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第12話

 もうすぐ十月。絢斗の学校では文化祭がある。絢斗のクラスは縁日をやる。水風船釣り、スーパーボールすくい、輪投げなど。お菓子や缶ジュースなどの景品がある。 「ほんまは、てっちゃんに作り方教えてもらって、たこ焼き屋したかったんやけどな」  いつものように『てっちゃん』のもはや指定席になった丸椅子で、絢斗は哲司の鮮やかな手つきを眺める。焦がしねぎと紅しょうがが、いい香りを漂わせる。 「あかんで! うちのたこ焼きは企業秘密じゃ。粉や卵や調味料の比率も教えへんで。なんせ、うちのオカン直伝やからな」  と、弟子入り前に門前払いを食らってしまった絢斗だが、哲司のたくましい肩が下がり気味なのに気づいた。声のトーンも途中から下がっている。 「…ガキんときにオカンがよう作ってくれてん。せやから俺はこのたこ焼きが一番好きで、人生かけてるみたいなもんやねん」  いつもの元気が無い。もしや哲司の母親はすでに――  絢斗は慎重に哲司の顔色をうかがいながら尋ねた。 「あ、あの…てっちゃんの両親は今…」 「ああ、オトンはおらんけど、オカンは仁川(にがわ)に住んどうで。妹は結婚して大阪の吹田(すいた)におるけどな」  父親がいない。それは絢斗も同じだ。離婚したのか亡くなったのか、はたまたリカのように最初からいないのか。 「オトンな、獄中死やねん」  たこ焼きをひっくり返しながら、哲司がつぶやく。えっ、と聞き返した絢斗だが、しばらく沈黙が続いた。テレビだけが、芸能人のスキャンダルをうるさく繰り返す。 「昔、友達の借金の保証人になりよって、その友達がトンズラこいて、オトンが借金負う羽目になってん。俺が小学生んときな。ほんでオトンは本業のほかに夜の警備員のバイトして、オカンもスーパーのレジでパートや」  昼も夜も働きどおしで疲れた父親は、ストレスから酒に逃げた。せっかく稼いでも酒代に代わる。飲んだくれて荒れた父親はある日、飲み屋街で逃げたはずの友人を見つけた。借金を踏み倒したその男は、キャバレーのホステスの肩を抱いて歩いていた。 「そんでカッとなって殴りかかったらしいんや。そばにあった飲み屋の看板かついで殴りつけてな」  友人は重症で入院したが、その怪我がもとで亡くなった。傷害罪で逮捕された父親は、殺人罪となった。 「金借りたとこが暴利の闇金で違法やったらしく、経営者が捕まりよって借金はチャラになったけどな」  父親が殺人を犯した。近所で噂になり、妹は学校でいじめられた。 「俺はガキんころから気性が激しかったからな。売られたケンカはみんな買うとった」  奥の銀歯を見せてニカッと笑う。 「ある日、オトンから記入済みの離婚届けが来てな」  きっと針のムシロであろう家族たちを思い、名字を旧姓に戻して実家で暮らせ、そういう意図があった。 「オカン、それに自分の名前書くどころか、捨ててもうてん。オトンに情があったんやろな、ずっと加賀谷の名字のまんまや。まあ、俺らのこともあったから、仁川にあるオカンの実家に三人で引っ越したけどな」  事件から数年たっているため、噂は流れなかった。 「その後、オトンに膵臓ガンが見つかったんや。手遅れでな…、刑期を終わらせる前に死によった」  夫の死後、祖父と祖母も他界した。古い二階建ての家には、母親が一人で住んでいる。 「家古いからな、いずれはリフォームして妹夫婦と住むらしいねん。妹が今妊娠中でな、年明けには産まれるねん。せやから、育児が落ち着いてから、やな」  絢斗も父親が離婚届を置いて行った。だが、加賀谷家とは状況が違う。哲司の父親は、妻と子供を守るため、離婚届を弁護士に託した。  哲司が“おまっとうさん”と、舟皿を絢斗の前に置いた。香ばしい匂いがする。 「ガキのころは今よりアホやったから、嫌なこと全部オトンや家のせいにして、めちゃくちゃ荒れとってん。せやから、今はちょくちょく顔出しに行っとんや。何かお土産買うてな」  ドカッと丸椅子に腰を下ろし、哲司はセブンスターをくわえると火をつけた。 「…てっちゃんのお父さん、めっちゃ辛かったやろな。うちなんか、自分勝手して出ていったから」  たこ焼きを食べながら、絢斗は身の上を話した。  父親はいつも帰りが遅く、全く家に帰らない日も多くなった。はじめのうちは“遅くなる”と電話があったが、次第にそれもなくなり、何日も帰ってこなくなった。喜美子も諦めて、夫の分の食事は作らず、夜も早く寝るようになった。絢斗が小学生に上がるころは、ほぼ母子家庭みたいなものだった。  絢斗が小学三年生のとき、夕食時に何の連絡もなく帰って来た父親は、自分の食事が無いことに腹を立て、喜美子に暴力をふるった。そのときに離婚を決意した喜美子のもとに、記入済みの離婚届が送られて来たのは、数日後のことだった。  同棲している女性がいて、妊娠したので彼女と結婚する。先日は彼女とケンカをしてムシャクシャしていたので手を出して済まなかった。マンションはこちらでローンを払い続けるから、慰謝料代わりに渡す、という手紙も同封されていた。  気丈で明るい喜美子は、せいせいしたと絢斗の前では笑っていたが、夜中にこっそりと泣いていたのを絢斗は知っている。それが初めて見た母の涙だった。  やがて父親は、彼女の借金を追う羽目になり、ストレスから体調不良になった。仕事を休みがちになり、退職してしまった。新しい妻と子も養いながら借金を返さないといけないのに、収入が無い。自己破産し、喜美子と絢斗が住むマンションも没収されることとなった。 「むちゃくちゃやな絢斗のとこは…。それに比べたら、俺なんか幸せもんちゃうか」  哲司が後ろを向いて煙を吐き出す。その煙を、絢斗は目で追う。煙は油が染みた壁にぶつかり、クーラーの風に煽られ、窓の外に出て行く。窓の外は、車が行き交う国道171号線。いつもの風景だ。噛めば噛むほど旨味が出る、ソースの無いたこ焼き、いつもついているテレビ、哲司の威勢のいい声。いつもの『てっちゃん』だ。  父親に捨てられ、いじめが原因で部活を辞めて、居場所がどんどん無くなる絢斗にとって、『てっちゃん』は落ち着ける場所だ。 「妹な、いわゆる“デキちゃった婚”やねん。妊娠がわかったとき、相手に嘘はつきたない言うて、オトンのこと正直に話したんや。そしたらな…」  灰皿に煙草をギュッと押しつけて消し、目を細める。 「妹のお腹さすって、じゃあこの子はお義父さんが、寂しい思いせんようにって授けてくれた子やな、言うたんやて。悪いこともあったけど、今はみんな幸せや」  絢斗にとって、幸せと思える日は来るだろうか。この『てっちゃん』にいる間は、楽しいと思う。おいしいたこ焼きを食べながら哲司と話す瞬間のために、勉強や将来は仕事を頑張れるのだろうか。  と絢斗が考えをめぐらせているとき、店の電話が鳴った。話を終え電話を切った哲司は、鉄板の火を落とし、テレビやクーラーを切る。 「絢斗、例の詐欺師が見つかったって、隣のギャルから電話や。これからとっ捕まえに行くで!」

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