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第2話

 除夜の鐘には長い列ができていた。  竹島さんについて駐車場からそのまま上がってきたので、いまいち現在地が把握できていないのだったが、鐘楼は参道から少し離れたところにあるらしかった。  おれと竹島さんが最後尾に並ぶと、そう間を置かず後ろに人がついた。先頭の釣鐘まではだいぶあるけれど、ひとつ、またひとつと鐘の音が鳴り響くたび、ちゃんと列は進む。人の多さのわりに、案外時間はかからないかもしれないとかじかむ手を息で温めながら思う。 「これって、誰が数えてるんでしょうね」  思いついて口にすると、ん? と竹島さんが背をかがめてくる。 「数えるって?」 「鐘の数です。百八つですよね」 「ああ、どうだろうな。数えてなんかないんじゃないか?」 「え、でも、数えてなかったら終わりがわからないじゃないですか」 「ここはさ、百八つ過ぎてもつかせてくれるんだよ。いつまでってのは知らねえけど」 「そうなんですか」  竹島さんはまた、列の先頭へと目を向けた。  さっきからその辺りにいる女性たちがちらちらと竹島さんに視線を向けているのが気配でわかる。後方から、ちょっとさ、前の人かっこよくない? なんて密やかな声も耳に届く。当の本人は慣れっこなのか、付近のそんな様子などまるで気にとめない。おれは隣にいて、気恥ずかしいながらもどこか誇らしかった。  だって。  この人、おれの、なんです。 「おまえ、除夜の鐘ついたことある?」  突然竹島さんが振り返るので、おれは声がひっくり返りそうになった。 「え? あ、はい。あ、ないです。初めてです」 「へえ」 「竹島さんはあるんですか」 「あるよ」  一瞬にして、胸の内に暗い影がさす。誰と、来たんだろう。思わずよぎったそんな疑問を、竹島さんは素早く察してしまう。 「家族とな。この寺とは別のところだけど。子どものときだよ」 「あ、そうなんですか」  ついうっかり、わかりやすくほっとしてしまった。竹島さんがにやにやして覗きこんでくる。おれはうつむきながら顔をそらす。なんだかもう、竹島さんの前では隠せない。前はもっと上手に、気持ちを押し殺すことができた。でももうそれをしなくてよくなると、感情はおれの意思に関係なく漏れ出てゆく。 「まあ、そのとき以来だな。大晦日に寺とか来るのは」 「最近は、あまり来ないんですか」 「だって、寒いだろ」 「そうですよね」  おれも、おれの家族も、いつも紅白終わりのゆく年くる年を見ながらテレビに映る参拝客に感心していた。こんな夜中に寒い中、よく行くよな。父親が決まって言うセリフだ。  そんな物好きに、自分がなるとは思わなかった。でもなるに決まっている。竹島さんに誘われたら。竹島さんが久々に、除夜の鐘をつく気分になってくれてよかった。おかげでこうして一緒にいられる。 「寒いな」  竹島さんの吐く息が、白く煙って霧散してゆく。 「寒いですね」  おれの息も白く視界を煙らせる。  同じ寒さを竹島さんと体感できているだけで幸福だった。同じように息を白くして、同じものを見て。今年最後のときを、こうして一緒に過ごせていて。 「なんかあったかいもんでも飲みたいよな。どっかに自販機があったはずだけど」 「あ、おれ探してきます」 「待てって。おまえここに来るの初めてだろ。下手に動くと迷うぞ。迷子になったまま新年迎えることになっても知らねえぞ」  う。それはやばい。それはひどく寂しいうえに竹島さんに激しく迷惑をかけてしまうことになる。 「おれが見てくるか、ら」  そう言いながら竹島さんが首を辺りに巡らせたときだった。  脇の道の向こう側の黒々と影になった木々の間から、見覚えのある顔が上がってきた。 「あれ。おまえら、何してんの」  大学の先輩の池田さんだった。池田さんは竹島さんと同じ学年で、映研ではなくおれの個人的な知り合いだ。池田さんとは知人の紹介で知り合った。平たく言うと、大学内のゲイコミュニティの先輩である。そして池田さんは、おれと竹島さんがつき合っていることを知っている数少ない人のうちの一人だ。  竹島さんはもともと池田さんとの接点はまったくないはずだったのだが、おれが親しくしているのを知って、いつのまにか交流を持っていた。