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第11話

「ま、別にいいじゃん! おかげでこうやって紫呉先輩と一緒に行けるし」  忘れ物は駄目だぞ、と先輩ならば言うべきなのだろう。雪也に頼らずとも点をとれるように考えなさいとも。けれど紫呉は結局そんな言葉を言うことはできなかった。  出会ってすぐに、由弦にはあの時代の記憶はないのだと理解した。嘘をつけない彼は、紫呉を見ても瞳を揺らすことも無く「はじめまして」と言ったのだ。  寂しくなかったと言えば嘘になる。周りにいたのが弥生や優だったからだろうか、記憶があるのが当たり前だと、心のどこかで信じていたのかもしれない。あるいは、手を繋いだりキスをしたりすることしかできなかったとしても列記とした恋人であった彼が自分を忘れている可能性など考えたくも無かったのかもしれない。  なぜか、と悩んだこともある。自分達と由弦の違いは何であるかと考えたことも。多くの可能性を考えて考えて、ああしていれば、こうしていれば、もしかしたらと仮説を立てては立証できない現実を目の当たりにしたことも数えきれない。否、もしもを考えたことなんて、何も今だけではない。あの時代に生きた時でも、考えていた。けれど考えたところで過去は変えられない。たとえ覚えていなくとも、彼が平和な今を生きているのなら良いではないかと、そこに恋情はなかったとしても、同じように屈託のない笑顔を自分に向けてくれるのなら充分ではないかと、ある意味で紫呉は開き直った。けれど彼がかつて同じ時を共にした仲間たちと弥生の父が所有する二世帯住宅の片側でルームシェアをした時は、やはり運命なのかと考えもしたが。

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