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過去

「手、繋ごうよ」 咄嗟にそう言われて、彼の左手が触れる。 暖かくて心地いい掌は、僕の心を癒してくれた。 前にいてリードしてくれるのにも、好意を持ち始めている。 二人で廊下を小走りで進んだ。 だがこの瞬間。 一つだけ疑問が生じてしまう。 なぜこの男は僕が看守だと知っているのに、こんなにも寛容に受け入れてくれるのだろうか? 囚人なら僕のことすぐさま殺すかと思ったのに。 「あの……」 「理由なんてない。アンタは面白いから一緒にいても安心できる。それだけだ」 僕の考えていることは、全てお見通しらしい。 話しかける前に答えを言われてしまった。 何を話そうかと考えていれば、彼はT字路のところで立ち止まる。 僕もそれに合わせて立ち止まり、彼の表情を見た。 満面の笑みを浮かべている。 本当は冤罪ではないかと思ってしまうほど、性欲が少し溜まっているただの優しい男にしか見えない。 「はい、これ」 アルマが胸元のポケットから、数枚のお金を取り出してこちらに渡してくる。 そんなに分厚くなく、札の横に建物が描かれている。 間違いない。 ユーロ札だ。 「エロい顔見せてくれたお礼に、受け取ってくれない?感謝状。俺と一緒に脱獄しよう」 ずっと笑顔なのは裏がありそうで怖い。 確かにこのお金を両替すれば色んなものが買えるし、この船から脱出することも可能。 だが、彼が懸命に働いて稼いだお金なのかもしれない。 そう思えば受け取ることはできず、拒絶した。 「そんな大金、受け取れないよ。アルマくんが使いなよ」 お金を持っている手を胸の方に返す。 「そう。俺と脱獄したくないんだ」 鋭い眼差しでこちらを睨んできたが、迷わずに昔から叩き込まれている思想をぶつける。 「そういうわけじゃなくて……人のものを取るのは良くないよ!これ常識!」 そうはっきり言えば、彼の表情がパッと明るくなり頬を少し赤らめていた。 こんな表情初めて見たな。 「へぇ、アンタは信頼できそうだな。お金より人を大切にするなんて、普通できないことだ。面白いね」 そう言った直後、囚人服についているポケットに金をしまう。 ボタンを閉めて、こちらを見てくる。 彼はずっと頬が赤くて、目をキラキラさせながら僕のことを凝視。 当然のことをしたのに、なぜか連続殺人犯に好意を持たれてしまった。 (お金、貰えばよかったかも) 後悔しても断ってしまったのだ。 後戻りはできない。 「あのさ、アルマくんの過去の話聞いてもいい?」 仲良くなったのだから、この機会に彼の過去を聞いてみることにした。 すると彼は一瞬表情を暗くしたが、次の瞬間普通のニンマリとした笑顔に戻る。 あの表情は幻か?それとも勘違い? 「俺は普通の家庭を過ごしたよ。父さんはマフィアのボスで、母さんは専業主婦だった。どっちも優しい人だったよ」 案外闇が深いのかと思ったけど、父がマフィアのボスということ以外は普通の家庭で育ったようだ。 それを聞いて少し安心してしまった。 ほっと一息つく。 「で、看守さんの過去は?普通の生活だった?」 真顔でそう聞かれて、僕は正直に全ての話をしてしまった。 あのトラウマも。 よく考えれば、全く知らない人に自分の話をするのはよくないと分かる。 利用されるから。 でも聞かれたのが初めてだったのでワクワクしてしまい、つい話してしまった。 両親に全然相手にされなかったこととか、母が彼女の友達と買い物した帰りの後、通り魔に刺されて死んだこととか。 僕が中学3年生の時。 友達と下校していたら変なお兄さんに話しかけられて、二人して拉致られ僕は薬漬け。 その後は……気分が悪くなる。 言いたくない。 思い出すだけで吐きそうだ。 今でも脳に少し後遺症が残っているのか、時々頭が激しく痛くなったり幻聴が聞こえたりする。 奇跡的に幻覚は見えないが。 「頑張ったね。偉いじゃん。もっと自分を褒めていいんだよ。たくさん泣いていいからね」 アルマが僕のことを抱きしめてきたので、胸の中で喉を枯らしながらたくさん泣いた。 しかしそれとは裏腹に怖い質問をしてくる。 あれ?声がアルマっぽくない? 「それで、どんな気持ちだった?母さんが死んで嬉しかった?」 「そんなわけない!怖いこと言うなよ」 僕は怒鳴り散らした。 母さんは僕のことを無視してたけど、飯を作ってくれたし風呂も洗ってくれたし。 そんなわけないだろ! 「嘘だな。さぞかし嬉しかったんだろ?愛されてなかったんだから」 「うるせぇ!」 かっと怒りが込み上げて、彼の頬をグーで殴った。 なんの受け身も取らなかったアルマは、床に倒れて尻餅をつく。 頬には赤く腫れた痕がついていて、口から血が垂れている。 歯が折れたようだ。 我に返って、自分が起こした過ちを反省した。 アルマは恐ろしい形相で睨みつけてくる。 「ごめん。ついかっとなって」 「慰めただけなのに殴られるとはね。ふふ……アンタ、囚人の資格あるかもね」 「そんなわけない。僕は……人なんて殺せないんだ。あんなのはま…!」 「まだそんな常識を唱えているんだ?いい加減認めなよ」 (また、声がした) ずっと気にせずに過ごしていたが、なぜかこの時だけ耳を傾けてしまった。 男なのか女なのかはわからないけど、あの事件以来人に危害を加えたり過去のことを思い出したりすると聞こえてくるのだ。 さっきもずっとアルマを殺せという声が聞こえてきていたが、あまり気にしていなかった。 母さんが死んで嬉しかったと聞いてきたのも、多分「アイツ」だ。 「ま……?何?」 「いや、なんでもないんだ。気にしないで」 額に汗をかいて、目を逸らした。 「まぐれだよ」と言おうとしたが、彼にこれ以上検索されるのはよろしくない。 精神が崩壊しそうだし。 アイツに比べればアルマはまだ優しいし、僕のことを第一に考えている気がする。 ナイフを向けてきたけど、脅されているだけとしか思えなかった。 驚くこともない。 恐怖はあったけど。

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