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第29話
絢斗たちオダマキ荘の住人たちは、近くの小学校の体育館に避難した。暖房の無い体育館、毛布を敷いているが床は硬く、長時間座っていると足が痛くなる。実家が遠く友人もいない江田。母親から見捨てられたリカも、実家には帰れない。荒井は仕事先の工場がどうなっているかわからない。喜美子は病院の仕事があり、絢斗も学校に通わなくてはならない。そのため京都にある喜美子の実家へは行けない。第一、市内のほとんど電車が止まっている。
哲司が心配だった。実家でどうしているのだろうか。いつでも会えるからと、絢斗は哲司の携帯電話の番号を聞いていなかった。だが番号を知ったところで、いつかけられるのかわからない。近くの公衆電話や学校の玄関にある電話は、長蛇の列ができている。職員室にある電話は、安否確認や行政との連絡などのため、私用では使わせてもらえない。
絢斗、荒井、リカ、江田は、同じ場所に毛布を敷いていた。時刻は夕方。少し仮眠をとった喜美子は、また病院に向かった。
缶詰の炊き込みご飯と缶入りのお茶が、人数分配られた。お世辞にもおいしいとは言えない食事だが、無いよりはマシだ。体育館は毛布で埋めつくされていた。自宅が全壊、半壊した者だけではない。余震があると危ないため、一時的に避難している者もいる。それに電気や水道、ガスが使えない。コンビニやスーパーも営業ができない。食べ物にありつけるのは、避難所しかない。そのために来ている者もいる。実際、そういった人たちは大災害が起こった後だというのにのんびりとしていて、ミカンを食べたりしながら雑談をしている。漫画を読んでいる若者もいる。学校や会社を大っぴらで休める、そんな呑気な者たちだ。
トイレに行ったリカが戻って来た。
「もう最悪や…。あんなトイレ、使いたくない」
水が流れない。トイレが汚物であふれている。巨大なポリバケツのような物が置かれているが、トイレを流すためではなく、手を洗うためのものだ。だが、プールの水を汲んでいるため、衛生面は保証できない。
絢斗たちもリカと同じ気持ちだった。男性用も同じ状態だ。そのため、校庭の隅で用を足す男性もいる。女性はそうはいかず、ストレスが溜まる一方だ。
夜中、余震があった。体育館内がどよめく。震度はおそらく3か4あたりだろうが、それでも一度大地震を体験した者にとっては恐怖だ。
江田が震えていた。揺れがトラウマになったのだろうか。
「江田さん、大丈夫ですか?」
絢斗が声をかけても、江田は震え続けている。震度7強の記憶が蘇り、精神的に不安定になっていた。
「ぼ…僕の部屋…コピー機とか…資料の本棚とか重たかったから…」
誰に話しかけるでもなく、江田は話し始めた。まるでうわ言だった。
「せやから、大谷のおっちゃん…死んでもうたんや…全部…僕のせいや…」
体を丸め、震えている。顔は青ざめている。
「あんな重たいもんばっかりやったから…おっちゃん、下敷きになって…」
いきなり、荒井が江田の胸倉をつかむ。
「ええ加減にせぇ! 自分のせいにしたら、おっちゃんが生き返ると思っとんか? そんなことウダウダ並べて、おっちゃんが浮かばれるとでも思っとんか?」
「ああ! できたら化けて出てきてほしいよ!」
普段気弱な江田が、荒井に噛みついた。極限状態で、普段とは違う行動に出てしまう。
「あんたのせいで死んだんやって、僕に怒ってくれた方が…なんぼか楽になる! おっちゃんに一生恨まれた方が、なんぼ楽やろか!」
つかんだ手を離し、荒井は自分の毛布の上で膝を抱えて黙りこむ。できることなら、時間を巻き戻してほしい。そして安全な場所に逃げていたら、大谷は助かっただろうに。オダマキ荘の住人たちは、そんな思いでいっぱいだった。
翌朝、リカが崩れたオダマキ荘の自分の部屋から、荷物を持ってきた。着替えや菓子類などを詰めたキャリーバッグに、花柄のバニティバッグだ。ジッパーで開閉できるバニティバッグには、化粧品が入っていた。
「みんな、大谷のおっちゃんに会いに行こう」
バニティバッグを手に、リカはみんなに呼びかけた。立ち上がった絢斗は、右のふくらはぎに痛みを感じた。体育館の床は硬い。その上寒さで血行も悪くなる。震災のショックで部活のことも忘れていた。体を動かすべきだろうかと、絢斗はふくらはぎを揉んでほぐした。
連続の勤務で疲れて眠っている喜美子はそのままに、絢斗と荒井、リカと江田は視聴覚室に向かった。絨毯敷きでスペースもある視聴覚室が、遺体安置室になっているためだ。
絨毯の上にビニールシートが敷かれ、遺体がずらりと並んでいる。遺体収納袋の数が足らず、毛布にくるまれたままの遺体も多い。今朝も何体か運びこまれた。死者数と怪我人の数が、時間とともに増えていく。すぐに消毒、納棺を行い、遺族に引き渡さないといけないのだが、警察も人手が足りない。腐敗が進む前に無事焼却できるのだろうかと不安の声も上がる。
「あの…」
中にいた警察官に、リカが話しかけた。
「近所に住んでたおじさんがいてはるんですけど…。お顔、きれいにしてあげていいですか?」
警察官に了承を得て、四人は『大谷正男 七十五歳 男』と書かれた灰色の遺体収納袋の周りに座った。ジッパーを開けると、顔色の悪い大谷が、眠るように横たわっていた。瓦礫の中から救出されたときは砂ぼこりまみれだったが、ほとんど払われた状態で袋に入っていた。リカがバニティバッグからクレンジングシートを出す。
「おっちゃん…天国で奥さんに会えるのに、きれいにしたらな可哀想やろ…」
リカが丁寧に、大谷の顔を拭く。次第にその手は震えるようになり、リカの手は止まってしまった。泣き出して続きができないリカに代わり、絢斗が新たにシートを出して拭いてあげた。
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