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第35話

 解体作業が始まった。ショベルカーと手作業で、瓦礫が取り除かれていく。屋根の梁がバリバリと折られ、ただの木片となる。壁はパンくずみたいにボロボロと崩れる。オダマキ荘の住民たちは、ただ黙って見守っている。自分たちを守っていたのは、こんなもろい物だったのかと、苛立ちでも悲しみでも諦めでもない、複雑な感情が入り混じる。  哲司の部屋の物は、大家が預かることにした。連絡が取れれば返すと言う。だが、衣類や生活用品などのほとんどは、雨や砂ぼこりにまみれ、洗ってまでも使いたいとは思えないほどだった。  現金もない。哲司が戻って現金だけ取りに来たのなら、必ず誰かに連絡があるはずだ。ほかの住民のように、転居先を記していくだろう。そうではないということは、誰かが荒らしたのだ。誰もいない全壊の家。深く埋もれた物は取り出せない。みな、自分たちが逃げて避難所に行くので精一杯だった。実際、商店街の宝飾店やコンビニ、煙草屋などでも被害が酷かったという。災害が起きれば、助け合ったりボランティアで動く者たちだけではない。盗難や女性の性的被害、避難所でのトラブル。極限状態になると本性が出て、人間は二つに別れる。善人と悪人。与える者奪う者。  リカの部屋では、衣類や生活用品、貴重品などはある程度持ち出せて無事だったが。 「ウソやん! 最悪や!」  必要最小限の持ち物でいいと、いくつか置いていった下着が無くなっていた。 「どこの変態やねん! 死ねや!」  瓦礫の上で叫ぶリカに、その場にいたみんなはどう言葉をかけていいのか困った。変態趣味の男が持ち出したのか、ブルセラショップに売り飛ばされたかのどちらかだろう。部屋を知らない男に荒らされたと知ると、リカは寒気を覚えて瓦礫から下りてきた。まだ使える物やぬいぐるみなどがあったが、変態が触ったかもしれないからと、持ち帰るのを断念した。タンスの中から引っ張り出したTシャツやバスタオルなども持ち帰る気がせず、途方に暮れる。  解体業者が、瓦礫の上から大声で呼びかけた。 「こちらの部屋の方、荷物出しますかー?!」  正面から見て右側、江田の部屋だ。呼ばれた江田は、たどたどしい足取りで瓦礫を登る。数冊の本を取り出し、業者にお礼を言って下りてきた。 「それだけ?!」  驚くリカに、江田はうつむき加減になる。 「あ…その…ほかの物はだいぶ持って行ったし…埋もれてダメになった原稿とか機器類以外は…」  自力で出せる物は事前に持ち出せたが、本棚が倒れていたため、諦めていた。 「これは高い資料やったから…」  珍しく江田がニコニコしている。手にしているのはA4サイズの分厚い本。 「凄い! そんな本あるんや!」  目を輝かせたのは荒井だ。江田が持っている本は、日本の軍艦の写真付き資料だ。 「巡洋艦や輸送艦、駆逐艦やフリゲート艦やら、全部載ってるよ。よかったら貸してあげる」  ずしりと重い本を渡され、荒井は子供のような笑顔になる。 「うわ! ありがとう! そうや、この後時間あります? お礼にメシ奢りますわ!」  楽しそうな二人の間に、リカが割って入る。荷物が少ない江田に、Tシャツとバスタオルを押しつけた。 「どうせ服とかロクに持ってへんやろ。これあげるから。シャツは大きいサイズやし」  洗濯済みでタンスに入っていて汚れはない。使える物だが、見知らぬ男に触られていたかもしれないと考えると、とても自分で使う気になれなかった。 「あ、ありがとう…」  江田はリカの目をまともに見られず、視線を泳がせて礼を言った。  二階の瓦礫が取り除かれ、次々ダンプカーに積まれる。絢斗たち一階の部屋がむき出しになる。  あの日寝ていた布団がそのままだ。台所では冷蔵庫が倒れている。中では食べ物が腐っているだろう。ドアを下にして倒れているから中身を見ずにすむが、想像するだけでゾッとする。  食器類や調理器具、電化製品などは全て使えないが、衣類などがきれいな状態でまだ使える。  だが、何者かに侵入されたときに開けられていたタンスの中は、雨水が染みこんでいた。義援金で生活用品などはそろっているが、長い間使い慣れた物がもう使えないとなると、一抹の寂しさを覚える。  絢斗は最後に、机の引き出しから教科書を取り出した。だが、ほこりと雨水で使えそうにない。結局、持ち出せた物はわずかだった。 「教科書やったら、もう三年生になるから変わるやろ?」  荒井の問いに、絢斗はさも残念そうに言う。 「社会の資料集とか保健体育とか、三年間使う本もあるんですよ」  本当は、学校なんてどうでもいい。陸上部員として走れなくなった今、あと一年の学校も行きたくないというのが本音だ。学校に行ったところで進路も決まっていない。目的もないまま大学に行きたくはない。かといって就職するにしても、どんな仕事につけばいいのかわからない。哲司のたこ焼き屋を手伝う、以外に道を思いつかなかった。  解体作業が進む。隣の荒井の部屋も、絢斗と同じような感じだった。ハンマーのようなもので二階の床を叩き割り、現金や腕時計などが盗まれていた。そういった物は諦めていた荒井だが、解体業者が作業を進める中に混じり、必死の形相で何かを探す。 「あったー!」  荒井は両手で大きな改造ガンを持ち上げた。瓦礫に足をかけて喜ぶさまは、まるで戦場で勝ち鬨を上げる兵士だ。ポケットにハンドガンを差し、両脇にいくつも改造ガンを抱えて下り、兵士は帰還した。 「…それだけなん…?」  呆れるリカに、荒井はバレルからマガジンまでを優しく撫でながら話す。 「こいつら改造すんのにめっちゃ金使ってんで。そりゃもう、無事かどうか気が気やなかってん」  まるでペットを撫でているみたいに目尻を下げる荒井を、リカは「しゃあないな」と見守る。 「そうや! こいつらが戻ってきたお祝いや! 俺が奢るから、みんなでメシ行こ!」  荒井は上機嫌で絢斗の肩を叩く。だが、その上機嫌も束の間だった。

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