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第3話

 参道はにぎわっていた。  屋台が立ち並び、軒に吊るされたライトが四方を照らして辺りは昼間のように明るく、境内のあちこちで人が動き、集まり、寒空に熱気が立ち上るかのようだった。どの顔もみな一様に晴れやかで、来たる新年に向けて高揚を隠せないでいる。  そんな空気に飲まれたわけではないけれど、人混みに入ってから、おれの気持ちも(はや)り始めていた。人の集まるところに向かうというのは、どこかわくわくするものだ。  高校のときだって友だちはちゃんといて、みんなで集まったり出かけたりしたことはあったけれど、おれはその中でどこか引け目を感じていた気がする。会話でも態度でも、どうしても嘘をつかなくてはいけなかったからだ。好きなタイプ、好きなアイドル、好きな女優。女の子の好きな体の部位。回ってくるグラビア雑誌にアダルトビデオ。話を合わせたり適当に流したり、興味ないと言ってみたり。面倒で、しんどくて、心苦しかった。でも、そういうものだと思っていた。そういうふうに生きていくのだと思っていた。  今、おれの周りには竹島さんがいて、池田さんがいて、水谷がいて。  この人たちの前では、おれは嘘をつかなくて良かった。  そのままの、おれでいられる。  何の屈託もなく、新しい年へと変わる瞬間を待つことができる。  それがたまらなく嬉しくてきっと、こんなに気持ちが逸っているのだ。  と、そこで気がついた。  おれが、嘘をつかなくて、おれでいられる場所。それって。 「あの」  人の波を縫うように進む池田さんの、袖を引く。 「さっき言ってたバーって。その、停電した、カウントダウンイベントしてたバーって、どこですか」 「え、ああ、おまえも行ったことあるだろ。川べりのビルの三階の、shoot(シュート)だよ」  やっぱり。ゲイバーだ。ということは、この向かう先にいるのはみんな、ゲイの人たちだ。 「あの、大丈夫でしょうか」 「何が」 「竹島さん。その、連れてって」 「ん? 何が。あいつは別に偏見なさそうだから平気だろ」  でも、竹島さんはゲイじゃないのに、そんな中に連れてってかまわないのだろうか。竹島さんに変な噂がたったりしたら。 「まあでもあいつ、男にも女にも人気あるけど、意外とゲイにもモテちまうかもな」 「えっ」 「ああ、いたいた。あそこだ」  目指す集団を見つけて、池田さんが進路を変える。 「ちょ、ちょっと待ってください!」  おれもあわてて後を追う。池田さんに気づいた幾人かが、ぞろぞろと近寄ってくる。 「遅かったじゃん」 「早くしないと新年明けるし」 「うるせえな、文句言うなら飲むな」 「酒おごるより安くすんだんだから漏電に感謝だろ」  わいわいとはやしたてながら、池田さんの手から缶コーヒーを受け取ってゆく。知っている顔もあれば、見たことのあるようなないような顔もあった。行ったことがあるといっても、そのバーにはおれは池田さんに連れられて数える程度しか行ったことがないから、人の顔はほとんど覚えていなかった。  竹島さんが狙われたらどうしよう。言われてみれば、なんだかタチにもネコにもモテそうな気がする。はらはらしながら、池田さんに促されておれもポケットから缶コーヒーを取り出すと、それを受け取った人と目が合った。 「……あれ?」  そう思ったのが同時だったかもしれない。 「きみ、もしかして」  その人は、あのときと変わらない涼し気な声音で問いかけた。おれが忘れるはずはない。  でも、向こうが覚えているとは思わなかった。  だっておれは、ただの通りすがり。たった一晩だけの。  おれの、初体験の人だった。  大学に入る直前、どうしても一度経験してみたくて、ネットで調べたゲイバーに行った。  そこで紹介された人。優しい面立ちで、すらりとした涼やかな立ち姿。  おれを抱いてくれる条件は、ただ一度だけ。二度目はない。それだけ。  だからそれ以来、会っていなかった。  でもまあ確かに、狭い界隈だから、顔を合わせることもあるかもしれないとは思っていたけれど、まさかこんなときに、こんなところで。  でも、彼はおれのことをはっきりとは覚えていないようで、もうしわけないけれど、いっそ、しらをきってしまおうかと思った。だって、さすがに竹島さんと鉢合わせはやばい。 