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第47話

 汗が引いてから、二人はベッドに仰向けで転がった。タバコを一本吸い終えてから、哲司が問いかけた。 「絢斗、もう走れへんってことは、えべっさんの福男選びも走らんのか?」 「うん、別に一位を狙うわけちゃうけど、普通の人より走るの遅くなるからなあ。みじめやん。それに俺、走るんやったら、てっちゃんといっしょがええ」 「俺な、今年の本戎の日に走りに行ったで。絢斗もおるかと思って」 「ほんま?! まさかてっちゃんいてると思わんかったから、行ってないわ。それより店出してないかなあ思て探したんやけど」 「ああ、退院した後、オカンの墓のこととかいろんな手続きやらあって、おやっさんとこ行ったり営業許可もうたりで忙しくてな、露店出すには保健所の許可もらうために書類そろえたりやなんかもしなアカンしで、間に合わんでな」  すれ違いだった。絢斗は元日と宵戎の日、西宮神社に行った。哲司は福男選びの時間帯だけ来ていた。 「なんやねん、俺ら息ぜんぜん()うてないな」 「これからや」  絢斗は哲司の手を握りしめた。 「これから何年もかけて合わしていくんやろ」  哲司もギュッと握り返す。 「そうやな」  窓から差しこむ日は傾いている。暮れるのが少しずつ遅くなりつつあり、春が近いことを実感する。 「来年のえべっさんは、二人で走るで」  哲司の決意のこもった声に、絢斗はうなずく。 「俺、てっちゃんといっしょに走りたい。えべっさん背負ってる男やから、福を連れて走るようなもんやろ」 「そうや。ベッタ(最下位)でもええねん。最後にはええことがあるからな」  そこで、ふたりの声が同時に重なる。 「残り福をもらうねん」  顔を見合わせた後、哲司は天井を向いてぽつりと言った。 「…なんや、息ピッタリやな…」  翌年、平成九年の慰霊祭。哲司と絢斗はいっしょに会場に向かった。去年よりやや人数は減っているものの、震災での悲しみはまだ癒えていない人も多く、参加者はかなり多かった。 「あれ、荒井くんちゃう?」  哲司が大柄の懐かしい男に気づいた。頭一つ分飛び出ているため、見つけやすい。 「よお、久しぶり!」 「久しぶりです、加賀谷さん。元気そうでよかった。絢斗くんも元気やったか? 看護師の勉強、頑張っとう?」 「はい、覚えることいっぱいあるけど、なんとかついていってます」  絢斗からの電話で、荒井は加賀谷のことを聞いていた。だが、まだ付き合っているという話はしていない。 「あれ?」  隣にも懐かしい女性の顔があった。だが、その女性は赤ちゃんを抱いていた。ニットのおくるみに包まれている。 「えーと…リカさん…ですよね」  確認するように聞く絢斗に、リカは笑顔で膨れっ面をした。 「ケンちゃんはこんな可愛い女子の顔、忘れるん?」 「いや、その…赤ちゃん…」  不精髭を剃ってさっぱりした顔の荒井が照れたように頭をかく。 「…俺の子…」  絢斗と哲司は目を丸くする。そして、場所柄大きな声を控えなくてはならないため、小声で“えーっ”と驚きを表現した。  去年の慰霊祭のころには、すでに荒井とリカは付き合っていた。リカの妊娠がわかり、ふたりは結婚した。荒井は今でも鉄工所に勤め、リカは専業主婦だ。 「この子、名前は“宇宙”って書いて“そら”っていうねん」  リカはおくるみをギュッと握りしめた。 「名前の通り、宇宙飛行士になってほしいから。…宇宙におったら、地球で大地震があってもこの子だけは無事でいてくれるやん」  親として、自分の命よりも子供の命を優先させたい、そんな気持ちが表れていた。 「俺は戦闘ヘリから取って“虎武羅(こぶら)”ってつけたかったんやけどな。どっちにしろ、空の上やからええやろ」  そんな名前、この子がいじめられるわ、とリカは荒井を蹴る真似をする。 「あ、みなさんおそろいやね。加賀谷くん、無事でよかったぁ」  声をかけてきたのは江田だった。以前のみすぼらしさはなく、黒のスーツを着て髪もセットしてこざっぱりしている。 「え? 赤ちゃん…?」  荒井が同じように説明する。江田も眼鏡の奥で目を丸くした後、“えーっ”と小声で驚いた。 「いや、去年何も言うてなかったやん…。それに子供産まれたのも初めて聞いたし…。聞いてたら何かお祝い用意したのに…」 「せや、ほんならこの後みんなでメシでも行くか」  そう提案したのは哲司だった。哲司は江田にのしかかるように肩を組む。反動で江田の眼鏡がずれた。 「俺と江田さんのおごりや。江田さん、ちょっとは金持っとうやろ?」  スーツの胸元をパンパンと叩く。 「う、うん…。まあ、持ってるからいいけど…」  江田の『ミラクルマン』がテレビアニメ化され、もはや人気漫画家だ。単行本の巻末に震災のこと、大谷のこと、瓦礫の中から拾い出した形見の紙芝居の写真を載せたらドキュメント番組から取材が来て、その効果で単行本は増刷された。  大谷の墓の場所も知らない江田が大谷のためにできること、それは『ミラクルマン』を世に広めることだと思い、今まで執筆を頑張ってきた。そしてこれからも描き続ける。亡くなってしまった大谷に代わり、江田が『ミラクルマン』を生かしてゆく。 「おっちゃん、見てくれてるかな」  慰霊祭が終わり会場を出たとき、哲司は空を見上げた。冷たく凍るような灰色の空は、お世辞にも明るく希望に満ちているとはいえないが。 「おっちゃんは見てくれてるよ」  江田の眼鏡にも灰色の雲が映る。 「ミラクルマンはもっとカッコええねんで、って苦笑いしてるかもな」  紙でできた、水と火に弱いヒーロー。それでも子供たちは、ミラクルマンの活躍が大好きだ。西田公園で紙芝居を見ていた、あの子供たちと同じように。 「宇宙(そら)が大きくなっても、『ミラクルマン』テレビでやってくれるかな。見せてやりたいし」  笑顔で灰色の空を見上げるリカに、荒井が寄り添う。 「ビデオ録って置いとこか。何年先でも見られるように」  冷たい灰色の雲の隙間から、うっすらと陽光が見えた。まるで、若い夫婦の未来を映しているようだった。

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