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第31話
絢斗が大誠の死を知った日の夜、避難所に喜美子が憔悴しきった様子で戻って来た。震災以降、ろくに休めない。患者数がいつもの何倍もいる。だが、その患者数も少しずつ減りつつある。退院する者の数であればいいのだが。
「…助けられへんかった…」
喜美子はそう言うなり、横になってしまった。避難所の体育館の床は硬く、熟睡できない。その上立ち仕事で看護のために屈む姿勢の多い喜美子は、わずか三日の間に腰を痛めてしまった。
絢斗が紙パック入りの牛乳にストローを差し、喜美子に渡す。冷たい牛乳は体を冷やしてしまうが、何か腹に入れていないと体まで弱ってしまう。喜美子は横になったまま、“ありがとう”と紙パックを受け取った。
「助けられへんかったって…誰を?」
絢斗の問いに、喜美子は牛乳を一口飲んでため息をつく。
「患者さん…クラッシュ症候群でな…地震で家が全壊して押し潰されて、それが原因やねん。それだけやのうて、インフルから肺炎になった人とか…」
怪我人や火災での火傷の患者のほか、インフルエンザの患者も運ばれてくる。非常電源が使えるが、水が無い。自衛隊の給水車でまかなっているが、それでも足りない。普段なら救える命も救えない。
そのことだけでも、医療に携わる者は、肉体的だけでなく精神的にもやられる。今の喜美子には休養が必要だった。日に日に右ふくらはぎの痛みが増してくる絢斗だったが、疲れている喜美子に言い出せなかった。
翌日、荒井が新聞を持ってきた。近くの販売所で買ってきたものだ。
「義援金の情報があるかもしれんし、犠牲になった人たちの名前も出とうらしいねん」
荒井が一通り目を通した後、絢斗も借りて読んだ。中ほどの紙面には、ずらりと人名が載っている。震災で死亡した人の名前だ。嫌な予感がして、絢斗は哲司の名を探した。【兵庫県神戸市】の欄が圧倒的に多い。【兵庫県西宮市】の欄を見てみる。哲司の名前が載っていなくて安心した絢斗だが、これで全員というわけではない。死亡者の名前は、毎日更新されているのだ。現に、大誠の名前は無い。昨日か一昨日の新聞に載ったのだろう。哲司も万が一亡くなっていたとしたら、昨日か一昨日、もしくは明日以降に名前が載るかもしれない。
不安を抱えたまま、またろくに眠れない夜を過ごす。
震災から一週間たった。避難所から、少しずつ人が減っていく。電気が復旧している。家が無事だった人のほとんどが戻っていく。暖房が使えてプライベートを守れる空間の方がはるかに居心地がいいからだ。
水道とガス、市外の電話の復旧はまだだ。そのため、水は行列に並んで給水車からポリ容器などに汲み、トイレや飲料水、手洗いなどに使う。ガスの代わりにカセットコンロや固形燃料を使って湯を沸かしたり調理をする。水が貴重なため洗い物を減らす工夫として、皿を食品用ラップフイルムやアルミホイルで包んで使う。当たり前のように水やガスや電気を使っていたが、これほど大切なものなのだと、被災者は“当たり前”に感謝する。
家が全壊や半壊で住めない人も、親戚や家族と連絡が取れ、そちらに向かう人もいる。だが、誰とも連絡ができず、西宮から東の交通手段が無い人たちは、避難所に残っている。
絢斗や荒井、江田は救援物資を運んだり仕分けなどを手伝う。リカは救援物資のうち、食料や飲料、女性用の肌着などの仕分けと配給を手伝った。
ある日絢斗たちは、リカの姿が無いことに気づく。その日の夕方、リカは友達の車で戻って来た。白いウサギの着ぐるみで、ネイルも化粧もしていないが、さっぱりとした顔だった。
配給されたパンを食べ、リカは嬉しそうに話した。
「うちのツレとな、福原のソープ行ってきてん」
「ソープ?!」
荒井が口から唾を飛ばさんばかりに叫ぶ。
「声でかいねん、ミリオタ!」
「そんなとこ行ってどうすんねん。働くんか?!」
「アホ! ツレに会うたから、三宮の店がどうなったか、一緒に行ってもらってん。その後で福原のソープで風呂入れるって聞いたから寄っただけや」
三宮にあるギャル服の店はビルごと崩れて営業ができない状態だった。そこから友達に案内され、車で十分ほどの歓楽街・福原のソープに行った。地域の人々に、風呂を無料で提供している。
「ええなあ~、俺も風呂入りたいわ。なあ、少年」
荒井に軽く肩を叩かれた絢斗も、リカが羨ましくなる。
「はい。そういやあれから、風呂入ってないですもんね」
その後、自衛隊が風呂の提供に来た。校庭にテントを張り、女性専用と男性専用に分かれ、中ではストーブも焚かれ、湯舟と洗い場に別れた簡単な風呂だった。それでも風呂に入れるのがありがたい。豚汁やおにぎりなどの炊き出しも始まった。温かい食事ができる。普段の生活に、徐々にだが近づいてきたような気がする。避難所に少しずつ笑顔が戻って来た。
だが、それも束の間のことだった。
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