「あ、広内だ! どうしたの、こんなところで」  聞き慣れた声に、おれは身をすくめる。  おれを見つけて元気よく駆けてきたのは水谷だった。おれが大学に入って初めてできた友人であり、初めてできたゲイの友人でもある。水谷は、おれみたいにくよくよしたり悩んだりすることがほとんどなく、いつも言いたいことは言うしやりたいことはする。竹島さんに(いだ)くのとは別の意味で、おれは水谷が眩しかったし羨ましかった。  でも今はちょっと、その口を塞いでおきたい。のだったが、おれはいつも一歩出遅れる。 「あ、(かおる)さん。ちょうどよかった。広内だよ、ほら、こないだ言った」 「ああ、やっぱり。そうじゃないかと」 「え、何、ここ知り合い?」  池田さんが入ってきて、おれと郁さんを見比べる。 「あれ、池田さん知らないの? 郁さんなんだよ、広内の初めての」 「ちょっと待って、水谷」  おれが止める声など、てんで彼らに届かない。 「あー、なるほど。処女専のな。郁が広内の初めてをいただいたのか」 「い、池田さん、ちょっと声が」 「こないだ郁さんに会って、広内の写真見せといたからさー。ってあれ、そういえば広内、一人で来た、の」  言葉に詰まったかと思うと、水谷は視線をおれの背後で止めた。 「で、」  低い声と共に、おれの目前に缶コーヒーが現れる。 「何が初めてだって?」  今、一番聞きたくなかった、おれの世界中で一番好きな声だった。 「あ、いえ、あの……」 「処女専って聞こえたけど」  竹島さんがおれの耳元で囁く。おれは両手で缶コーヒーを受け取り、助けを求めるように水谷を見た。さすがに悪いと思ったのか、水谷はあわててよけいなフォローをした。 「えっと、郁さん、この人、広内の彼氏で、すごいモテる人で、ノンケだから彼女いっぱいいるみたいに見えて、広内があきらめようとしたりいろいろあったんだけど、結局うまくいって」 「水谷! もういいから! 声大きいし、いろいろ言い過ぎ」  水谷の口をふさぐようにおれが手を伸ばすのを見て、郁さんがくすくすと笑う。 「うん、良かった」 「ん?」  竹島さんが郁さんに視線を向けるので、おれはまたもや身をすくめる。  郁さんは慈しむような笑みを(たた)えたまま、おれと竹島さんをゆっくり眺めた。 「恋愛に臆病になってるみたいだったから、ずっと気になってたんだ。いい人に出会えたんだね。本当に良かった」 「……はい」  おれは水谷の口元を手で押さえたまま、うなずいた。 「良かったです。おれ、今すごく、その、幸せで。郁さんのおかげです。本当にありがとうございました」 「あ、いや、おれは別に何も。ていうか、お礼を言われるのはなんか、誤解を生むというか」  言われて、はっとする。そうだ、仮にも郁さんはおれの初めての人で、そしてこの場には竹島さんがいて。  郁さんに会ったとき、おれは恋愛に対して何の希望も持てずにいて、それを励ましてくれたことへのお礼だったのだけれど、確かに事情を知らなければ違う意味にとられる気がする。  つまり、初体験を済ませられたことへのお礼みたいな。 「違うんです、別におれ、そういう意味じゃ」 「そういう意味ってどういう意味だよ」  あわてるおれに、竹島さんはいたって冷ややかである。  そこへ、助け舟みたいに池田さんが大きな声を出した。 「あ、年が明けるぞ。あと五分! いや、四分五十秒、四十九、四十八」 「今から数えるの早すぎでしょ」  がやがやと、池田さんの周りに人が集まってくる。 「どうする? 何する?」 「何するって何」 「年明けの瞬間だよ。飛ぶ? 叫ぶ?」 「ニューイヤーキスじゃないの?」 「さすがにここではヤバイだろ」  境内にいるたくさんの人たちも、にわかにざわつき始めていた。みなそれぞれに、スマホや腕時計を覗きこんでいる。  すっかり置いてけぼりにされて、おれは呆然としていた。  年が明ける?  こんな状態で?  そんな。  さっきまであんなに幸福だったのに。  嬉しさに心が逸っていたというのに。  と、突然ぐいと腕がひかれた。  引きずられるようにして、みなの輪から離れてゆく。  竹島さんがおれの腕をつかんだまま、人の波をすり抜けてどんどんと歩いてゆくのだった。  

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