そういうところはやはり、さすがというか、顔が広い所以(ゆえん)というか、コミュニケーション能力が高いというか。  突然現れた池田さんは、おれたちに近づくと竹島さんと肩を並べた。 「よう。相変わらず無駄にイケメンだな」 「無駄は余計だろ。おまえ今、どっから出てきた」 「ああ、そこに階段があるんだよ。下に駐車場があってさ、自販機にコーヒー買いに」 「ちょうどよかった。おれらもなんかあったかいもんを……、なんだよその量は」  竹島さんの目線を追って、おれも池田さんの手元を見た。手袋をした両手にごろごろと幾本もの缶コーヒーを抱いている。 「ブルゾンのポケットにも入ってんだぜ。罰ゲームっつうか、さっきゲームで負けて。全員分おごるはめになって」 「全員? 誰と来てんだよ」 「それがさ、さっきまでバーで飲んでたんだよ。カウントダウンイベントでさ。そしたら急にすごい音がして真っ暗になってな。ブレーカー落ちて。漏電だってさ。ビル全体が真っ暗。マスター泣いてたな。で、しょうがねえから初詣ででも行くかってことになったわけ。あ、広内、水谷いるぞ。一緒にいたから」 「あ、そうなんですか? おれ、こないだ会ってから連絡とってなくて」 「もうすぐ新年明けるし、一緒に来いよ。って何だよこれ、除夜の鐘? つくの?」 「ついちゃ悪いか」 「悪かねえけどさ、どうせなら一緒にカウントダウンしようぜ」 「そうだなあ。行くか? 水谷いるなら」  竹島さんに訊かれ、おれはあわてる。 「でも、鐘、つかなくていいんですか」 「まあ、別に後でもつけるしな。それに、鐘つくのが目的ってわけでもねえし」 「そう、なんですか?」  除夜の鐘でもつきに行くか。  そう言って誘われたから、鐘がつきたいのだと思っていた。 「新年を迎えるときは一緒にいたい、ってこと以外の目的はないってことだな」  池田さんが代弁するみたいにそう言って、 「まあそのとおりではあるけどさ、おまえが言うなよ」  と、竹島さんが肯定するので、おれは顔が熱くなるのと同時にひやひやして周りを窺った。この人たちは本当に、堂々となんて会話をするのだろう。でも周囲の人たちは自分たちの会話に夢中だったし、あまりに堂々としているからかその内容を注意深く気にとめたりする気配はないようだった。 「広内、先に池田と上に行ってろよ。おれは自販機でコーヒー買ってから追いかけるから」 「あ、はい。すみません」 「おれら、休憩所の横辺りにいるからさ。わかんなかったら連絡して」 「了解。じゃ後で」  竹島さんが道の向こうの階段を下りてゆく。  おれは池田さんと歩き出した。道は上り坂になっていて、参道と合流しているのだという。池田さんの手から転げ落ちそうな缶コーヒーを幾つか受け取ると、冷えた手がじんわりと温まってきた。でもしばらく経つと、今度は熱くて持てなくなる。 「ポケットに入れてろよ。カイロになる」 「あ、そうですね。ちょうどいいです」 「うまくいってるみたいだな、おまえら」 「……はい」  池田さんの声音が優しくて、おれは反応に困った。  竹島さんは、おれの初めてできた恋人だ。  学内でも人気者で有名で、しかもノンケのそんな人とおれがつき合えることになるなんて、自分がゲイだと自覚した頃には夢にも思っていなかった。ともすれば、もしかしてやっぱりまだおれの大いなる勘違いなんじゃないかというバカみたいな不安を、こうしておれでもなく竹島さんでもない他の誰かが払拭してくれる。そんな人がいることが、そんな関係性を作れたことが、この春入学した大学での大きな収穫であり幸運だった。 「一時はどうなることかと思ったけどな」 「あ、ご心配、おかけしました」 「いやー、あの竹島が、あんなに慌てるとは思わなかったよな」 「……あんなに、慌てるって?」  ん? と池田さんは、おれを見てにやりとする。この、人の悪い笑みは竹島さんと通ずるところがあるとおれは思う。ちっとも嫌に思えないところもよく似ていた。 「本人に訊けば?」 「訊けるわけないです」  すねたような言い方になってしまって、池田さんに笑われた。  光と喧騒が近づいていた。

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