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第30話
震災から三日たった。哲司の安否がわからない。大家に聞けば携帯電話か実家かどちらかの電話番号がわかるかもしれないが、大家夫妻は家が半壊のため、娘夫婦の所に避難しているという。
絢斗はオダマキ荘に戻ってみた。もともと静かな住宅街なのだが、電車はいまだ走っておらず、まるでジェットコースターのレールみたいにグニャリと横倒しになった高架線路だけが無残な姿をさらしている。周囲の住宅も避難している住人が多く、しんと静まりかえっている。
ブロック塀が崩れた家、傾いてしまった家、屋根が落ちている家。それらに共通しているのは、ドアやわずかに残ったブロック塀などに、連絡先が記された紙が張り付けられていることだ。段ボールや厚紙などにペンで避難先の住所や電話番号を書き、雨でも濡れないようにビニール袋で覆い、ビニールテープやガムテープで張り付ける。そうすると、安否確認に来た身内や知り合いなどが、居場所を知ることができる。哲司ももしかしてそうしているのではないかと、絢斗は瓦礫の山を見た。かつて203号室であったドア部分には、何も張られていない。
絢斗は瓦礫の山を登った。そのときにまた、ふくらはぎに痛みを感じた。自衛隊員が口にし、喜美子も病院でそんな患者を見かけたという“クラッシュ症候群”を疑ったが、日常生活に差し障りはない。本格的に痛くなれば、喜美子に相談してもいいだろう。絢斗は足の痛みに負けず、瓦礫を登った。本当は立ち入り禁止なのだが、何者かが来た形跡があった。哲司の箪笥の引き出しが開いていたのだ。砂まみれの合皮製バッグのファスナーも開いている。哲司が来たのだろうか。だが、すぐにそうではないとわかる。絢斗が助け出された穴――哲司の部屋の床――に開けられた大きな穴から部屋を探ると、絢斗のスポーツバッグも開いていた。瓦礫をどけると箪笥が見える。その箪笥は、ハンマーか何かで叩き割られたような跡があった。震災で潰れたのではない。何者かが侵入したのだ。いわゆる、火事場泥棒だった。絢斗は後に、商店街の店も同じような被害に遭ったことを聞かされる。
絢斗の財布が無くなっている。喜美子は当時夜勤だったので財布は持っていただろうが、預金通帳は取られたかもしれない。やり場のない怒りに、絢斗の目には涙が浮かんでいた。大声で泣きたいのを堪え、絢斗は制服とジャージを引っ張り出した。喜美子の服も何着か持って行く。スポーツバッグのほこりを払い、衣類を詰めた。
かつて自転車置き場だった所から、マウンテンバイクを引っ張り出す。ブレーキの具合が少々おかしいが、何とか乗れそうだ。絢斗はパンパンに膨れ上がったスポーツバッグを肩にかけ、自転車を走らせた。行先は、国道171号線。『てっちゃん』のある場所だ。地割れがおきている所もあり、少し遠回りになったが、いつもの場所に着いた。そこには、崩れた建物しかなかった。『てっちゃん』と書かれた看板も瓦礫に埋もれている。もし店が無事なら、哲司はここにいるかもしれない、そう思った絢斗だが、最後の望みも断ち切られた。
ここまで来たついでだと、絢斗は気を取り直し、学校に向かった。信号機は消えていて、車もほとんど通っていない。救援物資を運ぶトラックや自衛隊の車両が、時々通るだけだ。そんないつもと違う道を北上し、絢斗は学校に着いた。パジャマの上に、借り物の上着を羽織っているだけだったので、まずは部室に寄り、制服に着替えた。その後で教室に向かう。
ドアを開けると、四十ある机の半分ほどが埋まっていた。教室からどよめきが聞こえ、担任の女性教諭が喜びの表情を浮かべた。
「梅塚くん、無事やったんやね! よかったぁ~」
肩を叩いて少女みたいに飛び跳ねて喜ぶ担任に、絢斗も笑顔で会釈する。担任はクラス全員に電話で安否を確認したが、ほとんど電話が繋がらなかった。自分の足で一軒一軒確認に行き、あまり休んでいない状態らしく、顔色が悪かった。
まだまともに授業ができる状態ではなく、午前中で下校となった。部活がある者は昼食を持って来ていて、午後から自主練をするという。絢斗は放課後、体育教官室に顔を出した。顧問も絢斗の無事をおおいに喜んだが、すぐに悲しみの表情になった。
「…元陸上部員のな、児島大誠知っとうやろ…? あいつな、地震で亡くなったんや…」
「えっ…児島先輩が…ですか…?」
顧問はうなずきながら、目頭を押さえた。
「ご両親が学校に来られてな…マンションが崩れて、天井や家具の下敷きになって、助け出されたときにはもう…」
大誠のマンションは、かつて絢斗が住んでいたマンションの近くだ。部屋に行ったこともある。210号室というのも覚えている。マンションやビルの多くは、二、三階などの途中の階が潰れていることが多かった。大誠もその犠牲になったのだ。
それ以上話を聞きづらく、絢斗は体育教官室を出た。
帰り道、複雑な思いで自転車をこいだ。大誠の死を、純粋に悲しめない自分がいる。大誠にされたことを考えると当然なのかもしれないが、震災の犠牲になったとあれば話は違う。別に大誠に“死んでほしい”とまでは思っていなかった。
だが、涙も出ないし悲しいとも思わない。そんな自分の器の小ささに苛立ちを覚え、絢斗は避難所に向かった。
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