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第24話
十二月の初旬は、猛暑の影響もあったのだろうか、この時期にしては珍しいほどの暖かい日もあったが、町がクリスマスムードに包まれ忘年会シーズンにさしかかるころには、一気に冬らしい気配になった。
大晦日、絢斗は哲司の店にいる。といっても、国道沿いの『てっちゃん』ではない。えべっさん筋沿い、赤門の東側の夜店。紅白の縞のテントに、『たこ焼き てっちゃん』と書かれている。周囲にも、黄色やオレンジなどの派手なテントが並んでいる。午後七時、早い店はもう営業を始めている。ベビーカステラの店は、行列ができていた。
『てっちゃん』は準備中。プロパンガスを設置し、部屋で仕込みをすませた材料を並べ終え、休憩しているところだ。大晦日と正月の三が日は、部活も休みだ。その間、絢斗は哲司の店を手伝うことにした。
「悪い、ちょっと場所変わってえや」
後ろから両肩をつかまれ、場所を移動させられた絢斗は、ドキッとした。抱きしめられるような錯覚を起こした。だが、哲司は抱きしめてくれるはずもなく、隣でセブンスターに火をつけている。
「プロパンのそばやと、煙草吸われへんからな」
少しガッカリした気持ちが顔に出たのか。絢斗は頭をクシャッと撫でられた。
「なんやその欲求不満そうな顔は」
乱暴に頭を撫でられ、絢斗は口を尖らせる。
「しゃあないやん。てっちゃん、何もしてくれへんもん」
高校生の元気のいい体は、性欲をもてあましてしまう。あの日以来、絢斗は自慰をする日が増えてしまった。襖一枚向こうに母親がいても、どうしようもない欲望は、声や物音を必死に抑えて決行する。
「あたり前じゃ。俺、捕まりたないもん」
煙を吐き出し、哲司はあっけらかんとして言う。だが、絢斗にとっては嬉しい返事だった。絢斗の気持ちを知っていて何もしてこないのは絢斗に興味が無いから、ではなく未成年に手を出すことで捕まりたくないから。はなから絢斗など相手にしていなければ、そうは答えてくれなかっただろう。絶望する心配がなくなり、絢斗は調子に乗って尋ねてみる。
「じゃあ、俺が卒業するまで、プラトニックな関係ってこと?」
「なんやもう、付き合ってるみたいな話やな」
紫煙がテントの内側を舞う。口調は落ち着いているが、なんとなくいつもの哲司と違う。普段見せる笑い皺が、ピクピク動いていた。
隣で絢斗がうつむく。肩が震え、口元を手で押さえている。口は隠しても、頬の筋肉までは隠せない。隣でニタニタ笑いをされ、哲司は眉を変な形に寄せる。
「なんや、気色悪いな」
「だって…そんな困ったてっちゃん、可愛いやん」
八つも下の少年に可愛いと言われ、哲司は気まずそうに煙草を灰皿に押しつける。
「やかましわ」
冬の凍てつく風のせいではない頬の赤みが、絢斗に望みを与えてくれる。高校を卒業したら、付き合える。嘘はつかない哲司のことだ。きっと守ってくれる。
「てっちゃん、あのときは、ありがとうな」
「あのときって?」
「ほら、児島先輩に土下座してくれたとき」
「ああ、べつにええ」
またもや、哲司らしくなくぶっきらぼうだ。照れ隠しに道具などの並べ変えなどをして、そこらじゅうをいじっている。そんな姿がさらに可愛いと、絢斗は黙って見守っていた。
辺りに人が増えてきた。年明けとともに初詣をする人たちだ。その人たちに混じって、喜美子もいた。『てっちゃん』のテントを探し当て、絢斗たちを見つけてにこやかに近づいてきた。
「このたびはすみません、お邪魔させてもろて」
哲司は立ち上がり、喜美子に頭を下げる。
「いやいや、こちらこそ店を手伝 うてもろてるんで、助かってます」
「よかったら、これ食べてください」
喜美子は手提げ袋を渡した。中には小ぶりの保温ジャーとお椀二つ、割り箸が入っていた。
「お雑煮です。うちは白味噌仕立てなんですけど」
蓋を開けると、温かい湯気が甘めの味噌の上品な香りを漂わせる。具は大根、金時人参、白ねぎ(長ねぎ)、丸餅だ。
「わざわざすんません、ありがとうございます! 後でいただきます」
喜美子が帰った後、二人は雑煮を食べた。
「あったまるなあ~、めっちゃうまいわ。うちの雑煮は味噌入ってへんけど、味噌入りもうまいな!」
哲司の実家の雑煮は、すまし汁仕立てだ。同じく大根やこの時期にしか出回らない金時人参が入っているが、鶏肉も入っている。
「お母さん、今日休みなん?」
「うん、明日は朝から出勤らしい」
「看護師さんは大変やなあ」
正月でも仕事をしている人は多い。哲司もその中の一人なのだが、まるで他人事のようにつぶやく。
「てっちゃんは、えべっさんもここで店出すん?」
「そうや。えべっさんの方が人多いからな。かき入れ時やで」
市内に神社はほかに廣田神社や越木岩神社などたくさんあるが、商売の神・えびす神を奉っている神社は西宮神社だけだ。そのため、初詣よりも十日戎の方が人出が多い。目の前の道路が車両通行止めになり、広い歩道となる。
今年の十日戎は三日間とも平日で部活もあるため、絢斗は手伝いに来られない。少し残念に思いながら、白味噌をすする。
「絢斗、お前スプリンターやないかい」
いきなり何の脈絡もなくそんなことを言われ、絢斗はお椀から顔を上げた。
「十日の福男選び、走らんのかい」
陸上部に戻ったとき、仲間が話していた。毎年一月十日、午前六時の開門とともに男たちが一斉に本殿に向かって走り出す。一位の男は、今年の福男となる。
「寒いから嫌や。その後で朝練も行かなあかんのに」
思い切り背中を叩かれた。今食べた餅が出そうだった。
「なんや若いくせに情けないなあ! お前足速いねんから、それを見せつけたれや!」
「速いゆうても、県大会レベルちゃうし…。別にいい」
しばらく沈黙が流れる。沿道は賑やかだが、このテントの中だけ、別世界のように区切られているみたいに静かだ。
やがて、その沈黙を哲司が破る。
「よし、わかった! 俺も走る!」
「ええっ、てっちゃんが?」
いつもの銀歯を見せた笑みを浮かべ、哲司がうなずく。
「十日の午前五時に、赤門前集合じゃ。遅刻すんなよ」
「てっちゃん、走れんの?」
「あたりきしゃりき、ケツの穴ブリキじゃ! 男に二言は無い言うたやろ。俺も走るから、絢斗も気合入れて走れ!」
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