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第770話

「春風、弥生殿ですね?」  弥生の前に立ち問いかける声に聞き覚えなどない。だがその顔を弥生は見たことがあった。あの日、すべてを終わらせたあの日の衛府に彼はいたはずだ。その手に刀を持ち、今にも将軍や近臣を殺そうとして。 「尊皇の者か。今更私に何の用だ」  弥生を前にしても彼らは刀を抜く素振りは見せない。戦いに来たわけではないのだろう、それなりの人数がいるようだが、弥生を取り囲むこともしなかった。 「杜環殿をはじめ、領主の方々が探しておられます。今は春風当主と話をしておられますが、あなたの姿が見えないと聞いたので、代わりに我々がここに」  なるほど、領主の中には衛府のやり方に疑問を持ち、彼らに与する者もいた。その者達の願いを叶えんとやって来たのだろう。それにしては随分と早い到着だが。 「……なるほど、お前が浩二郎か」  その言葉にピクリと前に立っていた男が眉を跳ねさせる。なぜ、と掠れた声で問われ、弥生はクツクツと笑った。

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