオープンになってくれた朔に対し、後で彼を変な気持ちにさせそうな隠し立てをしたくなかった。  桂山はいろいろ考える晃嗣の胸の内を察したのか、優しく話す。 「晴れて恋人同士になられたんですから、関係をゆっくり育てていってください……私はたぶん柴田さんよりゲイ歴は短いですが、デリヘルボーイを連れ合いにしてみた歴は少し長いので、困ったことがあればまたいつでも……」  本当に個人的な、本来なら人に相談するようなことではないのに、真摯に対応してくれたことに、晃嗣は恐縮した。 「はい、本当にお世話になりました」 「これまで柴田さんの件は私一人で持ってましたけど、相談室のミーティングで名を伏せて事後報告しても構いませんか?」  あれだけパーティで騒がせておいて、名前を伏せる意味は無いなと晃嗣は思ったが、はい、と答えておいた。桂山は柔和で満足そうな笑みを見せて、クッキーを齧った。 「良い年末年始を迎えられますね、来年度は柴田さんも高畑も飛躍の年になりそうですから、準備しておいてください」  晃嗣の昇進と、朔の新プロジェクトへの参加を、桂山は示唆していた。ふと、この人はまだ昇進しないのかなと思う。もしかすると桂山も、新プロジェクトが軌道に乗れば、部長補になるのかもしれない。  部屋の時計は20時を少し過ぎていた。帰ってひと息ついたら実家に電話をかけて、朔にはLINEをしようと晃嗣は考えた。

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