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第105話
ポツリと呟いた、その名。同じ名を呼んでいるはずなのに、数分前とは少し違う、その響き。紫呉も違和感に気づいたのか、ほんの少し視線を彷徨わせている。
あの時より少し若い、けれど同じ顔。記憶に残る声。触れた手の温もり。由弦を見る、その瞳の光。
「紫呉……」
片手でしっかりとサクラを抱きながら、由弦は紫呉に反対の手を伸ばした。確かめるように頬に触れる。
「あんたは、紫呉か?」
頬に雫がつたう。拭うこともせず、真っ直ぐに由弦は紫呉を見つめた。
「俺を……、サクラを……、庵に連れて行ってくれた」
大丈夫だからと何度も繰り返して、他人に怯える由弦とサクラを連れて行ってくれた。あの、ぬくもり溢れる居場所に。
「槍の使い方を教えてくれた。親みたいに、兄みたいに、ずっと俺たちを見守ってくれていた。あんたは――」
脳裏に蘇る。袴姿で槍を持ち、太陽の下で笑っていた人。
「あんたは――弥生様の護衛で、友で、俺たちを愛してくれた、あの紫呉か?」
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