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第37話 眠れない夜
さて、勇介の方は、好きな相手と密着している状態では、とても眠れそうになかった。
涼一の体温を感じ、昨夜の彼の痴態を思い出す。涼一を求めてしまいそうになる自分をごまかすように羊を数える。
眠れない。
羊を千匹以上数えたところで眠るのをあきらめた。
すうすうと穏やかな寝息を立てて眠る涼一。どうやら今夜は悲しい夢は見ていないようだ。
勇介はそのことに安堵する。
そして、思う。
とても綺麗な、でもまだまだあどけない顔立ち。今はふわりと閉じられている目は、黒目が大きくて深く澄んでいる。華奢な背中に翼をつけたら、そのまま天使になりそうだ。
パジャマの袖から見え隠れするリスカの痕が痛々しく、彼の心の傷をそのまま見せられているようだった。
「涼一……」
そっと呟き、手首に走った傷跡にキスをする。涼一がここに来てからはリスカはしていないけど、昨日リスカを耐えるため噛んでいた手首にはまだ薄っすらと血が滲んでいる。勇介はそこにもキスをした。
涼一がくすぐったそうに手を引き、勇介のパジャマに縋りついて来たかと思うと、その目がゆっくりと開かれる。
大きな瞳がぼんやりと勇介を認め、安心したように微笑んだ。
「……先生……」
「勇介だろ?」
「勇介さん……」
まだ寝ぼけている涼一はすんなりとその名前を呼んでくれる。
「お休み、朝はまだまだだよ……」
額にキスを落とすと、
「……ん」
小さく首を縦に振り、涼一はまた眠りの世界に戻っていった。
「好きだよ……涼一」
切ない胸の内を囁き目を閉じても、眠りはなかなかやって来なかった。
翌朝、涼一に起こされた。
「せんせ……ゆ、勇介さん……起きて」
「……ん……」
眠い。結局眠れたのは空が明るくなり始めた頃だった。
「起きてってば、仕事に遅れちゃうよ」
「……ああ、おはよ、涼一くん」
「おはよ。……ゆ、勇介さん。早く起きなきゃ仕事に遅刻しちゃうよ?」
「今何時?」
「七時半。勇介さん。いつも六時には起きてるじゃん。大丈夫なのか?」
どうやらスマホのアラームを二人してスルーしてしまったようだ。
「大丈夫だよ。今日は会社の方に顔を出さなきゃいけなかったけど、それをすっぽかせば、訪問看護の方にはなんとか間に合う」
「そうなの?」
「ああ」
「じゃ、朝ご飯食べてく? 俺作るよ。目玉焼きでよかったら」
「ありがとう、頼むよ」
涼一が自分のことを『勇介さん』と呼んでくれたのが嬉しくて。
笑顔で朝ごはんを作るなんて健気な新妻のような振る舞いが可愛くて。
涼一のことが愛おしくてたまらない。
いつまでもこんな朝が続けばいいのに……。
どうしてもそんなふうに考えてしまう。
「……勇介さん? どうした――」
勇介は涼一にキスをした。触れるだけの羽のようなキスを。
「俺も朝ごはん作るの手伝うよ」
ベッドから降りると、真っ赤になっている涼一の手を取り揃ってキッチンに立った。
まるで絵に描いたような幸せな新婚のような一日の始まり。
しかし、まだ二人は知らない。
今の幸せなひとときを脅かす現実が、すぐ近くにまでやってきていることに。
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