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第654話
「……だいじょうぶです。家に、かえります」
ポツリと力なく言う湊はどう見ても大丈夫ではなかったが、親しかった者を一度に失えばそうもなるだろうと、春風当主と兵衛は小さく頷いた。
「そなたの大切な者を守ってやれず、すまなかった」
それは近臣としての言葉か、それともただの春風としての言葉か。どちらにせよ湊はもう彼に怒りを抱くだけの気力もない。
ここ最近はずっと蒼の父の言葉がこびりついて、ろくに彼らと会話をすることができなかった。どこか上の空で、彼らの言葉を、声を、しっかりと聞いていなかった。もう、あれが最後だったというのに、そんな未来が来るとも知らずに。
家まで送ろうかという兵衛の問いかけに応えることもなく、湊は重い足を引きずるようにして春風の屋敷を出た。
あぁ、こんなにも身体は重かっただろうか。
こんなにも世界は灰色で、寒いものだっただろうか。
こんなにも悲しいのに、人は涙を流さないものだろうか。
こんなにも、自分は孤独であったのだろうか。
光は何も見えない。真っ暗でも、真っ白でもない。ただそこにあるばかりの景色を見ることも無く、湊はただ無意識にズル、ズル、と足を引きずり続けた。
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