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第26話
翌日の一月十一日。絢斗は部活の後、自転車で西宮神社に向かった。十日戎最終日の午後六時ごろ、日が落ちても人波は途切れない。絢斗はまっすぐ、『てっちゃん』のテントを目指した。だが、哲司は早くも店じまいをしていた。
「あれ? もう終わり?」
「よお、絢斗。すまんな。今日は予想以上に売れて材料切れや」
鉄板の火も落とされている。材料を入れているステンレス製パンも空っぽだ。せっかくたこ焼きを食べに来たのに、とガッカリする絢斗に、哲司はニカッと笑うと木の舟皿を差し出した。
「ほれ、お前の分じゃ」
舟皿は、同じ舟皿で蓋をしてある。蓋を開けると、まだ温かいたこ焼きが八個入っていた。絢斗が来る時間を見計らって、焼いておいたものだ。
「ありがとう、てっちゃん!」
お金を渡そうとすると、哲司がそれを制した。自分が使っていた折り畳み式の椅子に、絢斗を座らせる。
「焼きたてちゃうから、金は取られへん。ええから食え」
哲司がたこ焼きを奢ってくれるのは、何度目だろうか。何か絢斗にお返しができないか考えてみる。哲司が喜んでくれそうなもの、それは何だろうか。
「あの~…てっちゃん」
「なんや?」
「何か欲しい物ない? 俺が働くようになったら、てっちゃんに何かプレゼントしたい」
道具などの小物類を片付けながら、哲司は首をひねる。
「そうやなあ…。毎日仕事で明け暮れてるからなあ…。近場でいいから、どこかうまいもんでも食いに行きたいな。たまに兄貴分に連れてってもろたりするけど、連れと出かけるゆうの無いねん。俺がヤクザに関わるようになってからは、さすがに昔のツレも距離おくようになったしな」
うまい食べ物を求めて、小旅行でもいいだろうか。甘い言葉をささやいてくれそうにはないしムードとは縁の無さそうな男だが、哲司と二人でデート、と考えるとワクワクする。
「ほんなら、てっちゃんが喜んでくれるようなデートコース考えるわ」
ガラガラガッシャン、と粉つぎや金属のボウルを落とし、哲司が慌てて拾う。
「な、なに言うてるねん。それより先、受験のこと考えんかい」
最近になって知ったこと。哲司は照れたときのリアクションが面白い。きっと同じ学校の野球部の常連だって、そんなことは知らないはずだ。絢斗は自分だけしか知りえない秘密を見ているようで、それがなんだか誇らしい。
「あと、一年と二か月」
テントを片付けるのを手伝いながら、絢斗がつぶやく。
「そしたら、どっか行こ。あ、それより、今年の春場所とセンバツ見に行くって言うたやん!」
「ああ、それやけどな」
セブンスターをくわえ、哲司がすまなそうに眉を寄せる。
「春場所の席の予約、電話したんやけどなあ…遅うて間に合わんかってん。早朝並んだら、当日券買えるかもしれんけどなあ…。あれも数少ないからな」
まだ一月の初場所の最中だというのに、すでに三月のチケットが完売になっている。予想以上の人気に驚くばかりだ。
そっか、と『てっちゃん』のテントを畳み、絢斗も肩を落とす。
「ほんなら、来年、俺が卒業した後に行こ! ほんで、なんばでおいしい物食べて」
「道頓堀あたりでもブラつくか。…そや、高校卒業したら楽しみにしとけ。ええとこ連れてったる。なんばから十三 に繰り出そか」
「十三って、阪急沿線の? どこ行くん?」
近い将来現実になりそうなデートプランに目を輝かせている少年の肩に腕を回し、哲司は声をひそめる。
「ストリップや」
赤面する絢斗を見てケラケラ笑う哲司に、何も言い返せない。自分も哲司が照れるところが好きなのだ。
「そや、絢斗」
仕返しができてスカッとした哲司は、近くの自販機で缶コーヒーを二つ買い、一つを絢斗に投げてよこした。
「俺な、今度の十六、十七日と店休んで実家帰るねん。妹に子供産まれてな、今実家におって」
正月から十日戎まで忙しい哲司にとっては、やっと訪れる正月休みだ。
「そうなんや。ゆっくり休んでな。とくに昨日はめちゃめちゃ走ったし」
詐欺師を捕まえたとき以来に全力で走り、途中でこけた。そのせいか今日は太腿のあたりが痛い哲司だ。
「せやで。今日は体えらいのに朝から店や。明日はイナイチの方の店やろ。来週は実家でゴロゴロするねん」
二日間、哲司に会えない。だが、また帰ってきてくれて、『てっちゃん』のたこ焼きが食べられる。
こうして哲司といっしょにいるのが当たり前だと思った。学校や仕事で忙しくても、哲司に会うことができる。家も同じアパートだ。こんな日がずっと続くと、絢斗は信じていた。
おそらくそれは、誰もが思っていただろう。また今年も変わらない一年が始まり、仕事に追われて一年を終える。忙しくても大変でも、日々変わらない。何も変わらないこと、それが一番の幸せだと、多くの人が数日後に実感することになる。
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