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入所初日

 子供達をバスから降ろし連れていくのは、本館から少し離れた場所にあるひなどり棟だ。ここは、保護したばかりの子供の精神的な安定や身体的な安全を図るための建物で、限られた職員と児童しか入れない閉鎖棟になっている。本館や開放棟であるつばめ棟からは見えないように林に囲まれたそこは、静かだが陰気でない、暖色を多く用いた明るい雰囲気の満ちた場所だ。  俺は最後にバスから降ろした少年と共に、本館を抜けて閉鎖棟に向かっていた。少年は時折ふらつきつつも、自分の足で歩いた。逃げたり暴れたりしないように手を繋いでいるが、抵抗する気配はない。抵抗する気配がないどころか、怯えている様子もない。 これはかなり珍しいことだ。 ここに連れてこられる子供の多くは、大人から惨い虐待を受けている。だから、触れられることを嫌がる子が多いし、話しかけられることすらダメな子も多い。現に、歩いている廊下には薄黄色の液体によってところどころ水たまりができていて、おそらく俺達より先にバスを降りた子供達が強い恐怖心のもと粗相をしてしまったのだろうと推測される。  それに比べれば、この子はあまりに静かだった。  顔や腕、足には切り傷や暴行の跡。服も汚れている。虐待を受けていたのは明白だが、この落ち着きようはなんだろう。  怯えを表に出す子供とは違う嫌な感じが、この少年からは感じられた。  ひなどり棟に着き、鍵を開けて中に入れてもらう。俺達が施設内に入ると、ドアが自動で締まりまたカチャリと音が鳴って鍵がかけられた。  淡いオレンジ色の壁の廊下をゆっくり歩く。廊下を右に曲がると突き当たりに悠生の姿が見えた。彼はこちらに手招きをしている。 「あそこが君の新しいお部屋だよ」 「……」 驚かせないように静かに声をかけたが返事はない。聞こえていない、ということは無いはずだが。  悠生の元に辿り着くと、彼は部屋を示した。頷くと、彼は何も言わずに立ち去る。知らない声が聞こえれば聞こえるほど、ここに来たばかりの子供達は不安になるのだ。  俺は少年の手を引いて部屋に招いた。一歩足を入れると、廊下の固い床の感触から微かに弾力のあるマットレスの感触に変わる。部屋に布団などは無く、厚めの板で仕切られた先にトイレが設置されているのみだ。 「ここが君の部屋。何もなくて寂しいかもしれないけど、安全のためなんだ。ごめんな」 「……」 少年は部屋を見渡すこともなく、じっと一点を見つめていた。怖い、という感情はいまだ見えない。 「寒いことは無いと思うけど、なにかあったらすぐに言って。トイレがしたくなったら、そこの壁の奥で出来るから。明日はおもちゃも持ってくる」 「……」 「ここを、君だけの素敵な部屋にしような」 「……」 初日であれば、会話なんてできるはずがない。それはわかっているが、本当に、無反応な子だ。  俺は繋いでいた手の力を抜いた。少年のほうから力の込められていなかった手はあっけなく離れる。一歩二歩と離れるが、少年が座る気配は無い。同じ場所を見続けている。 「疲れただろ。座って休んで」 そう言って優しく両肩を掴み、一緒に座る姿勢を取ると、また抵抗なく従った。座ったには座ったが、反応が無い。 「またすぐ来る」 そう言って部屋を出て、静かに鍵を閉めた。

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