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第775話
「庵の中には今、サクラがいる。お前たちも知っているだろう? 小さな犬だ。あの子は今もずっと円座の上で待っているだろう。大好きな声で名を呼ばれ、大好きな手でその小さな頭を撫でてくれる瞬間を。その手はもう永遠に失われたとも知らずに、ずっと、ずっと、健気に待っているだろう」
いつものようにほんの少し出かけているだけだと信じて、いつまでもあの子達が帰ってくるのを待っている。そしてそれは、サクラだけではない。
「私も、待っていた」
無事に衛府にたどり着いて、蟄居が解けたら会いに行こうと。ずっと、ずっと。否、何もこの時ばかりではない。弥生はいつだって信じて、信じて信じて、待っていた。
「きっと紫呉は追いついて、私の元へ帰って来てくれると待っていた。いつものように減らず口を叩いて、早く庵に行こうと笑ってくれると。庵に行けばいつもみたいに雪也が薬研の前に座って、周が美味しい匂いのする料理を作って、由弦がサクラと戯れながら薬草の手入れをして、蒼と湊が顔を出して一緒に笑いながら食事ができると。紫呉の声で、あの子達の声で、私の名を呼んでくれると。庵の中には温かで穏やかな時間が流れていると、ずっと信じて待っていた」
そこに弥生が愛し、守りたいと願っていた光景が続いていると。
「だが、もう無いッッ!」
ここにあの子達はいない。紫呉も帰ってこない。どれだけ待とうと、願おうと! 自分を呼んでくれるあの声も、サクラを撫でる手も、何も戻っては来ないのだ。
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