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第798話

「優、何かあったらすぐに言うんだ。医者くらい、いくらでも呼べるから」  そう念を押すように告げて踵を返す。その変わらぬ後ろ姿に、優は静かに目を細めた。  パタン、と襖の閉じる音が耳に響く。良かったとも思うし、寂しいとも思う。人間の感情など単純なものではないと知ってはいたが、いざ自分がなんとも矛盾した思いを抱いているとなるとクスリクスリと笑いが零れた。その笑いさえ乾き、力ないと実感する。小さく息をついた時、クゥクゥという小さな声と共にピトッと指先に冷たいものが触れた。視線を向ければ、いつの間にか起き上がったサクラが優の手に顔を寄せている。 「サクラ……」  名を呼べば、サクラはすぐに耳をピクリとさせて優の顔辺りに近づいてくる。賢いその姿に笑みを浮かべて小さな頭を撫でてやるが、覗き込むつぶらな瞳は寂しげな光を抱いたままだ。武衛に帰って来てからずっと、サクラの笑みを見ていない。

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