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第50話 秘密の引っ越し

「可哀そうに、怖かっただろ? とりあえず何件か物件を見つけて来た。明日は日曜日だし早速見に行こう」  そう言って涼一の頭を優しく撫でると、涼一はようやく微かな笑みをみせてくれた。 「勇介さん」 「ん?」 「俺、『愛人』なんてやだ……」 「当たり前だろ、君は俺のただ一人の『妻』だよ」  勇介はそう言うと涼一の唇にそっとキスをした。  その夜に必要最低限の荷物を整理して。翌日、勇介と涼一は朝早くに家を出た。  ぼやぼやしてたら祐実や父親が来るかもしれないからだ。  車を走らせ隣の市にやって来る。  本当はもっと遠いところへ行きたかったのだが、勇介の仕事上それはできなかった。  でもまあ逆に見つかりにくいかもしれない。  灯台下暗しというし。  喫茶店でモーニングを食べ、時間を潰すと、勇介たちは不動産屋に向かう。 「一緒に来るかい? それとも車で待ってる?」  勇介が聞くと、涼一は少しの逡巡のあと、一緒に行くと力強く答えた。 「だって、俺と勇介さん、二人の住む場所だもん」  そんな涼一が可愛くて、勇介は彼に口づけた。舌と舌を絡ませる濃厚なキスだ。 「……んっ……」  勇介が唇を離すと二人の間に煌めく糸が引いた。 「勇介さんっ……、こ、こんな場所でっ……誰かに見られたらっっ」  涼一は真っ赤になって抗議するが、勇介は満足そうに笑うだけだ。 「だって、涼一があんまり可愛いからさ。大丈夫、見られてもここらに知り合いはいないし」 「そんな問題じゃないっ!」 「はいはい」  車内でそんなふうにイチャイチャしているうちに不動産屋についた。  二人は三件のマンションを見てわたり、二回目に見たところを借りることに決めた。日当たりのいいリビングが決め手となった。今まで住んでいたところより少しだけ狭くなったが、二人で暮らすならそれもまた楽しいだろう。  不動産屋に無理を言ってその日から入居させてもらうことにした。  家具などは高階が軽トラを出してくれたので、それで事足りた。もともとあんまり物を置かない主義だったので引っ越しは本当に簡単に済んだ。 「涼一、こいつは俺の親友で同僚の高階。俺たちのことは知ってて認めてくれているから安心して」 「…………こんにちは」  涼一は勇介の後ろに隠れるようにして挨拶をする。 「こんにちは、え……と、涼一くんだっけ? よろしくね」  高階が優しく応対し、ついで勇介に向かって言う。 「綺麗な子だな。谷川とお似合いだよ」 「だろ?」  引っ越しそばを三人で食べた後、高階は腰を上げた。 「じゃ、俺はそろそろ帰るよ。新婚家庭の邪魔をするほど無粋じゃないから」 「ちょっと送って来るから。涼一は先に風呂入ってて。引っ越しで疲れただろ」 「……うん」  少し心細そうな涼一を置いて、勇介は高階を送って行った。 「いいのか? 涼一くん、一人にして」 「すぐに戻るから。それにちょっと外に用事があるんだよ」 「ふーん。……それにしても思ったより綺麗な子でびっくりしたよ。でも線が細い子だな。いかにも繊細そうだ」 「さすが。読みが鋭いな」 「まあな。……明日は仕事か?」 「そうだよ。訪問看護師の仕事一本で涼一を養わなきゃいけないから。頑張らなきゃな」 「じゃ」 「ああ、今日はありがとう。また飲みに行こうぜ」  勇介は高階と別れると、すぐには帰らずにまっすぐに道を辿った。  勇介がマンションの部屋へ戻ると、涼一はまだ風呂には入っておらず、玄関の前で待っていた。 「おかえりなさい……」  涼一がホッとしたような表情で迎える。 「ただいま。何、ずっとそこで待ってたの?」 「……だって、もし勇介さんが帰って来なかったらどうしようって考えちゃって……」 「馬鹿だな、そんなわけないだろ。ここはこれから俺たち二人の部屋なんだから。……はい、これ」  勇介は後ろ手に隠していたケーキの箱を涼一に差し出す。 「……ケーキ?」  涼一の瞳が輝く。彼は甘いものに目がないのだ。  それにこのケーキは特別なもの。  今夜から新しい暮らしを始めるにふさわしい特注である。引っ越しの片づけを少し抜け出して、作って貰うように近所の洋菓子店で頼んだものだった。 「ほら開けて見て」 「うん」  ラッピングを解いて涼一が箱を開けると、そこにはホールケーキが入っていた。  果物がたくさん乗っており、生クリームもたくさん。  そして、ケーキの真ん中には砂糖菓子で作られた小さな動物が。  砂糖菓子はウサギと、羊の着ぐるみを着た狼だった。 「……勇介さん……」  涼一は泣き笑いの表情になる。 「気に入った?」 「うん……うん! ねぇ、この羊の着ぐるみの狼って勇介さんだよね……似てる……」 「え? もしかしたら、ウサギが俺で狼が涼一かもしれないよ」 「そんなはずないじゃん~」  涼一は満面の笑みを見せた。  多分、今までで一番の飾り気のない心からの笑顔。  勇介はその笑顔がとても眩しくて、可愛くて、思わず涼一を抱きしめたのだった。      

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