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第21話
切り傷に絆創膏を貼り、それで傷の手当てが全部終わったと思った哲司は、シャツを持って風呂場に入った。シャツの血を洗い流してくれている。以前に絢斗が教えたとおりに、冷たい水で。
「ボタンあるか?」
風呂場から顔を覗かせた哲司に、絢斗は“無い”と小さく答えた。
「しゃあないな。上着のボタンも取れとうやろ。お母さんに言うて、何とかしてもらいな。時間早かったら、そこのスーパーで似たようなボタン買えばええけど…。学ランのボタンは明日、購買部行かなあかんな」
絞ったシャツのシワを伸ばして窓の外に干し、哲司は温かいインスタントコーヒーのカップを絢斗に渡した。
「今日は休みやけど、兄貴分のとこ行った帰りに、店ん中に携帯忘れたん思い出して取りに行っとったとこやねん。ほんま、偶然会えてよかったわ」
コーヒーは温かい。哲司のそばは落ち着く。だが、布団の上といっても尻が痛い。座っているだけで苦痛だ。
「どないしてん。ケンカか?」
「…昔、大誠くんていう、一個上の子が近所にいてて」
絢斗は少しずつ、言葉を選んで話した。だが、小学生のころの性的な接触は話さない。さほど抵抗もせず受け入れていたことから、大誠に対して好意があったと誤解されたくないからだ。中学から疎遠になったこと、高校で偶然に陸上部で再会したこと、上級生からいじめられていたのを大誠が庇ってくれたこと、それをネタに絢斗に体の関係を迫られたこと。
「…俺が陸上部辞めてから、大誠くん――児島先輩は、俺に近付かんようになってん。ほんで三年生も引退した今やから、陸上部戻ったけど…」
それから今日、大誠に襲われ、付き合えと脅されたと話した。哲司の顔色が変わった。絢斗の手からカップを奪うと、トレーナーをたくし上げる。
「何を…どこまでされたんや?」
胸元や背中は軽い打ち身だけだ。少しアザになったり赤く腫れている。
「絢斗、ズボン脱げ」
「えっ…?」
「ズボンや。ケツ見せてみい」
絢斗がゆっくり立ち上がる。その時に顔をしかめたために、哲司はおおよそのことを理解した。だが、絢斗の傷の様子を見てやらないといけない。
下着には血がついていた。少し時間がたって乾いている部分と、今ついたばかりの色が鮮やかな部分がある。
「絢斗…しんどいと思うけど、薬塗っとかなあかんから、とりあえずうつ伏せになれ」
言われたとおりにベッドにうつ伏せになる。哲司の前で恥ずかしい部分をさらけ出さないといけないことに、情けなくて涙が出る。
下着がずらされた。尻の間に冷たい感触がある。
「痛っ…」
「すまん、もうちょっと優しく塗るからな」
哲司の指が、傷口に触れている。それは、大誠から受けた仕打ちを浄化してくれるようで、恥ずかしいけど嬉しさもあった。
不謹慎なことに、下半身が反応してしまう。こんな状況だというのに、哲司の指が優しく触れているだけで、布団に押しつけられたペニスは硬くなっていく。
薬を塗り終えると、哲司はまた風呂場に消えた。哲司が下着まで洗ってくれていた。それに絢斗が気づいたのは、哲司がシャツの隣に下着を干しているのを見たときだ。
「てっちゃん…ごめん…」
他人に下着まで洗わせてしまったことに申し訳なく、絢斗は消え入るような声で言った。
「ええって、これぐらい。メシでも食うか?」
「…食欲無い…」
大誠にされたことを思い出すと、吐き気がしてしまう。今は何も食べる気になれなかった。
ギシリ、とベッドが沈む感触がした。その後フワッと髪を撫でる感触が。それ以上触れられると体がどう反応するか、絢斗は怖かった。
「言いにくいやろうけど、お母さんと学校には言わなあかんで。でないとまた、やられるかもな」
性的被害は声に出して言いにくい。喜美子は信じてくれるだろうか。昔よく遊んでくれていた大誠が、絢斗を犯すなどとは。それを喜美子は、大誠の両親に訴えることができるだろうか。それに先生に言えば、学校中に広まるかもしれない。そうなると、絢斗はもう学校に行けない。生徒全員から後ろ指をさされるだろう。“男に犯された男”だと。
「…言われへん…」
「でもなあ、絢斗」
「あと四か月やねん!」
涙でぐしゃぐしゃの顔を上げた。困ったように泳ぐ哲司の目とぶつかる。
「あと四か月やり過ごしたら、もうあいつとは顔合わせへん! 誰にも知られたくない! …忘れたい…!」
今は恨みよりも、受けた屈辱の恥ずかしさでいっぱいだ。それを察した哲司も、絢斗の思うようにさせてやりたかった。
「そうか、でもな、つらかったら誰にでもいいから、一番信用できる人に相談したらええねんで。聞く耳もたん奴おったら、俺も言うたるから。明日は学校行けそうか?」
「たぶん…」
その“たぶん”は、行けそうなのか行けそうにないのか曖昧な答えだったが、とにかく明日のことより今落ち着かせてやりたい。哲司はさらに、絢斗の髪を撫でる。
「ほんなら、しばらくうちで休むか? してほしいことあったら、何でも言え。できることは何でもしたる」
「ほんまに?」
「ああ、てっちゃんは嘘つかへん」
その優しさに甘えていいのなら。哲司の言葉が嘘でなければ。
「…り…に来て…」
「何やて?」
「隣…来て」
「いや、隣におるやろ」
「そうじゃなくて」
絢斗が哲司の手首を強くつかむ。
「横に…寝て」
添い寝をしろ、という意味だった。面食らってしまった哲司だが、言われたとおりに絢斗のそばで横になる。ベッドがシングルサイズのため、かなり密着して寝ることになる。
哲司は肘枕をして絢斗の方を向いた。
「その…なんちゅうか…そういうことがあったのに、むさ苦しい男が横に寝て鬱陶しくないか?」
絢斗は哲司の体に腕を回し、背中にしがみついた。初めて頬に触れる、厚い胸板。鼓動が聞こえる。哲司のTシャツの中には、えびす神が隠れている。そのえびす神が自分を守ってくれる神様だというふうに、絢斗はTシャツの背中をさらに強く握りしめた。
「絢斗…?」
少し困惑した声が、頭の上から降ってくる。
「ヘソの辺り…何か当たってるねんけど」
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