37 / 57
36話 side海 無自覚から自覚
駅に降り立つと、あたりはすっかり暗くなっていた。駅から寮までは歩いて十分ほどなので、話をしながらのんびり帰る。買い物に行ったといっても、現物を見に行っただけなので、荷物はあまりない。手持ちが少ないのは楽だったが、久し振りに歩き回ったおかげで足が痛かった。
「足痛い?」
黙っていたのに見透かされて、榎井にそう問いかけられる。俺は空笑いを浮かべながら笑った。こんなことで足が痛くなるのは、少し恥ずかしい。
「あはは、運動不足だよな」
「結構歩いたからな。大丈夫か?」
「うん。寮までもう少しだし」
榎井が気にしてくれているのがこそばゆい。榎井が優しいのだろうが、同期の男にこんな風に接してくれるのは、少しだけ「俺が天海マリナだから?」なんて勘ぐってしまう。榎井は俺がマリナだとは夢にも思っていないだろうし、俺の自意識が過剰なんだろうけど。
でも、それが嫌じゃないのだ。今までに俺に優しくしてくれた人は、確かに居たのだけれど。榎井は何か他の人とは違う気がする。何が違うのかうまく言えないけれど。
「やっぱり現物みると欲しくなるよな」
「買うの?」
「うーん。迷い中。良いなとは思うんだけど、前のも結構買ったばっかりだし」
「解る。俺もグラボ変えたくなったし」
俺は絵のことは解らないけれど、ソフトや機材もピンキリのようだ。趣味で描く程度ならそれなりの値段だが、プロツールはやはり高い。榎井が言うには、やりたいことの方向性でものは変わるという。それは、解る気がする。俺もマイクや音源は持っているが、歌や音楽をやる人はもっと高価なものを使っているだろう。有名なストリーマーはやはり機材も凄いけれど、無料のツールを使っている人も多い。そういうのが、やりたいことの方向性ということだろう。
「でもまあ、引っ越したばっかりだしね……」
「ああ、そうだよな」
引っ越しのタイミングで吸音材などを買ったりと出費があったので、当面は我慢だ。ストリーマーとしての必要物資以上に色々と気になってしまうのは、本質的にああいう機材が好きなのだろう。俺の「男の子」らしい部分でもある。榎井も機械や部品は見ているだけでも楽しいようなので、そういう部分は趣味が合うと思う。
「本当はゲームショップも行きたかったんだけど、時間なかったな。隠岐にもおすすめ、いっぱいあるのに」
「そうだったんだ? 行きたかったな」
「また行こうぜ」
「う、うん」
笑顔でそう言われ、心臓がドキリと脈打った。また今度一緒に出掛けるという約束を出来たのが嬉しい。榎井も、楽しいと思ってくれたのだろう。
(へへ。ゲームショップか。楽しみだな)
思わずにやけながら、足取りが軽くなる。
そんな他愛ない会話をしていると、あっという間に寮についてしまった。なんなら、もう一往復しても良いくらい、話足りないくらいだ。
(とはいえ、脚が痛いのは事実……)
気持ちは往復出来るが、脚の方は限界だ。玄関を入ってすぐに、エントランスにいた渡瀬に声を掛けられた。
「お。お帰り~。二人で出掛けたの?」
「ああ。買い物に」
「なんだ。すっかり仲良しになって。心配してたけど、必要なかったみたいだな」
渡瀬はそう言いながら、榎井の肩を叩く。榎井は気恥ずかしそうに頬を赤くして、唇をとがらせた。
「それで、お土産はないの?」
「あるわけないだろ」
「気が利かないなあ」
渡瀬は揶揄うようにして、榎井の肩に手を回す。
(あれ?)
なぜか胸がもやっとして、思わず心臓付近に手を伸ばす。何故だか、心がざわざわする。
「俺はお前のことを考えて、ちゃんとお土産を買ってきたというのに」
「は? どこか行って来たの?」
「まあ、そういう訳じゃないんだけど。ほら、この前お前に迷惑かけたじゃん」
渡瀬はそう言って、榎井になにか箱を手渡す。綺麗にラッピングされた包みを受け取り、榎井が笑う。
「お。高いヤツじゃん」
「まあね。おかげで順風満帆。今度、良輔とボーリング行くんだ。あれから嵌っちゃってさ。お前も行く?」
「行かねえよ」
「何だよ、冷たいなあ。隠岐は? ボーリング行く?」
「えっ」
急に話を振られ、反応できずに顔を強張らせる。今何を話していただろうか。聞いていなかった。
「隠岐? どうかした?」
「――あ、ごめん。俺……」
どんな顔をしていいか分からなくなって、思わず逃げ腰になる。ダメだ。顔を作れない。
「? どうした?」
渡瀬も首を傾げる。榎井が眉を寄せた。
「ご、ごめん。ちょっと。俺もう、帰るね」
「え? 隠岐?」
逃げるように、その場を立ち去る。榎井が何か言っていたが、聞こえないふりをした。
(俺――)
榎井の肩に触れた渡瀬を、思い出す。
(俺……)
触るなと。思ってしまった。
楽しかった気分に、水を差されたような気持ちになってしまった。
――何が違うのかうまく言えないけれど。
(俺は、馬鹿だ)
逃げるように部屋に駆け込み、鍵をかけると同時に、その場に座り込む。両手で顔を覆い、あふれ出しそうな声をこらえた。
(俺は)
俺は。
榎井が、好きなんだ。
ともだちにシェアしよう!