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第27話

 1995年、1月17日。AM5:46  突然、激しい揺れに襲われて絢斗は目が覚めた。今日は母親が夜勤でいない。絢斗は一人でアパートの六畳間にいた。大きい地震だ、と思った瞬間、轟音とともに激しい横揺れに襲われ、動くこともできない。体が床に吸いついたみたいだ。家具の揺れる音、ガチャンガチャン、と陶器やガラスのぶつかる音もする。台所で、食器がぶつかっているのだろう。頭が揺さぶられる。地球が割れるのではと思うほどの揺れがしばらく続いた後、スローモーションのようにゆっくりと何かが倒れてきて、大きな物音とともに暗闇に覆われた。  何かが体の上に乗っている。壁なのか天井なのか、わからない。足が動かない。箪笥か本棚に挟まれたのだろうか。土埃の匂いに混じり、ガス臭がする。ガス管が破裂したせいだ。何が起こったのか、何も考えられない。恐怖と驚きしか無い。  足が挟まっているため、そこから這い出すこともできず、真っ暗闇の中で絢斗は声も出せないまま、体から力が抜けていった。  芦屋市内の病院。突然の大地震に、まだ起床時間前の病室が騒ぐ。薬品棚が倒れても後片付けどころではなく、停電の分娩室は懐中電灯やろうそくの明かりを使わなければならない。看護師や医師は入院患者の安全を確認する。パニックを起こし、逃げようとして転倒して怪我をした患者もいる。窓ガラスが割れている所もあり、暖房が消えてしまったため、患者たちは毛布にくるまっている。 「倒れたロッカーはそのままにしてください! 余震が来たら危ないですから」  喜美子も外科病棟で患者たちに声をかけ、安全を確認して落ち着くようになだめる。怪我をした患者の手当てに走る。  やがて、それどころではなくなってきた。震度7強の激震で家やビル、高速道路や高架の線路が崩れてしまい、死人や怪我人が多数出た。さらに早朝ということもあり、朝食の支度やストーブなどの暖房器具を使用していたせいで火災が発生。喜美子の病院にも、多数の患者が運びこまれる。  患者の数は途切れることもなく増え続ける。ベッドが足りない。待合室のベンチがベッドの代わりになる。重傷者は手術室や処置室に運ばれ、軽症者は待合室などで手当てをするはめになる。  喜美子が軽症者の一人の応急処置を終えたとき、脇をストレッチャーが通る。患者のパジャマは血まみれだ。寝ているときに地震が起こり、家具に押しつぶされたのだ。  手術室に入る看護師が足りないはずだ。喜美子は立ち上がり、ストレッチャーを追おうとした。肩を誰かにつかまれる。 「梅塚さん、ここはもうええから、家に一旦帰ったげてください。息子さん一人でしょう?」  同僚の看護師だ。夜勤明けなのは彼女も同じだ。でも、と言おうとしたが、彼女がたたみかける。 「ええから。私は独り身やからええけど、梅塚さんは息子さんがいらっしゃるでしょう? 一度帰って、息子さんの無事を確認して、少し休んだら戻ってくださいね。ああ、それとこれ」  彼女は自転車の鍵を喜美子に渡した。 「阪急電車、西宮北口からこっちは走ってへんそうです。高架が崩れたらしいです。私の自転車使ってください」 「あ…ありがとう…! すぐに戻るね」  喜美子は同僚に頭を下げ、着替えると公衆電話から自宅に電話をかけた。電話が全く繋がらない。不安に駆られながら、借りた自転車に乗って自宅を目指した。  町はすっかり様子が違っていた。ビルやマンションが、一階部分は無事で二、三階辺りが潰れて建物全体が傾いている。一階は土台であるため頑丈に作られているが、二階や三階はそれより上階の重みに耐えきれず押しつぶされたのだ。  さっきから様子がおかしいと思ったのは、建物が壊れているせいだけではなかった。国道二号線沿いを走っているのだが、信号機が全くついていない。警察官が立ち、手動で交通整理をしている。  火の手が上がっている所もある。消防車がかけつけたが、水道が止まっている。消火栓から水が出ない。消防士たちは、成す術なく立ち尽くす。完全に火が回る前に助け出せた分にはいいが、火の手が大き過ぎる所は救出できない。轟音に混じり、悲鳴が聞こえる。逃げ出せた人々もどうすることもできず、泣きじゃくる人もいる。  大惨事を目の当たりにしながらも、喜美子は隣の西宮市まで自転車をこぐ。電車では一駅だが、自転車だとかなりの距離がある。ブロック塀が崩れたり地割れが起きていて通れない道もある。  これが昨日までと同じ町なのか。喜美子は不安になる。木造の古い文化住宅が、あの激震に耐えられるのだろうか。絢斗はどうしているだろうか。最悪の事態を考えると、寒さとはまた別の震えに襲われる。 「絢斗…無事やんな? 待ってて、お母さんすぐに行くから…」  白い息を吐きながら、喜美子は自分を励ますようにつぶやいた。やがて、夙川の短い橋を渡り、自転車で北に向かう。この辺りは火事が無いが、倒壊している家屋が多い。嫌な胸騒ぎがしつつも喜美子は自転車をこぐ。  ようやく、オダマキ荘に着いた。砂利敷の駐車スペースにはリカと江田、大家夫妻がいた。自転車を降りた喜美子は、目の前の光景を見た瞬間に、体中の力が抜け落ちて膝をついた。  オダマキ荘は、一階部分が完全に押しつぶされている状態だった。乾いた寒空に、喜美子のかすれた叫び声が響いた。 「絢斗ぉーっ!」

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