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第389話

 無償の奉仕を当たり前だと言えるのは、施す側だけだ。施される側も、傍から見ているだけで何の助けもしない者も、それを当たり前と言ってはならない。それをすれば、いずれ何かが壊れる。利用するだけ利用してきた者達が自業自得だと割り切ることは容易いが、壊れるのが助けた側である雪也や周、由弦であったらと思うと目も当てられない。  正しい人が、優しい人が、幸せで生きやすくあるべきだ。 「この庵は弥生様が雪ちゃんたちの為に渡してくれたものでしょ? なら、雪ちゃんたちが心地よくあるために使うべきだと思う」  それに、と蒼は続く言葉を呑みこみ、胸の内で小さくため息をつく。  何が目的かなど、平凡な町民である蒼にはサッパリわからないが、そもそも浩二郎とて体力こそ戻っていないものの、もう充分に動けるほど傷は治っているのだ。ならばもう庵にいる必要はないはず。周や由弦のように雪也の何かを手伝うのであればまだ、とも思うが、彼は部屋の隅でひたすらに何かを考え込んでいるか、志士が運ばれてきた時のみ半ば雪也を脅すように手伝っているだけで、衛府側の怪我人が運ばれてくると何かと理由をつけて雪也を遠ざけようとするし、夜な夜などこかへ出かけてもいるようだ。おそらくは同志たちとの会合なのだろうことは予想できるが、そんなことはこちら側に何ら関りのないことだ。どちらにせよ、浩二郎は雪也の優しさと弱さに付け込んで好き勝手振る舞っているようにしか蒼の目には見えない。

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