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第9話
まさかの塗り忘れだろうか。何も塗られていない裸のたこ焼きを見て、絢斗はおそるおそる聞いてみる。
「あ…あの…ソースは?」
哲司は絢斗の向かい側にドカッと座り、頬杖をついた。
「んなもん、あらへん。俺はあの酸っぱ辛いソースが嫌いやねん。ついでに、爪楊枝で持ち上がれへんベチャベチャのたこ焼きも嫌いやねん。まあ、食うてみ」
確かに哲司の言う通り、爪楊枝を刺すとサクッとした感触があり、持ち上げても形が崩れない。端の方を少しかじってみた。外側がカリッとしているが、中はふわっと柔らかい。粉に味がついていて、おいしい。青ねぎと紅しょうがが、彩りだけでなく調味料の役割をしている。ソースもマヨネーズもいらない。
「おいしい…。こんなたこ焼き、初めてや。ガワは噛めば噛むほど味が染み出てくるし」
「そやろ? 俺のたこ焼きはご飯のおかずにもなるんやで。粉にエビの殻を電動ミルで粉末にしたやつ入れてんねん。中のねぎは醤油で焦がしねぎにしとうから、ええ味やろ」
ソースで味をごまかしていないため、たこ本来のおいしさを楽しめる。ドロドロした粉が歯につかない。ソースのたこ焼きに比べれば、後で喉の渇きもない。
「しっかりした味があるから、青海苔もいらんねん。青海苔無いから歯にひっつく心配いらんし、女性にも人気やねんで。キャバクラのお姉ちゃんたちも、出勤前に買うて行ってくれんねん」
ついでに俺もお姉ちゃんたちにモテたらええねんけどな、と哲司は豪快に笑う。
飽きの来ない味で、さらにソースが無いために汚れる心配もなく、子供のおやつにも最適だ。八個で二百五十円。その安さも人気だ。おかげで、たこ焼きだけで商売ができる。
「俺、もともとテキ屋やったんや。祭なんかの夜店のな」
哲司の所属するテキ屋の団体は、大元が暴力団だ。テキ屋を生業とする商売人がいるが、哲司のたこ焼き屋の兄貴分が暴力団の構成員で、自然と哲司も暴力団に入る感じになった。
「で、兄貴分のたこ焼き屋手伝っとったんやけど、それがベチャベチャでたまに生焼けのんもあってん。ほんでな、俺アホやから正直に“まずくて食えませんやん”て兄貴に言うたら、ボコボコにされてな」
哲司が大きな口を開けて笑う。奥に銀歯が見えた。
「ほんなら、お前が焼いてみい! って兄貴が言うから、腫れ上がった顔で近所のスーパーまで走って足らんもん買うてきて粉も作り直してな、このたこ焼き焼いたったんや。兄貴それ食うて“うまいな”、て目ぇひんむいとったわ」
話を聞いてるうちに、一舟八個を全部食べ尽くした。コーラを飲み、絢斗はお礼を言った。
「めっちゃおいしいです! 絶対また来ます!」
「そやろ。元締めもおやっさんも気に入ってくれてな、正月とえべっさんに神社で店出すことと、毎月売り上げの30パーセント払うっちゅう条件で、おやっさんが金出してこの店買ってくれてん。たまにおやっさん食べに来てくれるで」
30パーセントを納めると、そこから固定資産税、修繕費、光熱費、道具や椅子、テーブルなどの備品代、保険など、材料の仕入れ代以外はそこから出してくれる。
暴力団が経営する店は、表向きそうとはわからない。店員が一般人ということがほとんどだ。この『てっちゃん』のような店は珍しい。
店の外から“こんにちは”と、女性の声が聞こえた。抱っこ紐で乳児を抱っこした若い主婦がニ舟、テイクアウトで注文した。
「今日はな、晩ご飯作んのじゃまくさいから、たこ焼きおかずにするねん」
体をゆすり、我が子の背中を優しくトントン叩く主婦に、哲司は目を細める。
「そうか、赤ちゃんの世話も大変やろうからなぁ。ミサキちゃん、大きなったなぁ〜」
子供の名前まで知っているところを見ると、何度か来ている常連のようだ。
その直後、スポーツバッグを肩にかけた坊主頭の少年たちが六人、ドヤドヤと入ってきた。絢斗と同じ高校の制服だ。
「てっちゃん、たこ焼き焼いてー」
「おう、野球部。練習終わったんか? 早いな」
「うん、今日は自主練の日。で、熱中症予防に早めに切り上げさせられてん。暑いし腹へったー」
椅子は四脚。隣のテーブルのニ脚はすぐ埋まる。“よう”と声をかけて絢斗の向かい側に座った少年は、去年同じクラスだった同級生だ。絢斗も“よう”と小さく返す。あとの三人は狭い店内で立っている。一気に店内の温度が上がった。絢斗は立ち上がり、哲司に“ごちそうさまでした”と告げた。
「おう、また来てやー」
たこ焼きを焼きながら、哲司は手を振った。野球部員たちが、哲司に口々に呼びかける。
「てっちゃん、俺コーラ」
「オレンジ」
「俺もオレンジ」
「ウーロン茶!」
「やかましい! いっぺんに言うな! 覚えられへん!」
そんな賑やかな様子に、絢斗は思わず吹き出した。そして、野球部のみんなが哲司と気軽に話しているのを、羨ましく思った。てっちゃん、そんなふうに呼んでみたい――
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