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第111話
温かだった日々だけを告げようか。泣きじゃくっていた由弦には重すぎる過去にそんなことを考えていたが、それを見透かすように由弦は言った。真っ直ぐに視線を逸らすこともなく紫呉を捕らえる。
彼は先程〝先輩〟と言った。ならば今の彼にある意識の大半はこの世界での由弦であるはずだ。しかし、その瞳の強さはあの頃と変わらない。
「……人は、自分の人生が終わった後のことは記憶に残らない。死んでんだから当たり前だけどな。お前の記憶も、お前の生が終わった先を映すことはないだろう。その方が良い時だって山ほどある。今回はまさしく〝知らない方が良い〟ものだ。それでも、お前は知りたいか?」
知りたいと望むのであれば、紫呉は話そう。先程由弦を宥めるためとはいえ、彼が望むのならばすべてを話すと言ってしまった。それがどんなものであれ、約束を違えることはもう、したくない。
真っ直ぐに互いの視線が絡み合う。ジッとその姿をサクラが見つめていた。
張り詰めて停止したような空気を動かしたのは、揺らぐことの無い由弦の頷きだった。
「それでも、俺は知りたい。なんの証拠もないけど、もう、ここまで来たら記憶は止まらないし、知らないでいることなんて、きっと出来ないんだろうから」
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