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第4話

 その後は、隣の101号室へ。ノックすると、中から年配の男性が出て来た。白髪の頭はかなり薄く、ふくよかな体型だが背が低く、背中が曲がっている。風呂上りなのかパジャマ姿だ。  喜美子の挨拶に、“こんな格好で失礼します”と前置きして老人は自己紹介した。 「大谷正男(おおたにまさお)いいます。ここの大家さんの先代の友人でね、このアパートには一番長いことおりますねん」  優しそうな老人だ。京都にいるお祖父ちゃんみたいや、というのが絢斗の第一印象だ。 「この近くの西田公園でね、紙芝居やっとります。町内会の行事でも紙芝居やってます」  話好きの大谷も、102の荒井同様一人暮らしだ。大谷によるとこのアパートは梅塚家以外、単身者ばかりだそうだ。  その次は二階へ。202号室。喜美子がノックをするとドアが開いた。だが中は真っ暗だ。ゆっくりと、恐る恐るといった感じで部屋の主は顔を見せた。痩せぎすの青白い顔で、分厚いレンズの眼鏡をかけ、髪は耳を覆うほど伸びた男だ。  喜美子の挨拶に、男はしどろもどろで挨拶を返す。 「よ、よろしくお願いします…。江田守(えだまもる)です…。一応、漫画家…やってます」 「まあ、漫画家の先生? そんな凄い方がいてはるなんて。絢斗、知ってる方?」  と喜美子は絢斗の方を振り返るが、江田は首と手をブンブン振って否定する。 「いや、あの…僕はまだ三流どころか四流のマイナーな漫画家なんで…」  漫画をよく知らない喜美子は、漫画家といえば有名人だらけだと思いこんでいるが、売れない漫画家の江田は食いつないでいくために地域の情報誌のイラストや、マイナーな雑誌で成人向けのエロ漫画を描いている。女性や高校生にそんなことも言えず、江田はただオロオロするだけだった。  続いて隣の202号室へ。ノックをすると、“はーい”と明るい女性の声が聞こえた。中から出て来たのは、カールした金髪に大きなリボンをつけ、日サロで焼いた小麦色の顔に蛍光色のメイク、銀色のラメのチューブトップにピンクのジャージ、指先は派手で立体的なネイルを施したギャルだった。先ほどの江田を暗い路地裏に例えるなら、こっちはネオンサイン鮮やかなパチンコ屋かキャバレーだ。  喜美子が自己紹介し、絢斗のことも紹介すると、ギャルは豹柄にラインストーンが乗った派手な爪の指先で、ドア横を指した。指した場所よりも爪に目が行ってしまう。 「うち、石見(いわみ)リカって言うねん。いしみ、と違うで。だいたい間違えられるねん」  楕円形の木製のプレートには、白い丸文字で『石見』と書かれていた。  喜美子が石鹸を渡すと、リカは明るい笑顔で喜んだ。 「ウソ! マジ? ありがとー! ちょうど石鹸なくなりかけててん。あ、ちょっと待って」  バタバタと奥に消えると、リカはすぐに戻ってきた。 「これ、お礼におすそ分け。デパ地下のクッキー。三宮(さんのみや)のギャル服ショップで働いとうからね、昨日バイト前に買ったやつ」  可愛らしい小さな箱を渡された。喜美子はお礼を言って、深々と頭を下げる。    最後は絢斗たちの真上の部屋に当たる203号室。ノックをしたが留守だった。洗濯機があるから住人はいるはずだ。仕事か用事で出かけているのだろうと、二人は諦めて部屋に戻った。  翌朝、絢斗はゴミを出しに来た。梱包に使った紙類などがほとんどで、かさばる割にゴミ袋は軽い。ちょうど今日は月曜日。月曜と木曜が、燃えるゴミの日だ。  アパートを出て駐車スペースと建て売り住宅の間の細い道を行くと、国道と山手幹線を結ぶ大きな道路に出る。その道路脇の電柱下が、ゴミステーションだ。ちょうどリカが、ゴミを捨てて戻って来るところに絢斗はすれ違った。 「おはようございます」  小さな声の挨拶に、リカは“ちーっす”と不機嫌そうに小さく返す。ノーメイクで目つきが悪く、昨夜とはまるで別人だ。目つきの悪さは、朝が苦手なせいだろう。  ゴミステーションには、荒井がしゃがんでいた。何かを探しているみたいに、片手でゴミ袋を触っている。絢斗は端にゴミを置き、荒井の方を向いて挨拶したが、荒井からは何の返事も無い。確かに声は小さいが、聞こえない距離ではないはずだ。もう一度挨拶をしようとするが、荒井の眉間にシワが寄っている。機嫌が悪いのだろうか。それにしても、挨拶だけは返してもよさそうなのだが。開きかけた口をつぐみ、絢斗がその場を立ち去ろうとしたそのとき。荒井が急に立ち上がり、階段を登りはじめたリカの背中に向かって怒鳴った。 「おい、お前! ケバいギャル、お前じゃ! 前にも注意したやろ! またスプレー缶みたいなん入っとうやんけ!」  カン、カン、カン、とミュールで大きな音を響かせて階段を降りて戻ってきたリカも、荒井に向かって怒鳴る。 「缶とちゃうわ! 化粧水のボトルで、ちゃんと燃えるゴミに出せるやつや!」  櫛を入れてない金髪をかき上げ、リカが下から荒井を見上げる。 「それだけやない! ガラスみたいなん入ってるやんけ! 燃えんゴミは水曜日じゃ! 何べん言うたらわかるねん!」 「やっかましなあ…!」  リカはゴミステーションにしゃがむと、自分が出したゴミ袋を開けた。中から割れた手鏡を出す。 「人んちのゴミ勝手に触んなや、変態!」  悪態をついたリカは手鏡を手に部屋に戻る。荒井は舌打ちをして、バス停に向かうため大通りを南に行く。  絢斗はそんな二人を見て、なるべくゴミを出す時間に出くわしたくない、と思った。

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