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第7話
九月になった。普段からまだこの時期は夏の延長のように暑いが、今年は格段に暑い。喜美子のように、みな口々に“去年の冷夏が懐かしい”とこぼす。
今日は幸い曇りで、いつものような太陽は雲に隠れている。学校の帰りに、絢斗は自転車で高架沿いにある西田公園に来てみた。中学生のころ、夜に友達と花火をしにきたことがある。道路を挟んだ隣は幼稚園、その向かい側が交番。公園では、子供たちの声が聞こえる。公園に入ると、大きな桜の木がある。今は青々としていて、どっしりと石垣の上に立ち、木陰を作っている。坂を上っていくと万葉園と呼ばれる植物園になっている。万葉集に登場する花や木が植えられていて、春は梅や桜やツツジとにぎやかに花が咲き誇り、秋は小さいながら紅葉も色づく。写真を撮る人たちも大勢見える。広場では早朝にはゲートボールをする高齢者も見られる。子供たちはおもに下で遊ぶ。砂場や滑り台、キャッチボールができる広場もある。
その広場に着くと、どこからかトン、トン、トンと太鼓の音がする。
「おっちゃんや!」
「紙芝居のおっちゃんや!」
「しまった、今日お金持ってへん」
子供たちが口々に叫び、広場に集まる。太鼓の音は絢斗の後ろから徐々に大きくなっていく。振り返ると、首にタオルを巻いた大谷が自転車を押しながら、ハンドルにぶら下がった太鼓を叩いていた。肩から拍子木を下げている。荷台には紙芝居の木枠を乗せている。大谷は絢斗に気づくと、にっこり笑って会釈をした。絢斗も会釈を返す。
広場のど真ん中で、大谷は自転車を止めた。子供たちが群がる。紙芝居の木枠は下が引き出しになっていて、中にはミルクせんべいや練乳などが入っている。大谷はミルクせんべいに練乳やチョコソースなどを塗り、割り箸に挟んで子供に渡し、小銭を受け取る。小銭を持っていない子供たちは、自転車の前で三角座りをして待っている。
拍子木を三回鳴らすと、広場中にこだまする。
「さあ、お立ち会い。正義のヒーロー『ミラクルマン』の始まり始まり〜」
画用紙に絵の具で手描きの、手作りの紙芝居だ。悪の組織に町の人が困り果ていたところに、正義の味方ミラクルマンが登場する。
「フフフ…これで手も足も出まいぞ、ミラクルマン!」
「おのれ、人質を取るとは卑怯な!」
陳腐な内容だが手作りの温かさ、今どき紙芝居という珍しさ、何より大谷のよく通る声が聞かせる山場が、子供たちを惹きつける。絢斗も夢中になって見入っていた。
「ありがとう、ミラクルマン! ミラクルマンは町の人たちの笑顔を見届けると、飛び去って行きました。めでたし、めでたし〜」
拍手のように拍子木が打ち鳴らされ、子供たちも拍手をする。絢斗も無意識のうちに拍手をしていた。
紙芝居が終わり、子供たちは散り散りに去っていく。絢斗は大谷のもとに駆け寄り、面白かったです、と感想を述べた。
「ありがとうな。ちょっとそこへ掛けて待ってくれへんか」
言われた通りに、藤棚の下のベンチに座った。大谷は出入り口から外に出る。しばらくして戻ってくると、両手には冷たい緑茶のボトルを握っていた。
「ほら、暑いやろ、これ飲み」
「あ…ありがとうございます。いただきます」
大谷の額は汗びっしょりだ。老体を歩かせてしまったことを申し訳なく思い、絢斗は暑い中をすみません、と謝った。
「いや、ええねん。わしが飲みたいだけやったからな。ついでや」
二人でベンチに並び、冷たい緑茶を飲んだ。祖父と同じような歳の他人と何を話せばいいのだろうか。絢斗が迷っていると、大谷の方から話し始めた。
「前はどの辺りに住んでたん?」
「名次町です」
「そうか。ほんなら、この辺もよう知っとんやろな」
「はい、この公園は昔、友達と花火しに来ました」
自分の何倍も生きている大谷に、ほんの三年ほど前のことを“昔”と話すのはなんとなく気恥ずかしい気もしたが、絢斗はそう答えた。
首のタオルをほどいて、大谷は額の汗を拭く。
「わしな、昔は甲子園の方に住んでてん。そこで駄菓子屋やっとってな」
戦後、食品工場に勤めていた大谷は、結婚後家を買い、定年後は改装して駄菓子屋を始めた。大谷も妻も子供が好きだった。
「けど、嫁はんが死んでもうてな、情けない話やけど寂しゅうて仕方のうて、家ん中はあいつの思い出だらけで辛(つろ)うなってな。そんで家を処分してん」
息子と娘は結婚し、それぞれ家を買っている。一人でいると妻との思い出が蘇り、寂しくなってしまう。オダマキ荘の先代の大家と知り合いだった大谷は、思い切って家を売りオダマキ荘に引っ越してきた。
「それでも、子供たちの元気な声や笑顔が懐かしゅうてな、幸い駄菓子屋やっとったからお菓子も仕入れられるし、ほんで紙芝居屋に転職や」
ほんの数個駄菓子を売るだけでは、大した収入にならない。だが、年金と家を処分した貯金がある大谷には、ほかに収入が無くても構わない。
「わし今七十五やけど、子供たちのおかげでこの歳までボケんと生きていけるねん。死ぬんやったら、この公園で紙芝居の最中に倒れて、子供たちに看取られたいなあ」
そんな縁起でもないことを笑いながら言う大谷に、絢斗は真面目に答えた。
「そんな…子供たちがビックリするし、第一紙芝居の続きが見られへんようになったら、悲しいですよ」
そうか、と笑いながら緑茶を飲み干した。
「ほな、わし帰るわ。あんたも帰るんか?」
「いえ、今から寄る所ありますんで」
「そうか。暑いから気ぃつけや」
辛い目にあったけど、生き甲斐を持っていて羨ましい。そんな気持ちで絢斗は、手を振り自転車を押していく、少し曲がった背中を見守っていた。
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